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2014年01月24日 17時03分 JST | 更新 2014年03月25日 18時12分 JST

「御冥福をお祈りします」  

自殺した者に対して、使ってはいけない言葉である(病死、事故死といった"不慮の死"に対して、使う言葉であると俺は認識している)。  

2006年10月は自殺のニュースが多かった。三輪中学校のイジメ自殺が発端で相次いだような恰好だ。私は悲しい。どうして、親から授かった大切な命をみずから絶ってしまうのだろう。世の中には生きたくても、生きられない人が世界中にたくさんいるのに、自殺というのは"バチ当たり"な行為で、人生最大の親不孝ではないか。

疑問なのはニュース番組だ。どこもかしこも、ただ"伝えるだけ"が多く、「自殺をしてはいけません。多くの人々を裏切り、迷惑をかけ、悲しむことにもなります」と自殺を考える人たちを思いとどまらせ、"生きろ!!"というエールを贈るべきではないのか。報道のあり方を見直す必要がある。  

2005年11月6日、歌手の本田美奈子.さん(2004年11月、芸名を31画にするため、「.」をつけた)が白血病のため、この世を去った。このとき、『アメイジング・グレイス』がひんぱんに流れ、脳裏に焼きついている人が多いと思う。フジテレビは闘病の様子を取材し、重病でも"必ず復帰する"という、病室で笑顔を見せながら、強い信念で立ち向かい、血液型がO型からA型に変わってしまうほど壮絶な闘病生活だった。  

本田さんはデビュー時から知っているが、アイドル時代のことはなぜか記憶にない。ヒット曲は出したというけど、曲名がほとんどわからない(田村正和主演で放送していたTBSの『パパはニュースキャスター』の主題歌しか知らない)。意外なことに『NHK紅白歌合戦』に出場したことがない。  

やがて、歌手から舞台のミュージカルに活躍の場を移し、30歳を過ぎてから、うらやましいほどの魅力を感じるようになった。なぜなら、"年齢のワリには若い"からである。  

本田さんをテレビで見るたびに若々しさを感じるようになり、"40歳、50歳を過ぎたら、どういう若さを魅せるのだろう?"と私は思い、心待ちにしていたが、残念ながらその姿を見ることはなくなってしまった。でも、ホームページとファンクラブは永久に不滅である。

2005年11月7日、ある男性と会話した。

「本田美奈子.、死んじゃったね」

「ムゴイですよ」  

男性が軽々しく話し掛けてきたことにムッとして、すぐさま返した。男性は私の語気の強さに驚いたようで、ことの重大さを認識したようだった。ファンではないが、復帰すると信じていたから、そのような口調になったと思う。  

私が「死」を意識するようになったのは、1993年12月25日だ。逸見政孝さんがどこかへ旅立ってしまったからだ。覚えている方も多く、私みたいに"一生忘れてはならない"という意識を持つ方も多いと思う。

世間は逸見さんが復帰すると信じていただけに、生まれ初めて、"理不尽な世の中、残酷な世の中"を思い知らされた。それ以来、"死ぬことは怖いけど、生きているほうがもっと怖い"と思うようになった。煙草や酒をやらずとも、大病にかかって死んでしまうことがあるという現実を思い知らされた。  

私は今も逸見さんが亡くなったという現実を受け止められずにいる。若い頃は、苦しいとき、つらいとき、逸見さんの著書、『新版魔法のまじめがね ブラウン管は思いやり発信局』(文藝春秋刊行)を何度も読み返し、己を奮い立たせた。この本は私の人生のバイブルだ。

年齢を重ねてくると、眠れない日が多くなってきた。「死」を恐れて眠れないのだ。2006年5月に検査で引っ掛かって、胃カメラを飲むハメになったことにより、健康面の不安を医者に露呈されたからということもある。あと10年で48歳になるので、今後の人生におけるさまざまな不安、死を意識するようになってから、"100パーセント、人生を楽しむことができなくなった"という本心がそうさせているのかもしれない。また、"寝てしまったら、一生起き上がれないのではないか"という不安もある。

だが、私は死ぬわけにはいかない。死を前提とした生命保険に加入する気はないし、生きる以上は100歳でも200歳でも長く生きたい。そして、最後まで死を否定するような生き方をしたい。重病でも"常に生還するんだ"という意識と気迫を持つ。

冒頭で「2006年10月は自殺のニュースが多い」と述べたが、イジメでみずから命を絶ったのは、それでしか訴えることができないからかもしれない。結局、イジメというものは「パワーハラスメント(権力いやがらせ)」に当てはまるのではないだろうか。イジメているヤツにもリーダー格がいるだろうし、三輪中学校の件は教師が原因という見方が強いのだから。

2006年10月27日放送、日本テレビの『太田光の私が総理大臣になったら... 秘書田中。』で、太田光総理大臣はこう述べている。

「自殺しちゃう子と言うのは、まっすぐなんだと思うんですよね。イジメているヤツはずるいのに、自分はズルいことはできないんだけどね。もうちょっとね、悪賢くなってもいいと思うのね。自分の命を助けるためならば、その程度のことぐらいは許されると思うし」  

イジメている人間に言いたいのは、いつかはシッペ返しされる日が来る可能性があることだ。以前、フジテレビの『奇跡体験アンビリバボー!』で、中学時代にイジメられたことを根に持ち、同窓会で復讐しようと綿密な計画を練ったものの、母親にカンづかれてしまった。このため、大量殺人はまぬがれたものの、息子は警察にパクられる出来事があった(実は1991年にテレビ朝日の『代表取締役刑事』で、同じような事件を放送していた)。 

いずれにせよ、イジメは悲劇を起こす可能性があるのだ。イジメという問題を深刻に考え、生徒も含め学校や教育委員会は「信用」や「名誉」を守るための隠蔽体質をなくさなければ、同じことを繰り返すだけだ。教師たちはなんのために「教師」という職業を選んだのか。初心に戻るべきではないか。これは生徒にも言えることだ。常に入学式や転校した初日を思い出して欲しい。生徒は初日から「イジメ」なんて考えていないだろうし、緊張や不安でいっぱいだったはずだ。あの頃に戻れよ。イジメているということは天狗になっていることと同じことだ。

(この記事は、岸田法眼の「Railway Blog」から転載しました。転載に際し、加筆、修正を行なっています)