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【中編】ドイツはなぜ難民を受け入れるのか?政治的リーダーシップと強靭な市民社会

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本記事は前編に続きます。

――旧ユーゴスラヴィアから多くの難民を受け入れた92年の43万人をピークに、難民申請者は緩やかに減っていき、政府が外国人住民の社会統合政策に本格的に乗り出した2004年からも減ってきています。当時は難民に厳しい(申請を控えるような魅力的でない)政策をとっていたのでしょうか?

そうですね、正確に言うと、2004年当時ではありません。

90年代初頭に難民が多くやってきて、ドイツでは大きな問題になり、憲法の難民庇護の規定が改正されたり、難民がドイツに来るモチベーションを下げようとして、難民の受けられる給付を制限する法律ができたりしました。

しかし、90年代初頭に難民が多かったのはユーゴスラビア紛争の影響です。

1950年代~70年代の移民労働者(ガストアルバイター)を大量に受け入れた時代、クロアチアを中心に旧ユーゴスラビアから多くの移民がドイツに渡ってきました。そのため既に国内にユーゴスラビア系のコミュニティがあって、ユーゴスラビア紛争の際に多くの難民がやってきたのです。90年代末のコソボ紛争でも、コソボ系のコミュニティがあったので多くの難民がやってきました。

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92年以降、90年代末前後のコソボ難民のケースを除いて、難民が減ったのは、ヨーロッパ周辺で目立った民族紛争が収まった要因が強いと思います。しかし2010年の「アラブの春」以後、中東地域は不安定になりました。

シリアやイラクが内戦状態に陥ったことは言うまでもありませんが、エジプトでは選挙で選ばれたムスリム同胞団の政権が倒され、その後樹立された軍事政権がムスリム同胞団に対して大量に死刑判決を出すなどの人権侵害が顕著になり、大量の難民が発生したわけですね。

またドイツでは、ケルンの事件(2015年大晦日にケルン中央駅前やケルン大聖堂前などで起きた集団暴行事件)に関わった者が多かったのが、モロッコ、アルジェリア、チュニジアの出身者でしたが、現在、これら3か国は「安全な出身国」、つまり帰国しても危険はないと見なされ、スピード審査で難民認定から事実上締め出そうとしています。

しかし、NGOの調べでは、これらのマグレブ諸国でも言論弾圧や人権侵害の問題があり、難民として逃れてきた人がいます。全体として、このような背景から2010年代から難民の数が増えてきているのです。

――ドイツへの難民・移民の流入は昨年末(2015年末)で100万人に達しました。旧ユーゴからの難民を受け入れた歴史があるにしても、その倍以上の受け入れは困難が容易に想像されながらも、ドイツはなぜ難民受け入れを続ける意志を貫くのでしょうか?

1. 敗戦後に多くの難民を受け入れた歴史‐難民を保護する義務を憲法に


いくつかの要因があります。まず、ドイツは憲法に、政治的迫害を受けた難民を保護する義務を規定している世界でも稀にみる難民受け入れに積極的な国であることです。

歴史的に忘れてはならないのが、ドイツは敗戦直後から1950年代の間、戦時中に労働力として連行され故国に帰らなかった元捕虜や元強制労働者など戦争難民(displaced persons)、東欧諸国から追放されたドイツ系植民の子孫(被追放民)など少なくとも約1,650万人の難民を受け入れたことです。

当時は失業率が極度に低く、非常に人手不足の時代で難民受け入れの好条件はありましたが、それでも1,650万という人々を社会に統合させた経験をもつドイツにとって、一度に115万人の難民が来たとしても、決して新しいことではないとの意識があったのでしょう。

2.難民受け入れは「恩恵」ではなく「投資」


それから二つ目、日本と大きく違う点は、日本では日本語学習を一種の「恩恵」として与えるのに対し、ドイツの場合は「投資」と捉える点です。

難民の人たちがドイツ語を習得し、職業訓練を受けて技能を身につける、あるいは(大学生や大卒者であれば)追加的な教育を受けて大学卒業資格をとり、難民認定を受けてドイツに残ってくれれば、2年後、3年後には技能を持った労働力や高度な能力をもつ人材として、ドイツの高度人材不足を埋めてくれるのではないかと考えています。

ご承知の通りドイツでは、日本同様に少子高齢化、将来的な労働力不足という問題を抱えているので、今後も移民を受け入れて労働力を埋めていくしかないのです。難民をお情けではなく、将来の投資として迎え入れる発想は早くからドイツにありました。

具体的には2015年8月メルケル首相がダブリン規則(最初に入国したEU加盟国でしか難民申請できないことを定めた)を棚上げして、ドイツに来たい難民は全員受け入れると言った時期からです。将来の投資として難民を受け入れる要因が大きかったと思います。

ドイツは起業をする人が少ないのも悩みでした。ドイツ政府の中でも、日本の経産省にあたる経済省は、早くからこの大量の難民を貴重な人材候補と見ていて、難民の中に起業意欲をもつ人が多いことに目をつけると、難民の起業をアシストするプロジェクトを始めました。

3.市民の強い意思と包容力


三つ目の大きな要因は、市民の難民受け入れに対する理解です。一時期はメルケル首相の支持率が下がり、受け入れ賛成と反対の割合が逆転し、動揺することもありましたが、実際には市民社会のもつ強靱な力によって持ち直すことができました。

キリスト教の伝統と相まって市民のなかに難民保護に対する信念があること、また憲法にも難民保護の規定(庇護権)がありますから、市民の強い意志とドイツ社会がもつ包容力が100万人を超す難民の受け入れを可能にしたと思います。

ドイツのキリスト教の伝統は、保守勢力に反イスラームの口実に利用されるという側面がありますが、他方で、教会アジールの運動(教会が、庇護認定を却下された難民らを保護し、当局と交渉して、滞在資格の付与や再審査を求める)にみられるように、リベラリズムと寛容の拠りどころでもあります。今回の難民受け入れでも、各地の教会が積極的にボランティア活動に取り組みました。

ドイツの市民社会はどのように成熟していったのか?日本がドイツから学べることは?
後編に続きます。

前編はこちら