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真の球界改革へ「国民的熟議」をしよう

2013年06月18日 23時35分 JST | 更新 2013年08月18日 18時12分 JST

また、プロ野球界で社会を騒がせる事件が起きました。

「飛ばない」ボールが、「飛ぶ」ボールにすり替えられていたという統一球問題に揺れています。ボールが飛ぶ、飛ばないが問題ではありません。当事者である選手、球団にボールが変わったことを通知していなかったのですから唖然とします。

この10年来、プロ野球は社会問題に発展する事態が何度か起きました。私も政治の立場からその解決にご協力をしてきた経緯があります。史上初のストライキが断行された2004年の球界再編では、オーナーたちによる拙速な球団合併に反対する選手会をご支援しました。2011年の震災直後に起きたセ・リーグの開幕問題では、文部科学副大臣として開幕の延期を、いま去就が注目される加藤コミッショナーに要請しました。

特にセ・リーグの開幕問題では、東日本で電力事情が不安定だったにも関わらず、野球界に絶大な影響力を誇る某球団の会長がナイターを予定通りに強行しようと画策したことは記憶に新しいでしょう。さすがに社会的批判が強まり、結局は12球団同時に開幕を遅らせることで決着しましたが、サッカー界が、いち早くJリーグ公式戦を中止し、日本代表とJリーグ選抜による復興チャリティーマッチを震災から半月余りで開催するなど、迅速かつ国民的共感を呼んだ対応を取ったのとは、あまりに対照的でした。

球界再編や開幕問題のときの経験を振り替えると、球界が社会問題を引き越すのは、一部の人たちが密室で物事を決める体質が原因に思えます。ただ、彼らには隠蔽していることへの"罪"の意識がもしかしたらないのかもしれません。今回の事件は、NPBが舞台だったとはいえ、「オーナーが球団を私物化している」との批判を招く事態がしばしば起きることにも通底しているように見えます。それは、プロ野球の経営サイドが、いまだに旧態依然とした「興行」という意識が根強く、「文化的公共財」としての自覚が欠如しているということ。故にファンや選手をないがしろにする意思決定が継続的に起きるのです。勝負の世界に生きるプロ野球選手にとってボールの質の変化は死活問題です。私がスポーツ基本法の制定にこだわったのは、スポーツを行う者の権利を法的に保護するためですが、今回のNPBの対応は、基本法の理念を無視した格好となり、大変残念です。

既にメディアからは、コミッショナー交代を求める意見が噴出しています。しかし首のすげ替えに議論を矮小化しては、組織体質は変わりません。スポーツ政策に10年以上取り組んできた私としては、今回を機にプロ野球界のガバナンスを根本的に見直すべきと提言します。NPBは一般社団法人という組織形態を取っていますが、公益社団法人化して事業報告や決算などを内閣府に報告を義務付けるようにするか、株式会社化して株主や監査役の監視を受ける方が望ましいと考えます。外部からのチェックが不十分な現状では、不正の温床になる可能性があり、意思決定の透明化という点でも、誰かがコミッショナーの裏で「院政」を敷こうと思えばまかり通る状況なのです。

サッカー界は日本協会が公益財団法人であり、各クラブが毎年の経営数字を公開するなど、透明性の点でもプロ野球との差が際立ちます。一方のプロ野球も1954年の税務通達により、球団の赤字を親会社が広告宣伝費として損金処理できるという税制の優遇措置を受けておりますが、当然、そのためには公共性があることが前提です。球界の実力者の中には、新聞社という「社会の公器」のトップとして君臨されている方もおられるはずですが、野球は文化的公共財であるという自覚がおありなのでしょうか。統一球問題を機に、野球関係者や有識者、ファンを始め、公共財としてのプロ野球のあり方について国民的な熟議をしていくべきと思います。