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小中学校が多様な働き方のある社会にできること―菊池桃子氏の発言を支持して

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日本のPTA活動は悪平等である


政府の「一億総活躍国民会議」において、委員の菊池桃子氏が3月25日に「PTA活動はもともと任意活動なのに、すべての者が参加するような雰囲気作りがされている」と述べ、PTA活動がワーキングマザーの負担になっているとの指摘をしたとの報道があり、共感が広がっているという。これについて関連問題を議論したい。筆者自身は、子育て期をはるかに過ぎてしまっているのだが、女性活躍推進やワークライフバランスに関して発言してきており、この問題にも無関心ではない。

まず米国との比較であるが、米国の学校でのPTA活動への父母参加は完全に任意であり、それがPTA内の内規であれ慣習であれ、日本のように「父母の全員がほぼ同等に貢献すべし」というような「雰囲気」は皆無である。筆者自身米国で子育てをしたが、任意参加はしても、何か親が順番で役割をさせられたというようなことは一切なかった。後述するようにPTAのあり方もかなり異なる。

日本のPTAは、基本的に男性が家計経済を担い、女性は専業主婦として家事育児を担うという夫婦の「伝統的分業」を前提として作られたもので、多様化する有配偶女性の雇用のあり方に全く対応していない。実質的な任意性の欠如に加え、関連する大きな問題は「一律」なことだ。フルタイムで働く親も、パートタイムで働く親も、無職の親も、シングル・マザー(あるいはファーザー)も同等にPTAに貢献せよというのは、実は平等では全くない。

「使える時間」を「所得」と同様に考えるなら、時間について「貧乏」な人も「裕福」な人も同じ「金額」を払えというようなもので、悪平等である。

どのような点が問題か


では具体的に何が問題か。

まず、PTA役員の義務である。たとえば子ども一人につき、6年間のうち一度は何らかの役員を担うことを求められるという慣行を持つ小学校が多い。役員を未だしていない人から選ぶなどの、持ち回りの慣行が普通で、親の時間的制約に対する配慮はない。

また、例えば行事の企画を担当した場合、行事そのものが平日に行われることが多いのに加え、行事に向けた打ち合わせは1年を通じて、かつ平日に行われるということが多く、フルタイムで働く親にとっては大変な負担となる。かつ、この負担は「子ども一人につき」なので、子どもの数が多いほどより多くの負担を強いられることになり、少子化対策に逆らう慣行になっている。

さらに、授業や学校行事にかかわる事柄は本来学校ですべて行うべきであり、任意に援助する親以外の親の参加を求めてはならないはずなのだが、実際には様々な雑務を全ての親がしなければならないような慣行も多くの学校に見られる。小学校一年生の「算数ボックス」の中身のシール貼り、体操服や防災服のゼッケン貼りなどの様々な雑務だが、積み重なれば相当の時間負担を要する。

PTAの「ベルマーク運動」も仕分けにあたり親の奉仕活動を必要とし、有業女性がそのために蒙る機会コストが、ベルマークポイントによる収入をはるかに上回るという不合理も生んでいる。

もちろん、部分的には多様化する家庭に配慮する新たな慣行も生まれている。例えば、教育相談などは前もって提示された数日の中から選択可能とするとか、授業参観は平日だが、かなりの時間的余裕をもって事前に知らされ、仕事を休むなどして対応可能にする、などである。だがこういった柔軟性は、あるにこしたことはないが、それだけで有業の親に十分考慮しているとはいいがたい。

米国でのPTAの形は様々である。

かって筆者が聞いた社会学科の博士課程の学生の報告では、シカゴ都市圏でのPTAのあり方は父母の階層によって大きく異なり、比較的裕福な郊外の公立小学校では、父母の教育レベルが教師のそれを上回るため、PTAによる学校への資金援助も大きいが、学校への要求も大きく、学習の質の改善のためPTAが学校に様々の提案やアドバイスをし、学校がそれに協力するという形が多く見られた。

一方、市内の貧困地域の公立小学校では、親の教育レベルが教師のそれを大きく下回り、PTAは主として学校が学内の秩序や生徒の習熟度改善のため、生徒の学習態度や学内での振る舞いについて、父母に要望やアドバイスをすることへの橋渡しの機能が主であった。

もちろん、これらは両極端で中間形態も多いが、親から学校へ、学校から親へという主たる方向の違いはあれ、生徒の学校および家庭での学習環境や質の改善に対し、学校と父母が相互理解を深め協力するこを促進するというのが、PTAの役割であることは一貫していたと思える。

日本の小中学校の生徒の学習習熟度は平均では米国より高く、またPTAが学校での生徒の学習の質の向上に関与するということも少ない。そのせいか、逆にPTA活動の内容は本来の趣旨から逸脱し、上記のように学校行事への支援奉仕や、学校の雑無の下請け的なものに形骸化していると思える。だから親の任意参加問題以前に、PTAの活動について、学校は生徒の学習やその環境の質の向上に本来欠かせないものであるかどうかをまず精査し、重要でないものは廃止や合理化を考えるべきである。

また学校がボランティアの支援を得て維持したい行事があるのなら、働き盛りの父母でなく、地域の定年退職後の「時間裕福」な高齢者に援助を依頼することなども考えられて良い。

女性の活躍推進や男女平等に関して


さらに重要な点は、これも夫婦の伝統的分業を前提としてPTAが成り立ってきたことの結果だが、会長など「御神輿」は別として、PTAで実働する親の大部分が日本では母親であることだ。

米国では父親も母親もほぼ同等に参加し、アジア系米国人など父親に教育熱心な人も筆者の知る事例では参加率も高かった。一方日本でのPTA活動女性中心のあり方には、企業自体が伝統的分業を押し付け、男性のPTA活動参加への理解がないことも関係している。「男は仕事が優先」を、学校や家庭だけでなく、職場も当然としているからだ。この点、女性の経済活動を妨げているだけでなく、男性にとっても多様性も自由もない状態である。

筆者の分析では、年齢や教育や就業経験など他の要因を一定としたとき、女性正社員の中では末子が6-14歳の母親が、管理職割合が最も低くなる傾向が見られた。子供が6歳未満なら、政府の子育て援助施策などにより状況が改善してきたが、6歳を超えると援助が減るものも多く、責任の大きい職務とは最も両立しがたいのであろう。この年齢の子どもを持つ有業の母親に対しPTA負担はさらに状態を悪化させている。

筆者はこのため現在1-3年が中心の学童保育を4-6年にも延長すべきなどの主張をしてきたが、英国などでは特に課外時間で学校が共働き家族に何ができるかを議論されるの対し、日本では学校は逆に親に何をしてもらえるだけを考えているように思える。発想の転換が必要だ。

まとめ


以上まとめると、

  1. PTAはあくまで任意参加が原則であり、全ての親が貢献すべきとの考えは止めるべきである。

  2. PTAは、学校のあり方について学校と親の相互理解の橋渡しの組織であり、親の学校への任意の協力を得るための組織でもあるが、親の学校に対する奉仕活動のための機関ではない。

  3. PTA活動の内容について、それが本来生徒の学習やその環境の質の向上に欠かせないものであるかを精査し、重要でないものは親の負担を軽減すべく廃止・改変すべきである。

  4. 親の一律貢献の考えは、「時間予算」の異なる家庭に悪平等を強いている。

  5. さらに子ども一人当たりに一律の考えは、子供が多い親により多くの負担となり、少子化対策に逆行している。

  6. 仮に任意参加になっても、女性中心のPTA活動は、女性の経済活動の妨げになるだけでなく、多様性や自由を重んじる社会のあり方と矛盾し、この点根本的な改革が必要であり、特に男性のPTA活動参加に対する職場の理解が必要である。

  7. PTA活動の任意化および合理化からさらに進んで、学校は多様な働き方の存在する社会に対し、学校空間やその機能を用いて、課外時間にどう学校が社会やコミュニティーに貢献できるかを考え、人々がより自由に生活を選択できる社会への補完機能を持つべく努力すべきである。

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