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「デマ」時代の民主主義

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イギリスの国民投票の結果を受けて、世界中が混乱している。為替相場も株式市場も投票の行方に左右され、欧州各国もその結果を受けて右往左往している。その詳細は既にあちこちで議論されているので、ここで繰り返すつもりはない。

ただ、イギリスのEU離脱の衝撃の影で大変気になることが一つある。それは、国民投票の結果が出てから24時間も経たないうちに、勝利した離脱派が、自ら主張した内容が虚偽であることを認めたということである。

ガーディアン紙はLeave campaign rows back on key immigration and NHS pledgesという記事で、離脱派のリーダーであったイギリス独立党(UKIP)のファラージュ党首は「EUに供出している3億5千万ポンドがNHS(国民保険制度)に支払われる」というのは間違いであることを認め、離脱派で保守党の欧州議会議員であるハナンは「離脱に投票した人はEUからの移民がゼロになると期待しているが、その期待は裏切られる」と発言したと伝えている。

ハナンは「離脱をすることで、誰がどのくらいの人数入ってくるかのコントロールを少し強化するだけだ」とも語っている。

離脱に投票した人たちが何を期待したのか、ということを正確に知ることは難しいが、少なくとも国民投票前のキャンペーンではEUへの拠出金を国内に向けること、EUからの移民(しばしばシリアなどからの難民のイメージに重ね合わせて)を減らすことが出来る、ということを主張していたことは間違いない。

それらが実現すると期待して投票した人たちから見れば、これらの発言は大きな衝撃であり、裏切りに見えるのかもしれない。

こうした「誇張された主張」、もう少し厳しく言えば「デマ」が公的な言説空間に持ち込まれ、それが政治的な決定を大きく左右するような影響力を持つことを大変危惧する。

この状況はイギリスだけでなく、アメリカでの「トランプ現象」にもみられる。メキシコとの国境に壁を築き、メキシコに支払わせる、日本や韓国の核武装を容認するといった、およそ現実的に実現可能性が低い主張を公の場で、何の確証もないまま選挙キャンペーンに用い、その結果、共和党の予備選を勝ち抜け、大統領候補としての指名を確実にするというところまで来ている。

実際、大統領候補の発言のファクトチェックをしているサイトではトランプの発言は41%が「False(誤り)」であり、20%は「Pants on Fire(真っ赤なウソ)」であるとしている。

このような「デマ」がここまで力を持ちうるのはなぜか。

一つにはそうした幻想ともいえるような非現実的な政策であっても、公の場で語られることによって「本当に実現可能なのかもしれない」と思わせるような舞台設定があるからだと考えている。これまで公の場で語られることというのは、何らかのフィルターを通してチェックを受け、事実関係を押さえられた上で、実現可能という見込みがあるということが前提となっていた。

そのため、「まさかそこまで嘘を言うはずはない」とか「きっと何らかの腹案があるはずだ」という期待があるため、いかに荒唐無稽なことであっても、それを信じる根拠として「公の場」で語られているということがあるように思える。

この現象は、SNS時代の政治コミュニケーションの特徴なのかもしれない、という気もしている。SNSではしばしば繰り返される「デマ」は見慣れた風景になっているが、その「デマ」が拡散され、多くの人に共有される現象を見ていると、それがSNSという場で表明されるということは「何らかの根拠があるに違いない」といった暗黙の期待があるように思う。

また、その「デマ」を信じることで、自らの不満や怒りを収め、それらの感情を代弁してくれていると溜飲を下げ、それを信じ込むことで「デマ」が作り出す幻想に身を委ねることで心の安寧を獲得するということも、SNSの中では多く見られる。

こうした「デマ」への耐性の低さ、ないしは「デマ」に身を委ねることの容易さが、EU離脱派やトランプ支持者にもあるのではないかと思うのである。

厳しい現実を前にして、日々の不満や鬱憤を晴らしてくれるような爽快な言説が公の場で展開されているのを見て、拍手喝采を送りたくなる気持ちというのが、こうした「デマ」への支持に転化しており、ファラージュもトランプもそれを知りながら、意図的に「デマ」を展開しているという側面もあるのだろう。

つまり、公的な場で「デマ」を繰り広げることへの自己抑制を失った政治家が、自らの権力を得る手段として「デマ」を意図的に活用するのが当たり前になった、と言うことなのだろう。

もう一つ気になるのは、こうした「デマ」を抑止する仕組みが機能していないことである。イギリスの国民投票においても、離脱派の主張を否定し、現実的ではないと指摘するメディアは数多くあった。

しかし、その訴えは全くと言ってよいほど広がりを見せなかった。むしろ、現実に不満を持っている人たちから見れば、そうした「デマ」の否定は、エリートによる抑圧や既得権益の保全のための言説として見られていたのではないか、と考えている。

「デマ」を否定する人たちは、そうした合理的で理性的で冷静な分析をしたのだろうが、そうした冷静さそのものが忌避感をもって受け入れられているということは事実だろう。

日々の生活にムカついている人たちにとって、「上から目線」であれこれ言われることほどムカつくことはない。その意味で、「デマ」をデマであると否定すればするほど、「デマ」が力を持つという循環が生まれてしまっている。

では、どうすればよいのか、ということについて答えはない。SNSでの「デマ」であれば、その「デマ」を否定する言説が多数現れ、それによって「デマ」が一部の人達に共有されるにとどまる、という現象も起きる。

しかし、それがマスメディアを通じて拡散され、否定することが「デマ」を信じる人たちに拒否されるようになると、その先に「デマ」を否定する言説を展開する余地は無くなっていく。今回のEU離脱派のように、国民投票の直後に「デマ」であることを認めるというのは一つの方法であろうが、それは結果が出た後であり、ほとんど意味はない。

つまり、現代は民主主義、とりわけ国民投票やアメリカ大統領選のような直接民主主義に近い仕組みにおいて、「デマ」が勝つ時代であり、その「デマ」を意図的に利用する政治家が存在する限り、政治が混乱する、という時代なのだ、という自覚を持つことがまずは大事だと考える。

つまり、「デマ」は元から断つことが大事なことであり、いったん「デマ」が出回ると、それを否定することは難しい。故に、政治家が「デマ」を活用しようとする誘惑をいかに断って行くか、ということが第一にやらなければいけないことである。政治家個人の倫理の問題でもあるが、同時に政治家を監視し、チェックするメディアの役目でもあるだろう。

またメディアの役目としては、もう一つ、そうした「デマ」を拡散しない、という役割もあるだろう。EU離脱派を支持したのはタブロイド紙が多かったが、これらのメディアが「デマ」を拡散することは昔からだったとはいえ、そうしたタブロイド紙による「デマ」の拡散を抑制する仕組み(それがどのようなものになるのかはわからないが...。)も考えていかなければならないだろう。

さらに、こうした「デマ」はSNSによって拡散されていく。既に述べたようにSNSで拡散されるデマは場合によっては抑制することは可能であるが、常にうまくいくとは限らない。そのため、SNSを利用する人たちが、そうした「デマ」を拡散しないことを意識していくしかない。しかし、これも容易な話ではない。

つまり、現代の政治、なかんずく直接民主主義的な環境においては、こうした「デマ」がはびこり、「悪貨が良貨を駆逐する」ような状況にある、ということは避けられないことなのであろう。しかし、避けられないからといって民主主義そのものを否定することはできないし、民主主義を否定すれば状況はさらに悪化するであろう。

であるからこそ、現代の政治においては、より一層、個々人の意識、「デマ」に対する抑制的な態度が求められるようになっている。

そうしたことをどのように実現するのか、ということは永遠の課題ではあるが、少なくとも、まずは現状をきちんと認識し、「デマ」がはびこる民主主義の時代に入ったことを前提に、これからの民主主義を考えていく必要があるのではないかと思うのである。

今回はEU離脱派やトランプ現象を踏まえて議論をしてみたが、良く考えれば日本でも、「最低でも県外」といった、実現性の薄い主張をして政権を取った政党があったことを思い出す。そして実現性の薄い主張が実現せず、残念な思いをしたことの記憶も新しい。「デマ」時代の民主主義は米英だけの話ではなく、日本でもすぐそこにある問題なのである。

(2016年6月26日「社会科学者として」より転載)