BLOG

声明、ゴスペル、スーフィー音楽......世界の宗教音楽から考える、日本の文化とは何か

2016年04月30日 00時08分 JST | 更新 2016年04月30日 00時08分 JST

【対談】ピーター・バラカン × 僧侶・友光雅臣

2016-04-30-1461981982-4168566-_DSC6120.jpg

宗教音楽を、ライブ会場で聴いたことはありますか?

あまりなじみがないかもしれませんが、音楽は古代、人々が「人智を超える大いなるもの」に祈りを捧げた表現のなかから生まれ発展したともいわれています。

日本の宗教音楽といえば、仏教の声明、神道の雅楽などがあげられますが、冠婚葬祭などで何気なく聴く機会はあっても、音楽としてじっくり耳を傾けたことのある人は、案外少ないかもしれません。

「声明」とは、お経を旋律にのせて表現する、日本に1200年以上受け継がれてきた祈りの歌。日本の伝統文化を紹介する寺社フェス【向源】でも、独特のリズムをきざむ木剣加持・大迫力の法楽太鼓・音をイメージしたお香の演出とともに奉納される声明公演は、人気プログラムのひとつです。

桜が花盛りをむかえた4月の初め、ブロードキャスターのピーター・バラカンさんを寺にお招きしたのは、寺社フェス【向源】を率いる若き僧侶、友光雅臣(熊野山父母報恩院 常行寺・副住職)。バラカンさんは、今年の向源・声明公演の特別ゲストとして、「世界の宗教音楽」を選曲するDJトークをおこないます。

ブロードキャスターのバラカンさんと、お坊さんの友光さん。

話題は音楽だけにとどまることなく、信仰・文化・和のこころにいたるまで。

日本を奥深く語りあう時間ともなった、お二人の対談をお届けします。

◆世界の宗教音楽事情 圧巻のライブ

2016-04-30-1461982056-3700128-_DSC5894.jpg

友光さん: バラカンさんは本当に幅広く音楽を聴いていらっしゃると思うんですが、宗教的な音楽の中で印象的だったものはありますか?

バラカンさん: 僕が普段聞いている音楽はどちらかというとブラックミュージック、あるいはそれから派生したものが多いんですけど、ライブが一番盛り上がるのはゴスペルですね。

教会で歌われるゴスペルミュージックっていうのは、説教する牧師と信者のコール&レスポンス、呼応式で進んでいく。ライブコンサートもそういった形で進んでいくんです。

日本のお客さんは大人しいから、始めは丁寧に拍手している程度。だけど、お客さんがちょっと熱を返すと、歌い手たちはその倍の熱で返してくる。相乗効果でだんだん凄いことになっていくんですよね。

友光さん: 歌い手側とオーディエンスが呼応しあいながら、神さまに向けて歌う感じなんでしょうか? 共に向かう、みたいな。

バラカンさん: そうですね。どちらも両方、神に向かっている意識はあると思います。歌っている人も観客も、必ずしもクリスチャンとは限らないと思うんですけどね。ゴスペルの曲をやると、会場全体のエネルギーがものすごく盛り上がる。初めてゴスペルコンサートに行ったときは、本当に驚きました。

友光さん: 声明にはコール&レスポンスのようなものはないのでゴスペルの盛り上がりとは違うんですが、ユニゾンで音を重ねると、やはり普通の曲をみんなで合唱するのとはまた別のチカラを感じるんです。

声明は仏教やお釈迦さまの教えを歌うので、自分が普段日常を生きるうえで思ったり感じたりしていることよりメッセージの内容もスケールが大きい。もちろん街にもメッセージ性のある音楽はたくさんありますけど、それらでは歌い切らない範囲というか、もっと俯瞰した視野の広さがあるんですよね。

ゴスペルの他にも印象的だったライブはありますか?

バラカンさん: パキスタンの大歌手ヌスラト・ファテー・アリー・ハーン*(1)のコンサートも印象的でしたよ。25年くらい前だったかな、東京で観ました。本人を囲む形で手拍子をとりながら一緒にコーラスを歌う数人がいる。

伴奏といえば、空気を送って音を鳴らす「ハルモニウム」という素朴な鍵盤楽器くらい。そんなに難しくないフレーズの繰り返しなんだけど、途中から即興になる。これがもう凄まじいんです。

友光さん: 僕も似たような形式で演奏されるものをインドで聴いたことがあります。宗教的にはたぶん違うものですけど、形はほぼ近いような気がします。手で繰り出すリズムとハルモニウムとで演奏するんですけど、やはり途中から即興になるんです。そこからはある意味カオスなんですけど、すごく規則性も感じたりして。

バラカンさん:  ヌスラトはイスラム教スーフィーの音楽だけど、地理的に近いインドなら形が似ているものはおそらくあると思います。イスラム教のなかには一切音楽の表現を許さない原理主義的な宗派もありますが、神秘派のスーフィーの音楽は、即興に入るとジャズも真っ青で。

あれほど音楽で興奮することもそうそうないっていうくらい、気持ちが高揚しました。なかなか聴ける機会はないと思うから、今回お引き受けした【向源】声明公演の特別プログラムでは、その中の一曲を会場の皆さんにお聴かせしたいと思っています。

*(1)ヌスラト・ファテー・アリー・ハーン(1948年〜1997年)パキスタンの音楽家。イスラム教のスーフィー音楽カッワーリーの歌い手として世界的に有名。

◆日本人の信仰心と和のこころ

2016-04-30-1461982130-6908832-_DSC5826.jpg

友光さん: バラカンさんのご出身はイギリスでしたよね。ヨーロッパの伝統音楽はどんな感じなんですか?

バラカンさん: バッハくらいまでの時代はすべて宗教音楽といっても過言ではないですよね。僕がまだボイ・ソプラノだったころ、バッハの「マタイの受難曲」とか、あのあたりの曲を合唱団の一員として歌ったことがあるんです。あれも素晴らしい経験でしたよ。

友光さん:  日本では、学校の合唱の時間に声明の曲を歌うことはほとんどないんです。イギリスも家庭によって信仰する宗教は様々だと思うんですが、子どもの合唱団で特定の宗教曲を歌って問題になることはなかったんですか?

バラカンさん: 僕が幼かったころのイギリスは、国全体がキリスト教一色の雰囲気だったからね。それに、子どもたちも特にこれは宗教の音楽なんだという意識を持つというより、歌うこと自体を楽しんでいた。親たちの多くも、同じように楽しんでいたと思います。

それでも歌詞は聖書の言葉だし、キリストの物語の一部を歌うわけだから、全く意識しないということではなかったけれどね。宗教的な音楽を楽しんだり歌ったりしているとき、どれくらいの信仰心を感じるかというのは、人それぞれなのかもしれませんね。

友光さん: 信仰心といえば、僕はもともとお寺に生まれたわけではなくて、とりわけ宗教的な信仰心が強いタイプでもなかったんです。付き合っていた彼女がたまたまお寺の娘で、結婚を決めて、仏教の世界に入りました。

今では仏教をとても大切に思うようになりましたけど、信仰心とは何かとか宗教とは何なのかということは、お坊さんをやっている今でも核心を掴みきれていないところがあるかもしれないと思うことがあるんです。

仏教に出会う前の僕がそうだったように、日本には、自分のことを無宗教だと話す人が多いですよね。でも僕は、日本人に信仰心そのものがないとは思えないんです。

初日の出に柏手を打ったり、富士山や海や川に対して何かを感じたり。お墓参りをしてご先祖さまに想いを寄せたり。自分自身を超える何かや、大いなるものを感じている人は、とても多い。

バラカンさん:  「組織化した宗教」には属していない、ということなんじゃないかと思うんですよ。それは、信仰心の有無とは別の話ですよね。

日本人の思想のベースになった神道には、基本的に組織がない。

でも、山にも木にも石にも神が宿っているという世界観は日本の人々に浸透しているし、わかりやすいし、対立を生まない。生き方のひとつとしては、それで十分OKなんじゃないかと思ったりもします。

友光さん: 仏教が伝来したとき、神道は「他の神様がやってきた」と受け入れてくれたんですよね。大乗仏教も土地の神様を否定はしないから、神仏が習合して一緒にやってくることができた。

もちろん当時、何ひとつ問題が起こらなかったとは言い切れませんが、結果として、自己をちゃんと持ちながらも共存してくることが出来たわけですよね。そのスタンスは、和のこころにも繋がっているというか、今の日本人の精神性にもあらわれているように感じます。

バラカンさん:  日本は今でも、お寺のそばには神社が、神社のそばにはお寺がありますしね。初めて日本にきた他の国の観光客は、どっちがどっちか迷ってしまうかもしれないけれど・・・(笑)。

友光さん: 日本生まれ日本育ちの人からも、「初詣は神社に行けばいいの? お寺に行けばいいの?」なんて聞かれたりもします(笑)。古くから、日本人は神にも仏にも自然に手を合わせてきたんですよね。その曖昧さで、僕はいいと思っているんです。

まったく関連がないのならば、わざわざ神社とお寺を近くに置く必要はなかったと思うし、親和性があるからこそ、そういう形に落ち着いていったんだと思うんです。

◆来日して40年 変わり行くものと守るべきもの

2016-04-30-1461982630-771704-_DSC6048.jpg

バラカンさん: 日本の学校では、宗教を教えることはあまりないですよね。道徳観というとちょっと語弊があるかもしれないんだけど、何か行動しようとするとき、それが自分や社会にとって良い方向につながるかそうでないか、判断する尺度をどこに持つのかというのは大切な話です。

善悪の感覚っていうのは生きて行くうえですごく重要なものだし、宗教であってもそうでなくても、なんらかの尺度を持つことは大事なことだと思うんですよね。

友光: 自分の感覚や感情とはまた違うところに、もうひとつ別の客観的な物差しを持っておくということですか?

バラカン: そう。僕が来日したのはもう40年以上も前のことだけど、そのころの日本は儒教的な考えを持った人が驚くほど多かったんですよ。英語だとコンフューシャニズム(Confucianism)というんですけどね。

たとえば親孝行だとか、目上の人を敬うだとか、弱いものを助けようとか。そういう発言をする人も多くいて、日本人もそういう感覚が強いんだなって感じることがよくあったんです。

ところが、そうこうしているうちに、そういう話は以前より聞かなくなっちゃった。最近の若い人たちにもそういう感覚が伝わって来ているかどうか、疑問に感じることがあります。

友光さん:  情報の流れかたが大きく変わったことも関係しているかもしれませんよね。この10〜20年で他国の情報がよりリアルタイムに届くようになって、地球全体の価値観が均一化してきているんじゃないかと感じることすらあります。

同じスターを応援したり、同じドラマや映画を見たり。日常が似たものになっていくと、価値観も少しずつ均一化していくのかもしれないなぁと。

バラカンさん:   確かに、日本も外国からの影響を受け続けて西洋化もしているわけだから、人々の感覚は少しずつ変わってきていると思います。

ただね、他国の情報や映画やドラマに接して、見聞きした文化を何となく取り入れたような感じはするかもしれないけれど、日本の文化って本当はそこにはないわけですよね。

今はもしかしたら過渡期なのかもしれませんが、おそらくこういうものって100年とかそういう単位で変わっていくものだし、自分の生まれ育った国が昔から持っているものを再評価する価値は、大いにあると思うんです。

愛国心を育てようとかそういうこととは別の話でね、日本が大切に伝えてきたものの中で、何が魅力的で、どんな所がユニークなのか、もっと面白く考えられるきっかけが必要なのかもしれない。そういう意味では、今回の声明公演なんかもひとつのきっかけになるかもしれないよね。

◆人間のすることはすべて文化。その中で再発見する価値

2016-04-30-1461982687-5389583-_DSC6162.jpg

友光さん:  そうありたいですね。向源は「仏教・神道・日本文化」この3つを体験できるフェスとしていて、皆で楽しむ場を提供するのと同時に、日本を再発見するきっかけも提供していけたらと思っているんです。

ただ、そのなかで、質問されて考えこんじゃうこともあるんですよね。「向源は、宗教フェスなの?文化フェスなの?」と。僕はそこで文化のフェスですと答えているんですけど、「じゃあ仏教や神道は文化なの?」と。

音楽とか絵画とか彫刻とか、多くのアートに言えることだと思うんですけど、個人が楽しむものになるまで、そのルーツは宗教や信仰とものすごく密接なところにあったと思うんですよね。

厳密に切り分けて考える意義ももちろんあるとは思うんですが、バラカンさんは、そのあたりのことはどう思われますか?

バラカンさん: 僕は、人間がやることはすべて文化だと思っ?