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息子の耀に突きつけられた「ムコ多糖症」という現実。母親の私が泣いてるひまなんてない!

2014年04月16日 23時01分 JST | 更新 2014年06月16日 18時12分 JST

私の長男、耀は進行性の難病「ムコ多糖症」を持って生まれてきました。今回は「ムコ多糖症」がどんな病気なのかを私が知ったときのお話をします。

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今から13年前のこと。

大学病院の専門医の先生から確定診断には時間がかかり年末年始の休みも近いので、病名が分かるのは年明けになるかもしれない、とのことだったので次の予約は念のために1月12日に取り、もし年末休み前に診断がついたら電話で連絡を頂きたいとお願いをしておきました。

先生は約束通り電話をくださり『ムコ多糖症』という病名をメモに取りました。

医学生の従弟から資料をファックスで送ってもらい、当時はまだ珍しかったパソコンを持っていた妹にも調べてもらったものの、検索した内容を詳しく教えてくれません。どうやら何か分かったことがあるようなのですが、口が重いのです。

早々に従弟から送ってもらった資料は専門用語の記述が難しい。

従弟と電話で話しますが、「教科書にも載っている昔からある病気」と言うこと。

ガルゴイ様顔貌、骨変形、関節硬縮、肝肥大、重度の精神運動障害、ヘルニア・・・

細胞、蓄積・・・・・短命。

いくつか当てはまるけど、耀には重度の精神運動障害はない。

(13年前の)ファックスなので資料の文字や写真は粗いものの、赤ちゃんの様子は生まれた時の耀にそっくり。幼児の患者さんも良く似ている。大きな頭、膝が曲がり、お尻を突き出すような姿勢、丸く膨らんだお腹とピョンと飛び出たおへそ。

こうなったら自分で調べるしかないと、まだまだ高価だったパソコンを購入し夫に頼んでインターネットに接続します。

人生で初めてのインターネット。利用方法は良く分からないながらも

『ムコ多糖症』

と文字を打ちます。

なかなかヒットしない。

そして、ようやく行き着いたサイトにはムコ多糖症の男の子のお姉さんが書いた文章がありました。

小さいころは、健康な子どもと同じようにお友だちと元気に遊んでいたけれど、

小学校に入るころから背がのびなくなり、

背中が曲がり、体育の授業は見学。

お友だちのペースにもついていけなくなり、

放課後はひとりで陰にかくれるように

校庭の隅に座っていることの多かった中学時代。

息苦しく休みがちだった高校生活。

出かけることもままならなくなった二十歳の晩に、

ひとりでお風呂の中で心臓が止まり、亡くなったのです。

読みながら涙があふれてあふれて止まりません。

周りの人たちに理解してもらえない。

この男の子はどんなにつらかったことでしょう。

どんなに苦しかったことでしょう。

心からご冥福をお祈りしました。

同時にこの男の子と耀がぴったり重なりました。

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生まれてから2歳になるまで、どこか違和感を持ちながらも、寝返りやおすわり、ハイハイが出来るようになるたびにその成長を喜びました。保育所のお友だちが歩くようになっても耀はなかなか同じようになりませんでしたが、大みそかの晩、ばたばたと掃除をしている私の方に向かって一歩、そしてまた一歩とニコニコしながら歩いてきてくれました。「ママ、おとうさん」と呼んでくれるようになったばかりです。

保育所のお友だちとも毎日楽しくお歌を歌って、元気に遊んでいます。みんなと同じようにお砂遊びをして泥んこになった服をおむつや山のような洗濯物のと一緒に毎日洗っています。保育所の終了時間ぎりぎりに迎えに行って、大急ぎで夕食を作っているとお腹を減らしてお姉ちゃんと一緒に足にまとわりついてきます。出来上がった夕食をおいしい顔をしながら食べてくれます。

でも、体が硬く膝が曲がってお尻を突き出すような姿勢は変わらず、関節も硬い、いつもゼーゼーハーハーと苦しそうな息遣いをしています。

いろんなことが出来るようになっていくはずの成長が、

喜びを重ねるはずの成長が、

時間が流れるほどに動けなくなり、

息苦しくなり、大人になれずに亡くなってしまう。

背がのびないどころの話ではない。

耀が死んじゃう!

そんなこと絶対あかん!

耀に突き付けられた現実に母親の私が泣いてるひまなんてない!

泣いてる間にムコ多糖症は進行してしまう、本当に恐ろしい病気なんだ。

何とかしなければ、何とかしなければ、、、

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