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境 真良 Headshot

ネット選挙は失敗する。だからこそ...

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来る7月。多分、21日に、「初のネット選挙」と言われる参院選がやってくる。

ここでいう「ネット選挙」とは、「公職選挙法上の選挙運動でインターネットを使った活動が許される」という意味である。ここに至る道は平坦ではなかった。最近の報道だけを見ていれば、先の衆院選で突如各党の選挙公約に上ってから安倍総理大臣の強い支持であれよあれよと実現したとも見えよう。しかし、実際には、民主党やみんなの党、野党時代の自民党などの幾度もの挑戦の末に実現したものであった。今回についても、注意深く見れば調整には思った以上に時間がかかっており、おまけに各党共同提案はついに実現せず、自民・公明案と民主・みんな案が国会で激突する事態になるなど、安倍総理が強いリーダーシップで指示をした割には難産だったと言っていいだろう。

そして、一つ大事なことを言っておきたいのだが、こうまでして実現したネット選挙であるが、十中八九、ネット選挙は失敗する。

今回の改正は、候補者、政党以外の第三者が電子メールで特定候補者、政党に対する投票を呼びかけること以外は、ほぼ何でもやってよいというのが概要である。

これを立命館大学の西田亮介准教授は「理念なきネット選挙」と指摘する。なるほど、ネット部分以外の公職選挙法の規制と異なり、何をしていい、してはいけないという手取り足取りの規定はない。とにかく、選挙運動でネットを使おうという以外の主張は確かにここから読み取ることは難しい。

従って、確かに西田准教授の指摘は正しいと思う。だが、大事なことは、この「理念なきネット選挙」は敢えて選び取られた選択だという点だ。

今回の改正において、いくつかの「問題点」が予見、というか指摘されている。例えば、「落選運動」。一般的には特定の候補者への投票を呼びかけるのが選挙運動のイメージだが、逆に、対立候補を攻撃して投票しないように呼びかける運動もある。ネットの上で他者を批判する、いわゆる「disる」ことはかなり一般的に行われているが、他方で虚偽情報の流布など様々な「べからず」が公職選挙法にはある。具体的に、どういう行為、どういう言説がこの「べからず」にあたるのか、例えばTwitterで非公式RTした元が虚偽情報だった場合に非公式RTした本人が違反に問われるかとかなどは、過去のネット以外のものに関する判例やガイドラインなどを個々の候補者や政党、或いは事業者や個人が自らそれに抵触しないか思慮深く判断すべきものである。

しかし、どうにも思慮の浅い動きもある。例えば、西田准教授は、リアルタイムで民意を反映し、政治家をランク付けする事で集団の意志を簡単に伝える選挙調査アプリが公職選挙法で禁止された「人気投票」に該るのではないか、と指摘する。ネット選挙がネット関連サービス事業者にとっても祭りである限り、様々な試みが行われるのだろう。

もちろん、政府側でも事情はわかっているようで、短期間にしては詳細に定めた「ガイドライン」が4月26日付けですでに出されている。この「初のネット選挙」で混乱が起きないよう、最大限の努力をしていることは評価したいし、その努力は最後まで続けていただきたい。けれども、「人気投票」の具体的限界などには触れられていないし、そもそも選挙の現場で起きるあらゆることについての法的評価を事前にクリアにすることは不可能なことである。法やガイドラインに照らして「グレー」であるものが事後的に「問題」とされる事態は、それが仮に「クロ」と認定され法的責任を問われるというところまではいかないとしても、今回の選挙後、当然に起きる。つまり、「問題が起きる」ことをネット選挙の失敗というのなら、ネット選挙は失敗するのである。

だが、問題はネット選挙で問題が起きることではない。ネット選挙で起きる問題に対してどのように対応するか、だろう。

筆者は、霞が関でいわゆる規制緩和の大運動を経験したけれども、規制緩和には大きく分けて二つの方法がある。一つはよく設計された規制改革ともいうべきもので、古くなった現状の制度系を新しい制度系へ変えるというものだ。これは一見理想的なのだが、本当にそれが機能するかも見極めないうちから新しい制度系を打ち立ててしまうのだから、危険性が高いといえば高い。事実、官僚機構の特性として一度ある見解を打ち出すと容易には撤回しないので、思い込みの弊害に陥りやすいともいえよう。

そこでもう一つの方法がでてくる。それは、規制の撤廃、とは言えないまでも、理論的に最大範囲で規制を緩和し、弊害の発生を見ながら新たに必要な規制を設ける、作り込んでいくという手法である。おそらく、今回のネット選挙解禁案は、この後者に該るものだろう。

もちろん、これに対して制度設計者がそんな無責任でいいのか、と批判する声も上がると思う。しかし、制度設計をする上で、あらゆることについてその実効性を机上で見通すことなど現実問題として不可能である。逆に言えば、程度問題ではあるが、あらゆる政策は実験的性格をもっている。逆に、問題が起きないことを証明せよという悪魔の証明にかかずりあうことは、規制のあり方の見直しを実質的には忌避し、結果論として旧態依然とした制度を守り続けるだけになってしまう。

正直申し上げて、筆者自分にも、選挙運動に関して日本社会に合った制度設計がどのようなものか、現時点では判然としていない。だが、ただ一つ言えることは、それは今、この瞬間は不透明だとしても、将来に向かって我々が作り上げていくべきものだということだ。

我々は選挙運動にインターネットを導入するという選択をすでにした。確かにその導入の仕方はこういう道を選んだ以上、「失敗」は制度を練り上げていくための当然のプロセスだと腹をくくらなければならない。

だから、今の段階で一つだけ確信することがある。

今回の選挙運動でのネットの利用では、いくつもの問題が起きる。それを失敗というなら、今回の「ネット選挙運動解禁」は「失敗」する。

問題は、我々がこの「失敗」に直面してどう振るまうかだ。

すでに触れたように、今回のネット選挙運動解禁はとんとん拍子にいったわけではないが、裏返せばそれを望まない人たちも多いということだろう。そういう人々は「ネット選挙運動の解禁」は失敗だった、と言って選挙運動へのネット利用について過剰な制限を主張したり、或いは事実上これを禁じようとするかもしれない。

だが、問題が起きたからといって、ネットを使った選挙運動ができない時代に帰ることは、さらにまずいことだと筆者は考える。むしろ、選挙活動でネットを使えば、いわれのない誹謗中傷に反論する手段を候補者に与えることができる。大事なことだが、誹謗中傷はネット選挙で発生するものではなく、そもそも存在したものだ。むしろ、それに対して正々堂々公開で反駁できる手段がなかった方が問題だと、筆者は考える。加えて、有権者には、現実に起きていることがらに候補者がどう考えるかをタイムリーに知る手段ができ、しばらくすれば時々の選挙に際して各候補者がどう世間に約束していたかのアーカイブも手に入るだろう。これらは間違いなく、「選挙」をもっと公正なものにしてくれると思う。

だからこそ、ネット選挙が失敗だったとしても、「選挙運動でネットを使う」ことからは後退せず、起きた個別の問題を丁寧に検証し、知恵を絞って最低限かつ効果ある制度拡充をするということを、今のうちから我々は肝に銘じておきたい。あくまで事業者や候補者や有権者、いわば社会の成熟によって解決すべきものは社会の成熟を促すことを待つのも大事な姿勢だということを、私たちは確認しておきたい。

ネット選挙運動解禁の本当の正念場は、今回の参議院選挙「後」である。