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"Japan"に魅せられて

2017年07月26日 22時43分 JST | 更新 2017年07月31日 15時03分 JST

~現代世界で唯一、22 世紀を思わせる近未来社会システムを誇る日本。この国で旅行者を待ち受けているのは、明るい将来を期待させる近未来世界の様子を垣間見ることができる特別 な空間だった~

私は6年半の長きにわたって世界各国を旅して回ったのだが、「事前に頭に描いていたイメ ージ」や「リサーチから得た予備知識」と実際の姿がどの国よりも大きく異なっていた日本は、個人的に最も驚かされた国の一つである。

最初に触れておきたいのだが、日本という国は私が訪れた中で最も緑豊かな国だ。自然の美しさで知られるインドネシアのバリ島やニュージーランドでさえも及ばない。

特に海外からの旅行者にとって、日本というと東京をはじめとする近代都市の数々というイメージがあるため、それらの都市部を離れて地方へと足を延ばすと期せずして目に飛び込ん でくる自然の美しさにことさら圧倒されることになる。緑に覆われた山々、豊かな水をたたえる湖に河川、雄大な滝に地球のエネルギーが溢れる地熱地帯、そして数々の活火山、、、 このような大自然の見どころが全国に点在しているのである。

加えて日本人はこういった自然の持つ美しさをさらに魅力的にする術を心得ている。丘の斜 面に芸術的にレイアウトされた水田や幾何学的に耕された畑をはじめ、色とりどりの花が咲 き乱れる花畑など、人々の目を楽しませるよう至る所で景観に工夫がされており、伝統の日本庭園などはその代表格だと言えるだろう。また日本の地方で見られる建築様式は近代的で ありながらも伝統的なデザインがしっかりと反映された物であることが多く、点在する家屋 が周囲の景観と見事に一体化している様子などはフランスやイタリアの古い村落を彷彿とさ せる。

ただこの国が何よりも面白いのは、このように地方では昔ながらの様子が今でも色濃く残っている一方で、国内全体を見渡すと新幹線のような高速鉄道や高速道路網も見事なまでに発 達しており、インターネットや携帯電話接続環境に至っては世界でも1、2を争うほどだという事実である。東京では電車は分刻みどころか「秒刻み」で運行しているといったらどれほどの人がにわかに信じられるだろうか。

東京は世界で最もテクロノジーが発達した近未来的都市であり、信号機にはじまり地下鉄シ ステム、オフィスにレストランやカフェといった日常の様々な場面で最新の技術が活用されている。国内全体を見渡してみても、福岡などの大都市にある最新のショッピングモールや 商業施設を散策してみれば、「テクノロジーとの共存」といった点においてどれほど日本は 世界で1歩も2歩も先を行っているかということに気付かされるだろう。

例えばおよそ60歳以下のドライバーであれば、どの機種であっても最新カーナビの操作方法 は1分もいじっていれば簡単にマスターできるが、これほどテクノロジーが日常生活に根付 いている国家社会は世界を見渡してもそれほど多くはない。

では、このようにテクノロジーが高度に発達した日本では、日常生活の多くが自動化されてしまって人と人との触れあいが社会から全く無くなってしまっているのだろうか?

その答えはむしろ正反対なのだ。

何とも理由を上手く説明できないのがもどかしいのだが、日本人は対人関係における作法の 大切さを単純に守り伝えているだけでなく、「おもてなしの心」を実に自然に高いレベルへ と昇華させてきており、このようにして形作られた日本のカスタマーサービスの質は世界でも突出しているのはもちろん、ある意味芸術的ですらある。そしてその根底には、非常に複雑かつ奥深い日本の生活習慣の基礎となる「他人を深く敬う気持ち」や「人に喜んでもらうために尽力したいと願う心」といった要素が大きく影響を及ぼしているのである。

事実、タクシー運転手がサービスのためにあえて料金メーターの数字を切り下げた額を請求 したり、自分に道を尋ねた海外旅行者がしっかりと迷わず目的地にたどり着けるように、たとえ300 メートル先であっても一緒に付いていってあげるなど、日本人ならではの「思いやりの心」が実践された場面に私が出くわしたのは1度や2度ではない。

中でも忘れられないのは、あるレストランで食事をした際に店のオーナーが何回もお辞儀を しながら通りまで見送りに出てきてくれ、手配したタクシーが到着するまで一緒に待ってくれたのはもちろん、私たちが乗ったタクシーが視界から消えるまでずっと手を振っていてくれた事だ。また彼は日本人にしては珍しく、最初から最後までしっかりとアイコンタクトを 取っていたのも印象的だった。

しかし、こういったカスタマーサービスの質を通して見られる社会の特徴は、その奥にさら に複雑な要素が絡み合って形成されている日本の文化のほんの一部に過ぎず、それらを今回 すべて網羅することは不可能である。それでもそのうちの幾つかを取り上げて、日本人の持つ独特な「洗練された社会文化」や「倫理的な社会規範」といったところを紹介していきたいと思う。

まず何よりも、日本社会には互いを敬う気持ち、礼儀正しさ、美意識、そして立ち居振る舞 いに関する共通理解といった基礎が浸透している。これは海外から訪れる短期旅行者には簡 単には理解することはできないが、それでも生活している中でそれとなく感じ取ったり、実際に身を持って具体的に経験することはあるだろう。

また教育や育児に至っては、日本は全くもって他の国の追随を許さない。全ての世代において、日本人は実年齢に比例した基準をはるかに超える精神年齢の高さを誇り、例えば私が日本に滞在していた間、小さな子が公衆の面前で泣きわめいていたり、よそ見をしてフラフラ歩かないように母親が自分の子の手をぎゅっと引っぱっているといった光景を見た記憶がない。

むしろ子どもは母親の横か真後ろについてしっかりとした足取りで歩き、母親も全く心配していない様子でそのまま歩いていくといった光景が日常的で、小学生の年齢の子どもがここ まで独り立ちして自分の事に集中できているというのは、他の国や文化においてはなかなか お目にかかれるものではない。

このように、日本社会は実に独特な形で進化を遂げてきているが、その独特さゆえに世界からは奇異の眼でみられたり誤解をされることも少なくはない。従って、日本を観光で訪れる際には、このユニークかつ非常に魅力的な日本の文化を自ら積極的に理解しようとする姿勢を持つことを強く勧めたい。

「日本という国を表現するのにふさわしい単語は何か」と訊かれたら、私の答えは「美」を 置いて他にないだろう。日本人が創り出すもの、言動、そして社会生活やマナーなどの基盤 には「調和」や「最高質」の追求に加え、「美」を大切にする心が深く影響を及ぼしているからだ。

自然を生かした屋外の景観作りやインテリアデザインにはじまり、服の着こなし方にスーパーマーケットで袋に商品を入れる時の入れ方に至るまで、日常生活の中でここまで「美」を 自然に表現している文化は他にはない。特に身ぎれいなファッションに関しては、文字通り日本人は「美しさを身にまとっている」といっても過言ではないだろう。それはただ単に経済力があって高い服やアクセサリーを買える金銭的余裕があるからという訳ではなく(確かにそれも事実なのだが)、幼い頃から時と場合に応じてどのような服を着るべきかをしっかり教育されてきた結果であり、自分のためにはもちろん、他人へ対する礼儀として美しさと清潔感のある身だしなみを心掛けるという意識は、日本人であれば誰もが自然と身に付けて いるものなのだ。

余談だが、無機質な灰色の街の中を優雅に着飾って歩く日本人を見ると、まるで生け花や日本庭園を鑑賞するときのようにその美しさに目を奪われてしまう。他の国々では美しく着飾 るのは何か特別な日のみということが多いが、日本人にとってはまるで毎日が特別な日であるかのようにすら映るのだ。

しかし、ここで言う「美」は形式的なものにとどまらず、身振りや仕草といったところにも 見て取ることができるのである。日本人は歩き方や座り方に始まり、話す、食べる、子ども への接し方にまで優雅さを携えているのだが、その美しさをはっきりと定義させることはほぼ不可能に近いほど日常の全てに溶け込んでいると言っても過言ではない。

さらに深く観察していくと、日本文化に根付く躾の奥深さや一般的な教育のレベルの高さにも気付かされる。例えば、お店で買い物をする際に女性店員が「~円頂戴いたします」と言 いながらお金を載せるための小さなトレーを差し出す(日本ではお金を手渡しすることを好 まない)ことが多いのだが、その際の柔らかな声のトーンと一連の身のこなしには何とも言 えない一体感を感じさせるのである。

懐石料理店に足を運べば、まずは通された個室の芸術的な装飾やたたずまいに言葉を失う。 その後華麗な和服に身を包んだ女性がしなやかな身のこなしで配膳にあたってくれるのだが、 こういった要素が味はもちろん見た目も美しく飾られた料理の数々をさらに引き立ててくれるのである。

より日常的な場面においても、例えば通常は「単調でつまらない」と思われがちな仕事も日本人はクリエイティブなアプローチをしながら完璧にこなすことが出来る。中でもいつも元気ハツラツのガソリンスタンドの店員や、かゆい所に手が届く一流の顧客対応を提供してくれるホテルのフロントなどの仕事ぶりなどはまさに「お客様第一」を徹底させた日本流サー ビスの典型だろう。

また一つ私の経験として今でも印象に残っているのが、ある日の朝早く相撲部屋の稽古を見学に行った時に目にした光景だ。力士の集団が巨体を揺らしながら実に統制されて流れるよ うな動きで体を動かしている様子を眺めていると、まるでシンクロナイズドスイミングを見ているかのような感覚に陥ったものだが、このようにスポーツの練習といった「退屈の極み」 とも言えるものですら、日本人は無意識のうちに芸術的にアレンジできてしまうのだ。

この事実を踏まえると、世界でも他に類を見ない日本人の仕事に対する意識の高さも説明が 付く。私は日本人の「自らの仕事に対して見返りを求めずにただひたすら完璧に成し遂げる 事を目指して自身を捧げる」姿勢を、あえて究極のカルマヨーガの境地に達したようだと表 現させてもらうが、日本人の仕事に取り組む姿勢に関してはこれまでにも多くの方が言及し ているので、ここではこれ以上掘り下げて論じる必要はないだろう。

またこういった振舞いは礼節に関する厳しい社会ルールや長年に渡り受け継がれてきた伝統 といったところに大きな影響を受けているのだが、日本人はそれらを上手に自分のものとし て受け入れて昇華させているので、無理があって作為的だと感じることはなくむしろ自然体 で体現出来ているのが興味深い。

さて、そんな日本の社会文化にも当然ながらマイナス面が全く無いという訳ではない。世界 の最先端を行く住みやすい社会が実現されている陰で、多くの人が自分らしさを抑え込んで 「右にならえ」「朱に交われば赤くなる」の精神を求められ、時には行きすぎとすら思えるほどの偏った価値観に固執しながら仕事人間として職場と家の往復を繰り返す日々を送っている。このように、日本社会全体が社会的にも経済的にも成功を収めて一歩でも先へと進み 続けることを良しとして認める風潮にある一方で、帰宅ラッシュ時に電車の中で疲れ切って 眠っている人を見ると改めて日本社会の抱えるひずみについても考えさせられる。

ただ、これらのすべての要素が絶妙に絡み合っているからこそ世界に誇る近代国家「日本」 が成り立っているというのもまた事実であり、世界各国が日本社会から学ぶべき点は多い。

私個人的には、あえて「日本は世界で唯一、現在の時点で"22世紀"を生きている国だ」と 言わせてもらいたいほどだ。事実、日本を訪れると人類が近い将来どのような社会で暮らす ようになるのかといった近未来の様子を垣間見ることができる。言うなれば紀元前 5 世紀のギリシャや2世紀のローマ、15世紀のフィレンツェ、最近では19世紀のイギリスといったところだろうか。

もっとも、これらの国と比べると国土の規模は小さく、世界全体に向けた国家的影響力とい った面でも近年努力はしているもののさほど大きくはない。それでもこのサイズでこれだけ の影響力を持っているというのは逆に考えればむしろ特筆に値することであるのは間違いないだろう。

例を挙げれば、科学、テクノロジー、製造業、ビジネス、近代アート、ファッション・デザインなどから調理技術、クラシック音楽、建築、社会構造やカスタマーサービスに至るまで実に幅広い分野で日本は世界の最先端をリードしており、宗教においても禅の心を提唱する仏教は長い歴史と伝統を持ち、国内外を問わずその教えに共感し傾倒する者は多い。

私としてはもっと多くの人に日本を訪れてもらいたいし、その際にも東京、大阪、京都とい ったお決まりの観光コースだけでなく、いろいろな地方都市などに足を運びながら日本とい う国を多角的な視野から見て学ぶ機会を持ってほしい。

150年ほど前に日本人が西洋文化を積極的に学んで実社会の生活に取り入れたように、今度は我々が日本から学ぶ番なのではないだろうか。手本とした西洋文化を超えて発達を遂げた「青は藍より出でて藍より青し」を地で行く日本は、現時点で地球上最も高度な社会文化を持つ国家であるというのが全体的な 私の感想である。

翻訳者:河野英幸

ハフィントンポストUS版より翻訳・編集しました。