インドで広がる農家の債務免除:基礎研レター

インドでは、このような債務免除を求める農民のデモが広がっている。

(インド各州で広がる農家の債務免除)

9月1日から13日にかけて、インド西部ラジャスタン州のシカール地区等で何十万人もの農民らが主要道路を封鎖して抗議活動を行った。

農民側は州政府に対して債務の全額免除をはじめとする11項目(*1)を要求した。ラジャスタン州政府は14日に農家に対して総額2,000億ルピー(約3,450億円)の債務免除を発表し、農民1人当たり最高5万ルピー(約8.6万円)まで免除を受けられるようにすることで農民側の代表者と合意した。

現在、州政府は政策の詳細を決めるための委員会を設置しており、同委員会は1ヵ月以下に報告書を提出する予定となっている。

インドでは、このような債務免除を求める農民のデモが広がっている。

事の発端は17年3月の北部のウッタル・プラデシュ州議会選挙において、インド人民党(BJP)が農家に対する債務免除策を公約したことだ。選挙に勝利した州政府(BJP政権)は4月上旬に、総額3,636億ルピーの債務免除を決定した。

またパンジャブ州も同様に3月の州議会選挙で勝利した国民会議派政権が、選挙で公約した債務免除策を6月に公表した。

こうした流れを受けて、幾つかの州では農民らによる抗議活動が広がり、6月にはマハラシュトラ州、カナルタカ州で農家の債務免除を発表している(図表1)。

そして、今回ラジャスタン州が加わったことは、今後も抗議活動が見込まれる中部マディヤ・プラデシュ州や北部ハリヤナ州、西部グジャラート州などでの農民の士気を高めることになっている。

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(*1) 農民側の要求は債務免除に加え、政府が穀物を購入する際の最低支持価格の引上げに関するスワミナタン委員会の勧告の実施、農民の年金額の引上げ、政府が課した牛の売却禁止の撤廃などが含まれる。

(農民の経済状況が悪化)

農民の抗議活動の背景には、農家の所得環境の悪化がある。

インドの農業は農耕期に高温が続いたり、十分な雨量が得られないと、収穫量が大きく落ち込む脆弱な産業となっている。実際に産業別の実質成長率を見ると、天候の影響を受けやすい第一次産業の伸びは上下に大きく振れる傾向が見て取れる(図表2)。

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特に毎年6~9月まで続く南西モンスーンの影響は大きい。農業用水のほとんどはモンスーンの降雨に依存(年間降雨量の約7割)しており、その降雨状況によってその年の生産量が大きく変動する。

ここ数年のモンスーンの降雨状況は、2-3年前が雨不足となって凶作の苦しい状況が続いた後、昨年と今年は比較的順調な雨量が得られて生産量こそ回復したが、供給過剰によって農産品の取引価格は年初から下落している(図表3)。

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また近年は相続による農地の細分化により、農地が1ヘクタール未満の零細農家の割合が増加傾向(2000-01年の62.9% 2010-11年の67.1%)にある。

先進国では、農業の大規模経営が進んでいることとは対照的だ。こうした生産性の低い零細農家は取引価格の下落によって生産コストを回収できず、収穫を充てに借りたお金を返済できない状況に追い込まれているようだ。

小規模・零細農家は農業ローンのうち約8割を占めるが、その借入先は低利融資を受けられる信用農協や商業銀行などのフォーマル金融だけでなく、地主や商人による高利貸しを特徴とするインフォーマル金融の割合が大きいことも返済を難しくさせているようだ(図表4)。

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債務を返済できなくなった農家は破綻して自殺してしまうケースも多く、社会問題となっている。インド国家犯罪記録局の報告書(Accidental Deaths & Suicides in India,2015)によると、農業関係者の自殺者数は年間約1万2000人(*2)となっている。その自殺の主因を見ると先進国で共通して見られる健康問題は比較的少なく、「破産または債務」が38.7%、「農業関連」19.5%など経済問題が大半を占めている(図表5)。

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(*2) 世界の自殺の3/4以上が途上国で発生し、そのうち5分の1はインドとされる。 インドでは毎年13万人もの命が失われている。

(債務免除の功罪)

インド各州で広がる農家に対する債務免除は、適用対象を小規模・零細農家に限定したり、一人当たりの債務免除額に上限を設けるといった措置がとられている。全ての債務が「帳消し」とまではならないまでも借金に苦しんでいる人を救済する意味では、学校の授業で習った日本の「徳政令」と同じだ。

徳政令と聞くと、人道的に良い政策という印象を持つ人は多いかもしれない。しかし、経済への影響を考えると短期的なプラス効果は一定程度認められるが、中長期的な負の影響が大きいとする専門家の意見は多い。

まず短期的な効果としては、返済負担が免除された農家は生産活動を継続できるほか、政府資金によって銀行のバランスシートも改善するため、今後は優良な借り手への貸出が可能となるなど金融の正常化にも寄与するメリットがある。

一方、資金を捻出する政府財政は悪化する。インドは財政再建下にあり、中央政府には州政府が打ち出した債務免除策を資金面でサポートする余裕はない。

実際、中央政府のジャイトリー財務相は農業融資免除のための資金調達については支援せず、各州自身が行なうものとの見解を表明している。州政府はインフラ整備や社会福祉などの支出を削減して原資を確保するか、財政赤字を拡大させることになるだろう。

次に中長期的な効果を考えると悪影響が大きい。

1つはモラルハザードの問題だ。同政策は、しっかりと債務を返済してきた者にとって不公平であり、生産意欲を削ぐことになるほか、救済されたものにとっては最悪の状況に陥れば州政府がまた助けてくれると考えるかもしれない。

また貸し手側から考えても、農民が返せない借金を政府が請け負うことにより、農村では高利貸しが一層はびこることとなって正常な金融機能が育たなくなってしまう。

もう1つはインドの産業構造調整が遅れることだ。根本的な問題を解決するには農業の低い生産性を向上させていくしかないが(図表6)、このように競争力のない産業の延命に資金を費やすだけ、灌漑整備や交通インフラなどに回す資金がなくなる。

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インド政府は、「農家の所得倍増」を掲げて2017-18年度の連邦政府予算では農業予算を前年度の当初予算対比+13.0%増と拡充して生産性の向上を促す分野に資金を投入している。

具体的には、灌漑農地の拡大や上質な種子の提供、農村向け低利貸出の拡充など生産拡大を促す従来型の政策に加え、農産物卸売りポータルサイト「国家農業市場(e-NAM)」の整備を通じた取引コストの軽減に寄与する新たな取組み(*3)も進めている。

しかしながら、経済政策は各州政府が担う面も大きい。各州政府が農業の生産性向上に寄与しない債務免除策を執ってしまうと、中央政府が目指す農家の所得倍増も遅れてしまいかねない。

このように農業ローン免除策に対する専門家らの批判は多いが、BJPが政権を担う州政府は勿論、連邦政府で最大野党である国民会議派(INC)でも前向きな姿勢が目立つ。

インドの農業は、国民総生産(GDP)に占める割合が15%程度に過ぎないものの、就労人口の大半(5割強)が従事する。従って、農業への手厚い政策は人気を集めるのに最も効率が高い手段とされる(図表7)。

2019年の次期総選挙が近づくなか、政策は農村支援など選挙対策色が一段と濃くなってきている。

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選挙に勝たずして改革が望めないことは確かだが、生産性の低い農業を温存することになる。その結果、農業から製造業、地方から都市への人口移動を通じたインド経済全体の生産性向上の実現が妨げられてしまう。インドの「ポスト中国」の本格化は長い目で見る必要がありそうだ。

(*3) 国家農業市場(e-NAM)では、全国585箇所の農産物卸売市場をインターネットで繋ぎ、取引の活性化や効率化、不正取引の排除による透明性の確保を図る。これによって農民自身が取引価格を決定し、より利益を上げることができるようになるなど、農業の発展に後押しする計画となっている。取引可能な商品は青果物をはじめ、穀物や豆類、スパイス類など69品目。

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(2017年10月3日「基礎研レター」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

経済研究部 主任研究員

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