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福島智氏の語る「二重殺人」から 「ナチスの障害者『安楽死』計画」を考える

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NAZIS HITLER SPEECH
Adolf Hitler delivering a speech to the German people during the Party Congress of the NSDAP in Nuremberg, 1935, Weimar Republic. (Photo by: Photo12/UIG via Getty Images) | Photo 12 via Getty Images
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8月に入った日本列島は、大雨や落雷が相次ぎ、不安定な天候が続いています。7月26日未明に起きた相模原市の事件は、入所中の重度の障害者を狙った大量殺傷事件で、鉄のツメで胸をつかまれるような衝撃が今もなお残っています。先週、私は「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」の拡散・連鎖の根を絶つために」(2016年7月28日) という記事をまとめて、緊急に寄稿しました。これまでにないぐらい、多くの人から意見や感想をいただき、私自身もこの1週間、考え続けました。

被害者情報がまったくない中で、加害者が衆議院議長にあてた「犯行予告」が繰り返し紹介されていくことに違和感を覚え、子どもや青少年のみならず、大人にも容疑者の主張の一部に「理解」や、「共感」を覚える人たちが確実にいることを思うと、この事件が何を意味しているのかを徹底的に掘り下げる必要を感じました。事件から8日間、まだ少ないですが、数人の被害者の家族が取材に応じて、障害を持つ子どもとの暮らしや、やまゆり園での喜怒哀楽に満ちた日々を語る声が聞こえてきています。テレビ番組でも、加害者の主張を一方的になぞるような報道も抑制的になり、なぜ許されないかを共に考える姿勢も出てきたものと感じます。

この事件の持つ闇の深さと、不気味さは何だろうと考え続けている人は多いかと思います。そんな思いを持つひとりである私は、毎日新聞に掲載された福島智さんの記事に出会いました。福島智さんは、全盲と全ろうと重複障害を持つ東京大学先端科学技術センターの教授です。(記事の都合上、3カ所を取り出して引用します。まずは、福島教授の全文をお読み下さい)

強者優先の社会を連想...福島智氏 (毎日新聞2016年7月28日)

 「重複障害者は生きていても意味がないので、安楽死にすればいい」。多くの障害者を惨殺した容疑者は、こう供述したという。

 これで連想したのは、「ナチス、ヒトラーによる優生思想に基づく障害者抹殺」という歴史的残虐行為である。ホロコーストによりユダヤ人が大虐殺されたことは周知の事実だが、ナチスが知的障害者らをおよそ20万人殺したことはあまり知られていない。

容疑者は、今年2月にやまゆり園で働いている時期に大島理森衆議院議長にあてた手紙の中で、「やまゆり園」の施設名をあげて、襲撃方法も記述しながら、今回の「犯行予告」を行なっています。そして、異常な言動を知った施設の園長から、「障害者の殺害」を口走る容疑者に、「ナチス・ドイツの考え方と同じ」であることを伝えられています。その後、措置入院中に「ヒトラーの思想が降りてきた」とも語ったと伝えられています。容疑者の内面に頭をもたげていた「優生思想」が、ナチス・ドイツのヒトラーのものと共通であることに気づいたということでしょうか。さらに、ナチス・ドイツの障害者抹殺を知って、容疑者の「信念」が固まったのかは、まだわかりません。ふたたび福島さんの文章に戻ります。

被害者たちのほとんどは、容疑者の凶行から自分の身を守る「心身の能力」が制約された重度障害者たちだ。こうした無抵抗の重度障害者を殺すということは二重の意味での「殺人」と考える。一つは、人間の肉体的生命を奪う「生物学的殺人」。もう一つは、人間の尊厳や生存の意味そのものを、優生思想によって否定する「実存的殺人」である。

福島さんの「二重の殺人」という言葉は胸にささりました。犠牲者となった人々は、肉体的な生命を容疑者の凶行によって奪われただけでなく、「そもそも障害者は生きている意味がない」と存在自体を否定する優生思想によって「実存的殺人」の対象となり、「肉体と実存を二重に殺された」のではないかという指摘です。そして、事件の背景を、容疑者個人の特殊な事情に帰すのではなく、こうした考え方を育む土壌や風潮はどこから来たのかに言及します。

こうした思想や行動の源泉がどこにあるのかは定かではないものの、今の日本を覆う「新自由主義的な人間観」と無縁ではないだろう。労働力の担い手としての経済的価値や能力で人間を序列化する社会。そこでは、重度の障害者の生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。 しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理・メカニズムは、徐々に拡大し、最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。つまり、ごく一握りの「勝者」「強者」だけが報われる社会だ。すでに、日本も世界も事実上その傾向にあるのではないか。

福島智さんについては、私の友人である生井久美子さんが書いた『ゆびさきの宇宙-福島智 盲ろうの宇宙』(2009年・岩波書店)という感銘深い本があります。3年前に読んで強い印象を持っていました。この夏、お読みいただきたい一冊です。

ヘレン・ケラーと同じような障害をもつ東大教授・福島智.無音漆黒の世界にただ一人,果てしない宇宙に放り出されたような孤独と不安.それを救ったのが母の考案した「指点字」とその「通訳」の実践だった.盲ろう者として幾多のバリアを突破してきた福島の生き方に魅せられたジャーナリストが密着,その軌跡と思想を語る.

ゆびさきの宇宙  福島智・盲ろうを生きて

福島さんが書いているように、ナチス・ドイツが「障害者抹殺計画」を遂行したという事実は、あまり知られていません。私も、ユダヤ人に対しての大量虐殺(ホロコースト)と同時に、障害者・同性愛者等を対象とした大量殺戮があったことは知っていましたが、いつ、どこで、どのように計画され実行されたのかについては、現在までほとんど知りませんでした。図書館から、書店から急いで書籍を集め、先週から読み始めています。

今は『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』(ヒューG.ギャラファー著 長瀬修訳・現代書館・1996年) を読んでいますが、序論から簡単に読み進められない内容です。

ヒトラー帝国の医者は慢性病患者を殺害する計画に参加したのである。20万人以上のドイツ市民が自分たちの医者の手によって計画的に効率よく殺されたのである。命を失ったのは社会の良き市民たちだった。多くは死病にかかっていたのではない。絶え間なく苦痛を訴えていたのでもなければ、著しく苦しんでいたのでもない。殺されたのは、施設に収容されていた精神障害者、重度の障害者、結核患者、知的障害者である。医者の目から見て「生きるに値いしない」と判断された生命だった。

この計画はヒトラーが承認し、第三帝国の国家社会主義政権の支持のもとで実行されたのは事実だが、だからこれをナチス計画と片づけるのは誤っている。これは、ナチス計画ではなかった。この計画の生みの親は医者であり、実行者も医者だった。医者が殺したのである」

ナチスドイツと障害者「安楽死」計画

教会などが運営する施設や、ドイツ各地の精神病院に「灰色のバス」が患者を迎えにやってきて、治療ではなく抹殺のための病院へと次々と搬送された人々が、シャワー室で絶命し、遺体となって焼却されていく...本来、病状を回復し生命を維持するはずの病院の一角から、遺体焼却の煙が絶え間なく立ち上るという光景がなぜ生まれたのか、途中まで読んで寝入り、夜中に起きて続きを読むような内容です。

今回の事件後に、容疑者の犯罪を全面的に容認できないまでも、「障害者に生きる価値があるのか」という問いかけに耳を傾けるべきだ...という言説が出てきています。おそらく、福島さんが指摘しているように、不安定雇用が常態化している日本社会では、「社会の効率」「価値を生まない」「税が投入されている」等の角度から、1930年代のドイツの医学界で起きた悪夢を「評価」し、「共感」する人々のすそ野は広がっていることと思います。

日本は、高度経済成長と共に、「福祉国家」をめざしてきました。自民党政権でありながら、当時の社会党の主張を入れて、社会保障政策を充実させ、世界に誇れる国民皆保険制度を構築し、障害者福祉も充実してきました。それらは私たちの社会が壊してはならない重要なインフラであり、暮らしを支える土台となっていると言っても過言ではありません。以前は若かった私たちも、10年経過すれば、10歳年をとり、高齢者になれば、身体の病気や不具合も珍しくなくなります。 加齢による身体機能の衰えと介護の必要も一般的で、介護保険制度を軸に、市町村の現場では福祉現場の人たちが懸命にサポートを続けています。

ナチス・ドイツの「障害者『安楽死』計画」が医師と医療機関の手で組織的に実行された歴史を見ると、一握りの「悪魔」の思いつきには見えません。優生思想を合理化して、死に導くことが正義であり、社会の進歩だとして、治療ではなくて殺人行為をしていることを正当化してきた時代から、私たちの社会はどれだけ進歩しているのでしょうか。そこを掘り下げて考えていきたいと思います。

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