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「教えない学校」は「総合知を豊かにする教育」をめざす

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SCHOOL CHILD JAPAN
Michael H via Getty Images
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「もう一度、子ども時代をやり直すことになったら、あなたはどのような学校や授業を望むだろうか」。もし、私がそんな問いかけを受けたとすれば、「教えない学校」と答えます。「教えない学校」とは、生徒が自立的にプログラムを組み立て、試行錯誤の自由があり、子どもにとって自らの力で未知の「知識」や「技術」を身につけ、美しいものやみずみずしい芸術・文化の創造の機会に恵まれ、学科にとらわれず一生忘れない「総合知」を身につける学校。そんな学校があったらいいと考えてきました。

ぼんやりと教室から窓の外を見ると、青空のもとにユニークな形の雲が広がっていて、その雲の配置も風の流れで少しづつ変化していきます。そんな雲に見とれて空想の世界に入っていると、突然、現実に戻されます。先生に指名されたのに、そのことに数秒間、気づかなかったようで教室には「なんだ、あいつは」というような笑いが広がり、先生からお目玉をくらいます。そんな子どもだった頃のことを思い出します。

この半世紀の間、「教育改革」という言葉が語られなかった時期はありません。教室の外に広がっていく風景は、「社会的現実」というリアルな広がりでした。伝統的な日本の学校では、学校で習うことを正確に覚え、ペーパーテストに記述することで評価を受けるということにありました。学習内容は社会に直結せず、抽象的な関わりを漠然と感じさせるにとどまっていました。

本来の人間の学びは、厳しい自然環境に耐えて生き抜いていくため技術の習得であり、外界と分かち難く結びついていました。川や湖を移動する船をつくるためには、年長者のこれまでの経験知を引き継ぎ、新たな工夫を加えていきます。不十分であれば船は進まず、あるいは浸水します。失敗を通して、また若者たちも技術を習得していきます。

しかし社会が高度化するにつれて、学習内容は「教科」に分解され、また「学習内容」は教科書による授業、理解度を試すテストによって循環していきます。学校で習ったことが、学校のテストと入学試験で役に立つ以外に、本物のリアルな社会とどうつながっているのか、学校の先生も明確に示せない時期が長く続きました。

私は中学2年生の時に、1941年の太平洋戦争突入前後で「歴史」の授業を「時間がなくなった」として中断した先生に対して、「歴史を学ぶのは、近現代史を通して、どのような未来を描くのかを身につけるためだ。先生の授業の順番はおかしい」と批判したことを思い出します。「近現代史は評価が定まっていないから難しい。教科書を読んでおけ」というのが私に対しての返事でした。

さて、オランダ在住の教育研究家、リヒテルズ直子さんを招いて、世田谷区の教育委員会の研修で、また保護者が多く集まる講演会で、世界の教育改革の動向を聞きました。オランダやデンマーク、フィンランド、スコットランド等で始まっている教育改革への動きは、国や制度の違いを超えて私たちに「気づき」を与えてくれるものでした。

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リヒテルズ直子さん(HPより)

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リヒテルズ直子さんの講演会

リヒテルズ直子さんによれば、オランダでは、すでに「どう教えるか」(知識伝達)から、「どう学びを充実させるか」(学習支援)へと重心を移しています。正確に暗記し、知識としてストックして、その成果をテストで検証するという従来型の「教える学校」は存続していきますが、「学びの充実」とは子どもの学習プロセスを個別に支援することで、必ずしも正解を教えることではありません。学校現場でも「授業スキル」(学習指導要領、教科書、授業技術)の向上から、「教育学的環境づくり」(個別の子どものニーズに沿った学習支援)が焦点となるそうです。

こうした変化の背景には、社会構造の変化があります。かつての「産業社会」は、ものづくりや正確で効率のいい処理能力を鍛える教育を求めました。ところが、現在は「市民社会」が形成されていて、多様な価値観を受け入れて、異文化と共生し他者と協働するする多様性が求められていきます。オランダも移民を数多く受け入れてきた社会です。異なる文化や価値観、言語の壁を、教育の力でフラットな市民社会を形成していくことに、きわめて大きな力を注いでいると感じます。

そして、世界各国の教育改革は、教育工場のような知識伝達の一斉授業から、ひとりひとりの子どもの能力を最大限に引き出していく「個別学習支援」へと舵を切り始めているとリヒテルズ直子さんは言います。さらに、子どものひとりひとりの個性の違い、その多様性を受容するインクルージョン(包摂)が行なわれることと、経済格差がそのまま教育格差に結びついていくような悪循環を教育で断ち切ること、また「読み書き」の時代から「ICT技術」の活用へと踏み切ること等が共通項だとしています。

教科書による受動的学びから、トピック学習(教科にとらわれない題材をテーマに多角的に取り組む総合的学習)を中心としたホンモノの題材による能動的学びへの転換を進めていくことや、民主的シチズンシップ教育を通して、批判的に考えることができて市民社会の一員として育てられる教育の推進があげられます。また、学校建築においても、子どもたちが学習するのに最適な場であることを意識して、子どもたちの内面的安定と充実が保証される環境をつくること等です。

さて、オランダをはじめとした先進的な教育の取り組みを聞いて、ため息をつく時代は終わりました。私たちの関心は、日本の学校現場がこれからどのように変わっていけるか、その具体的な道筋を描くことにあります。

学校現場の話を聞くと、教員の多忙化には拍車がかかっています。授業の準備に時間をかけたり、子どもと向き合う時間を惜しまないと、事務処理が間に合わないと追い立てられるという話も聞きます。「学校が変わる」ということは、「教員が変わる」ということであり、「子どもの幸福度が保証される環境」は、「忙しすぎる教員の生活」を放置しておいては出来ません。

同時に「学校教育」の現状を嘆いたり、否定するだけでは何も生まれてはきません。どうしたら、学校の風通しがよくなり外から人材や情報が入ってくるようになるのか。授業をどのように改善したら、学びの改革に結びつくのか。ICT機器の活用のための基盤をどのように構築していけばいいのか。

私たちは現実をよく直視しながら、その現実を永遠不変のものと認識せずに、世界各国で意識化されている「学校の変容」「学びの改革」への道のりを歩むことができるように、準備を始めたいと思います。そのために、一見遠回りでも、「学ぶとは何か」を徹底的に掘り下げてみたいと思います。