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仕事のための仕事が、大仕事になっている。

2014年09月08日 17時23分 JST | 更新 2014年11月07日 19時12分 JST

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このところ育児について書いているのだけど、母親の育児のしんどさを考えていき、それに加えて父親が育児に参加できてないのはなぜかなどと考えていくと、ワークライフバランスの話に行き着く。

例えば家事ハラの議論が出たり、逆に男もつらいって話も噴出したりするにつけても、男性の働き方がそもそもおかしいんじゃないかという論になっていく。

それもこれもあれも、すべての問題は、日本の会社と会社員の関係のイビツさに行き着くと思う。簡単に言えば、日本の男子は会社に長時間居すぎるのだ。会社からかんたんに帰れないから、毎晩9時10時11時果ては午前様では、育児に参加できるわけがない。それが日本の子育てを息苦しくし、ややこしくしている。

少し前にハフィントンポストに載った靴屋さちこさんの記事「午後4時に退社? フィンランド人が徹底的に効率よく働く理由とは」では、フィンランドのビジネスマンが残業しなくてもかえって効率的に働いている様子が描かれていた。それと比べてしまうと、日本人は働き方が効率悪いということになる。

個々人の働き方もあるが、日本の会社という集団が持つ文化が効率性や合理性を著しく欠いているからだと思う。そう、かなり"文化"の問題なのではないだろうか。

会社という集団には、仕事と同じくらい、仕事のための仕事が多い。

例えば仕事を進める上で、"決める"というプロセスが必要になる。何度も何度も必要になる。そのたびに、"決める"ための仕事が発生する。これに、本来の"決める"のに必要な時間とエネルギー以上が費やされることになる。

何より、決めるための決め方がはっきりしていない。ある業務の、ある決定事項を、誰が決めるのか決まっていないのだ。

担当者が決めれば済む。でも自分一人で決めるわけにはいかない、ということで、所属チームのみんなの意見を聞く。担当者より下位の人間の意見も気にしたりする。意見を聞けば聞くほど、決まらなくなる。スケジュールが一週間延びる。

ようやくチームの決定が出るのだが、担当者がちょっと待てよと思いとどまる。上長にも意見を聞いておくかとか言いだす。聞いてしまう。いまそこを聞かなくてもあとで全部まとまってから聞いてもいいことでも、つい聞いてしまう。聞かれた上長も、勝手に進めてくれればいいと思っていたのだが、意見を聞かれたもので「かくかくしかじかじゃないか」などと思いつきで言ってみたりする。言われた担当者は何しろ上長が言ったことなので真芯で受け止めて意見を反映させようと差し戻す。それで作業が増えスケジュールが一週間延びる。

上長の意見を反映させたもので進めようとするがそこで担当者は待てよ、とうっかり考えてしまう。この案件は間接的にあっちの部署にも関わるぞ、意見を聞いておかないとあとあと何かあるかも、などと気を回してしまいあっちの部署にも聞いてしまう。聞かれたあっちの部署でもまた聞かれた担当者がチームのみんなに聞き、上長にも聞いたりと同じ経過で時間がかかり、新たな意見を言ってくる。これを最初の担当者がまた真に受けて意見を反映させる。また作業が増えて一週間遅れた。

でもこれで決定だなと進めればいいのにさらに担当者がリスクヘッジでいちおう進捗を簡易に報告書にまとめて上長に渡す。あとあと誰かに何か言われないようにと考えてのことだ。渡された上長も、渡されたからには報告しておいた方がいいなと担当役員にそれを渡してしまう。担当役員はたまたま類似案件を前にやったことがあるのでそこそこ詳しい領域だったりする。なんだなんだこのやり方はなどと意見したくなってしまう。

報告書に担当役員の意見が添えられて担当者に戻ってくる。あちゃー、これ反映させないわけにはいかんやん、とさらに一週間作業が遅れてしまう。

ここまでで一カ月遅れてしまい、納期がもう延ばせなくなってきたのでチーム全員で毎晩残業してしまう。

そうやって苦労して納期延期してやっと終わったと思っていたところに、社長の意見が下りてきて・・・と、もはや終わりが見えなくなってしまう。ようやく完了した時には、誰の意志で何をめざしていた作業か、担当者にもわからなくなっている。

かなり誇張して書いているが、多かれ少なかれあなたの会社にも起こっていないだろうか。

日本の会社は万事そんな感じなので、その組織の中で話を通せる、調整できることがひとつの能力として認識されている。ここでの調整力とは、その組織の中で誰が重要で、どんな話を着地させる時に誰に話を通しておけばいいか知っていることだ。ものすごく組織に依存したことで、一般性のある能力とは言えない。でもその組織の中ではとても重要視される能力だ。明文化すれば共有できるのだが、あまりにそれぞれ微妙なので明文化できず個人に依存した特殊能力になる。

そんな仕事のための仕事が上手な人はほんとに多いし、評価もされている。・・・でもそれって何なの?どうなの?それは一般的な意味で能力と言えるのだろうか。

会議なんてのも、半分は組織運営上必要だが、半分は仕事のための仕事に陥っているだろう。会議には議論して物事を進めるために行うものと、情報共有のために定例的にやるものとがある。

情報共有なんていまやグループウェアや社内SNSがいろいろできていてしかも安い。だから会議を減らしてそういうツールで代用できる。ところが、そういうやり方に拒否反応を示す人が多い。うーん・・・でもやっぱりコミュニケーションは顔を突き合わせてだなあ。もちろんそうだ!だから直接会うのとITツールをうまく組合せれば断然効率的になる、ということなのだが、なぜか拒否反応側の人はすぐ、ITを導入すると直接のコミュニケーションがすべて代替されるのだと極端に受け止める。

かくして、グループウェアを導入するかについて、会議が何度も何度も行われることになる。

物事を決める会議も、その会議の運営者や責任者が曖昧になることが多い。よし、あいつとこいつとそいつで集まって会議しよう!あいつを呼ぶってことは、上長のA部長はどうしましょう。うーん、じゃあAさんも声かけてくれ。こいつとそいつを呼ぶなら、B部長とC部長も呼ばなきゃな。ABC部長が揃うのに、X本部長は呼ばなくていいですか?もちろん呼べ!

かくて4人で済むはずの会議が、会社のえらい人がけっこう揃っちゃう十数名の会議になる。会議を招集した人はとにかく集まればいいと考えていた。4人の会議ならそれでよかっただろうが、十数名が集まると、進行役がしっかりしてないと進まない。ところがその会議で突然「じゃあ山田進行役やれ!」てなことを突然言われるもんで山田が「ええー?!」とビビりつつアジェンダ設定抜きで会議が始まる。だがなにしろ、部長が3人いて本部長までいるのでみんな意見が言いにくい。それでも頑張って出てきた意見に対し、A部長が「それはだなあ」と言いだす。こうなると部長級しか意見が出せなくなり、最後に本部長がそれまでの議論をまったく無視したことを言うもんで、2時間費やして出た結論は、担当チームで議論して決めたことを次回の会議で検討する、というもの。だんだん、何を議論して何を決めるべきだったのか、わからなくなってくる。

こういった非効率な会社の文化は、二十年前からある。90年代から日本中の会社がだいたいこんな感じだった。

そして驚くべきことに、二十年後の今も、だいたいこんな感じだ。社員が何万人もいる一流大企業でも、その中でも上層部のエリート部署でも、だいたいこうだ。二十年の間に上場して立派な企業になったようなとこでも同じ。そして厄介なのは、上場企業ほど、コンプライアンスだガバナンスだのをめんどくさく解釈しちゃって、こんな感じが増幅している。コンプライアンスだガバナンスだが、上場企業の効率性を下げている。本末転倒ではないか。

こうした非効率な企業文化を変える手だては、ちょっとした書店に行くと山ほどビジネス書があってそれぞれ納得の処方せんが書いてある。でも書いてあることをそのまま会社に持ち込もうとしても、ウザがられるだけだ。会社のトップもしくは実力者が本気で「このままじゃいけない」と思わないと変わらないのだから。あれ?そうすると、だったら変わらないという結論になってしまうなあ。

ということは男性はこれから先も会社に縛られつづけ、育児に関われない状態も変わらないのだろうか。

どうしたらいいと思いますか、みなさん?

見出しをコピーのように書き、ビジュアルも企画性のあるものを作るシリーズ。ちょっと間があいてしまったが、そのやり方での久しぶりの記事となった。BeeStaffCompanyのアートディレクター上田豪氏と取組んできた。この手法で広告の仕事もやってみたいんだけどなあ。興味ある方いたら、連絡ください。

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コピーライター/メディアコンサルタント

境 治

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