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美術としての仏像は有りか?

2013年11月18日 23時36分 JST | 更新 2014年01月18日 19時12分 JST

『産経新聞』が「MORITA 青山に直営店」という記事を配信していました。短い記事ですが、いろいろ思うところがあったので、これについて少し。

1 記事の紹介

「仏像の企画・制作・販売を行うMORITA(埼玉県東松山市)は、初の直営店を東京・青山にオープンした」という記事で、「仏像をインテリアとして楽しんでもらうための情報発信拠点とする」そうです。

「同社は、阿修羅像や弥勒菩薩像など京都や奈良の国宝級の仏像のレプリカを平成19年から制作し、鑑賞用のインテリアとして1万9950円から販売して」います。

「21年に各地で開催された「阿修羅展」をきっかけに、同年の阿修羅像の販売数はそれまでの累計30体から、1700体に急増」するなど、「阿修羅ブームに伴う仏像全体への関心の高まりから、22年以降は」、「販売が3年連続で前年比5割増となる好調が続いている」そうです。

2 インテリアとしての仏像

私がこの記事をみて最も心にひっかかったのが、「仏像をインテリアとして楽しむ」というところです。

仏像はいわずと知れた仏教の信仰の対象で、それをインタリアとして楽しむことがどうなのか思ってしまったわけです。

ただ、その一方で、仏像は博物館など多数展示されており、私も喜んで鑑賞してきています。どう考えても美術鑑賞と同等に見ており、室内のインテリア鑑賞と同じことをしているわけで、こうした活動を一概に否定するつもりはありません。

日本には、ほかにもいろいろな神がおり(日本の神々について)、神道もあるわけですが、神楽を音楽として楽しんでいる方もおられます。

3 他の宗教

また思ったのが、これが仏像だからそうなる面もあり、他の宗教であれば(たとえばキリスト教に端を発した宗教音楽やヒンズー教の砂絵など)、明らかに芸術として見ている面が強く、その背後にある宗教についてどこまで考えているとかと、ふと思ってしまったわけです。

他にも、十字架をファッションとしてしか見ていない人もいるわけで、以前それについて如何なものかという意見もあったわけですが、宗教本来の意味を考えていないという意味ではどこまで違うかという話にもなります。

4 敬意

斯様に特定の宗教に関係するものだからといって、その物に対し、必ず信仰や畏敬の念を持たなくてはならないのかというと、必ずしもそういうわけではないかと思いますが、そうした宗教関係の物品をないがしろにするというのも如何なものかと思います。

当然、自分の信仰している宗教とは異なるので、信仰の対象とはならないわけですが、他人が信仰しているもの、大事にしているものに対し、敬意を払わない態度はどうかと思います(性暴力を行う子供たちから見る教育の重要性と性教育の方法)。

おそらく最後はこの「敬意」という話で、自分が大事にしているものを他人がないがしろにするのを見たら良い気持ちはしないわけで、最後は自分も他人に同じことをしたら他人がどう思うかという話です(日本の「度量」と同調性)。

5 最後に

結局は寛容さという話になるのかもしれませんが、宗教が絡んでくると一神教の問題もあるので結構厄介です(『ふしぎなキリスト教』)。

一神教を信仰することそれ自体が、他の神の存在を否定することでもあるので、一神教の信徒に他の宗教への寛容さを求めること自体が教義的に難しい面もあるわけで、かつての宗教戦争のし烈さもこうしたことが背景にあるのかと思います。

かといって、自分だけが正しいという発想はどう考えても間違っているので、たとえ宗教とは言っても(自分にとって如何に大事なものでも)、他人は自分とは違うということを、再度思いだしてもらうしかないのではないかとも考えています。

(※この記事は、2013年11月19日の「政治学に関係するものらしきもの」から転載しました)

世界の仏像 画像集