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夏休みの思い出など

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 石破 茂 です。
 子どもの頃の夏休みについて、前回に続いてもう少し記したいと思います。
 読書感想文の課題図書は毎年どうしてこんなにつまらないのか、と思ったものですが、それを読んだ感想はどうしてもあらすじ紹介みたいになり、「...ここはとても面白かったです」「...ここはとても可哀相だと思いました」などとその場面場面に応じた感想を書くような代物になってしまい、夏休みで帰省していた当時大学生だった姉に「こんなものは読書感想文ではない!」と叱られて泣きそうになったものでした(ちなみに我が家の女性たちは皆教員資格を持っており、実際母は国語、上の姉は英語、下の姉は歴史の教師でした)。

 自由研究がまた難物で、小学四・五年の時(昭和四十一・四十二年)はスクラップブック作りという一風変わった研究(?)をしていました。
 その頃父が公職にあったため、住んでいた官舎は朝日から産経まで全紙購読しており、新聞によってものの見方がこんなにも違うものかと幼心に思ったことでした。
 晩夏から初秋にかけて内閣改造が行われるのは当時も恒例行事であったようで、「遅咲きの桜、満面の笑み」「苦節○○年、大願成就」などという佐藤改造内閣の顔ぶれ紹介記事のタイトルを今も妙に覚えています。
 そのメンバーのどなたも今、存命ではありませんが、悲喜こもごもの光景は昔も今も同じようです。

 随分以前にもご紹介したかと思うのですが、夏休みを題材とした小説で一番印象に残っているのは、柏原兵三の「夏休みの絵」、これを小編にした「短い夏」ではないかと思います。
 「僕はきわめて自堕落にその年の夏休みを過した。そして本当に夏はあっという間に過ぎてしまい、僕の夏休みに寄せた期待の十分の一も実らない内に僕はもう秋の中にいた」
という「短い夏」のラストは実に秀逸で、作者の早逝がとても惜しまれます。
 柏原兵三の作品では「徳山道助の帰郷」(芥川賞受賞作)、「独身者の憂鬱」、「兎の結末」も好きでした。

 笹井副センター長の自死には、何ともやりきれない思いが致します。そこまで追い詰めたマスコミの責任は何ら問われず、やがて何事もなかったかのように人々の記憶が風化していくのも通例ですが、当事者の苦しみや悲しみを(少なくとも紙面や映像では)顧みることも、自らの責任を問うこともしないままに、「報道の自由」の名のもとに「責任ある職にある者はいかなる批判も浴びて当然」とばかりに非難を繰り返すのは、とても悲しいことです。
 それを所与のものとしてなお耐え抜くのが、責任の重い立場にある者の務めなのであり、実際そのように強くて立派な人も居るのですが、「そんな目に遭うぐらいなら責任ある立場などには就きたくない」「責任ある立場に就いてもなるべくリスクは冒したくない」と思う人も居るのではないでしょうか。
 故・新井将敬代議士や故・松岡利勝農水相、最近では故・松下国務相など、自ら命を断った友人・同僚の胸中を察するとき、ご批判覚悟で敢えて申し上げると、私は切なくてなりません。一部、人間の心の奥底のどこかに、他人の不幸を喜ぶというどうしようもない性があるように思い、厭で堪らなくなります。
 研究者たちがこの悲しい出来事を乗り越え、日本の科学発展のために更に邁進されることを祈る他はありません(どうしてこんな月並みなことしか言えないのでしょう)。

 従軍慰安婦を巡る朝日新聞の一連の報道の「取り消し」には本当に驚きましたが、これを受けての韓国各紙の「朝日新聞、安倍右翼政権を批判」という反応にも「それは少し違うのではないか」という思いを持ちました。
 長大な取り消しの記事でしたし、母国語に正確に訳し、ニュアンスを把握することが時間的に困難であったのかも知れませんが。
 「議会が決めることではあるが、朝日の記事を基にして今日まで日韓関係が論じられてきたことは確かであって、これを契機に日韓関係の今後のあり方が国民の代表である国会の場で論じられることもあるのではないか」との趣旨で私がコメントしたところ、早速翌日某紙一面トップに「言論に圧力が加えられる恐れもある」などという記事が載り、あまりに型どおりの展開に思わず苦笑してしまいました。
 「糾弾しようとか、責任を追及しようというのではなく、これによって形成された日本・韓国国民の苦しみや悲しみをどう解消し、今後の日韓関係をどのようにして改善するかを論ずるのも議会の役割ではないか」とコメントしたことが、何故言論の弾圧に結びつくのか、私にはよく分かりません。

 昨日から本日にかけて、「無派閥連絡会」(会長・山本有二元金融相)の夏季研修会にゲストとして参加し、講演を行ったり懇親会に出席したり致しました。
 派閥に所属していない議員が情報、政策、選挙支援などの面で不利な立場にならないように設立された会で、独自の事務所を設置したり、ポストの配分を求めたりしない、などの点で所謂「派閥」とは性格を異にする集まりなのですが、ほとんどのマスコミは「事実上の石破派」が「人事を控えて結束固めを図った」というトーンの報道のようで、「とにかくそうに違いない!」「そう決めつけて、今後の政局の材料にしなくてはならないのだ!」という固い決意(?)のようなものが感じられます。どうして素直に物事が見られないのか、これも私にはよく分かりません。

 昭和59年夏、私は初めて渡辺美智雄先生の主催される派閥横断の政策勉強会「温知会」の研修会に参加し、先生から「君たちは何のために政治家になりたいのか。カネが欲しい、先生と呼ばれたい、いい勲章が欲しい、女性にモテたい、そんな奴は政治家になってはならない。政治家の仕事はただ一つ、勇気と真心をもって真実を語ることだけだ」とのお言葉をいただきました。そしてそれが、その後の私の政治家としての生き方を大きく決定づけました。
 勿論、私は今でもそれには遠く及ばないのですが、研修会の意義とは、まさしくそのような機会に接することにあるのだと思うのです。

 来週から一応何日か、細切れにお休みを頂きます。
 体調の回復、考え方の整理、己に対する反省と、地元でのお初盆廻りに充てたいと思っております。
 来週のこの欄はお休みさせていただきます。
 立秋とは言え依然として酷暑の日々、体調にお気をつけてお過ごしくださいませ。

(2014年8月8日「石破茂オフィシャルブログ」より転載)

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