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自殺と自己愛(後編) ―人生の辛い時期を乗り越えるために

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前回の前編(http://www.huffingtonpost.jp/takamichi-sakurai/selfkilling-selfloving_b_11754308.html?utm_hp_ref=japan-society)では、自殺という問題が日本でどれほど深刻であるのかを確認した後、これを精神疾患という視点から考え、自殺を病として捉えました。そして、この自殺という病をよく理解し治療するために、精神医学の力が必要であると結論付けました。


「自己愛」

ここでは、この自殺という問題を「自己愛」という視点から考えていますが、そもそもこれは一体何でしょうか。

「君は、自己愛が強すぎる」とか「彼って、自分のことが大好きだよね、すごいナルシストなんだけど」といったフレーズを聞くことがありますが、この意味の「自己愛」とは、悪いものなのでしょうか。

私の意見では、「自己愛」は病気ではありません。むしろ自己愛は人間に必要なものです。自己愛なくして人は生きることができないと言っても過言ではないでしょう。

では、問題は一体何なのでしょうか。

おそらく、「人のことを考えられないほど自分に夢中になっている」ということが問題の核心だと思います。まさに、これは、ギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスが水面に映る美しい姿を見ることに熱中し、それを自分とは知らず溺れ死んでいく姿を見ているようです。実は、これが「ナルシシズム」という意味の「自己愛」の語源です。

では、なぜ人は自分だけに夢中になってしまうのでしょうか。

私の意見では、皮肉にも自分が真に人から愛されず、そのため真の自分を愛することができないからです。けれど、それでもある程度自分に夢中になることは必要です。むしろこの点で、それは程度の問題と言えます。

上のように偉そうに書きましたが、私は精神科医でも精神分析家でもありません。しかし、一人の人間としてこの問題を考えることは非常に重要なことだと思います。むしろ専門家とは違った独自の観察と経験に基づく視点が、今特に必要とされているのではないでしょうか。


辛い時期をどうやって乗り越えるか

誰にも辛い時期があると思いますが、問題はこれをどうやって乗り越えるのかです。私事で恐縮ですが、私にも非常につらい時期があり、それは自分が壊れそうなほど辛く苦しく、身を滅ぼしてしまいたいと思ったほどです。自暴自棄になり、毎日生きていくのさえ困難な時期が続きました。実は、これは比較的最近の事です。

何をやっても力が入らないし、突然悲しくなり涙が出てきます。鬱といえばそれはそうなのですが、私の場合、この自分の辛い感情には「自己愛」という言葉の方がピッタリ当てはまりました。

重要な点は、これをどうやって克服したかということですが、簡単に言えば、信頼できる人と出会い良い人間関係を構築したということです。

言葉で言うと簡単なのですが、実際にこれはそんなに簡単なことではないです。

誰でもいいのです。

重要なことは、男女の性に関係なく、とにかく自分が信頼できる人と出会うあるいはそういう人といい関係を作るという点につきます。

この意味で、辛い時期を乗り越えるためには、基本的に他者のサポートが不可欠なのです。

さらに言えば、この信頼できる人が自分の事を理解しようと努めているか、そして自分も自然と相手の事を理解しようとしているかがとっても重要です。家族でも友達でも彼氏や彼女でも学校の先生でも会社の上司でも誰でもいいと思います。とにかく重要なことは、そういう人が自分の周りにいるかどうかなのです。

とはいえ、辛い自分を克服するというこのプロジェクトは、私においても常に現在進行形です。すなわち、一度それを克服したとしても、またそういう状態に戻ってしまう可能性があります。もしくは、ある程度克服したとしても、完全には克服できないというのが常なのです。

しかし、問題は、どうして「辛い自分」という状態を作ってしまう(あるいは、そういう状態が作られてしまう)のかということではないでしょうか。

人が死にたいと思うのは、誰からも必要とされず、なんの希望も持てなくなり、心のバランスが取れなくなる。こんな時に、人は死にたいと思うものです。端的に言えば、「自己愛」がひどく傷ついているのです。

では、どうしてわたしたちの自己愛は傷ついてしまうのでしょうか?

私はこの難しい問題を解決する一つの手がかりのようなものを、ある有名な精神医学者の中に見い出しました。ちょっと難しい部分もありますが、少し我慢して読んで頂ければ何か感じて頂けるのではないかと思います。


わたしたち「自己愛者」

精神分析家ハインツ・コフートは、わたしたち人間の精神の健康に関わるのは、心のうちに存在する「自己」の存在であり、人間の精神は、この「自己」の「まとまり」によって維持されていると指摘します。

この問題を考えるために、彼は「ナルシシズム」すなわち「自己愛」という概念を使います。

彼によれば、自己は「誇大自己」および「理想化された親イマーゴ」という二つの極を持っており、この両極は、バランスよく充電されなければなりません。すなわち、これは、わたしたち人間が母親的役割を担う「鏡自己対象」および父親的役割を担う「理想化自己対象」という二つの種類の「他者」によって、まさに、母親および父親の役割によって子供に精神的健康が与えられるのと同じように、わたしたち大人にも日々精神的なケアが行われなければならないということを意味しています。

要するに、コフートの精神分析理論では、人間の精神的異常はすべて「自己」に関わる問題であり、この自己の「まとまり」の程度によって、その異常の深刻さが測られます。すなわち、「まとまり」は「自己対象」としての他者の自己への配慮によって形成されるということです。

結論から言えば、コフートにおいて、人間は自己愛的であり、また自己愛的でなければなりません。すなわち、彼によれば、人間は本来的に「自己愛者」です。この考え方では、自己愛の傷つきの程度によって、人は精神的病を被るということになります。

上に述べたように、自己愛を満たしてくれる存在は「自己対象」すなわち自己にとって必要な「他者」です。一方では、他者に傷つけられることによって人は精神的に不健康になるけれども、他方において、他者からの配慮によって人は精神的に健康になり、その状態を維持することができます。

つまり、「自己」と「他者」はバラバラでありながらも、一体であることを望むということです。彼女と彼氏は、妻と夫は、部下と上司は、キャッチャーとピッチャーは、すべて個人としてそれぞれ独自の存在でありながらも一体であることを互いに要求します。

というのも、一体であることによって初めて彼らはそれぞれが持つ役割を担うことが可能となるからです。すなわち、「彼女」(彼氏)の存在が「彼氏」(彼女)の存在を可能にするということです(1) 。
 
人は、この原理が壊れた時に、自ら自己を崩壊させる方向に導いてしまいます。すなわち、「狂気」に化け「破壊」という行為によって自己および他者を傷つけたり、「自殺」という方法によって人間であることをやめようとするわけです。

コフートは以下のように強調しています。

「人は片端で生まれる。したがって修復されなければならない。神のめぐみとは、われわれを結びつけることである。」

今何よりも重要なことは、「自己愛者」としてのわたしたち自身を「他者」と精神的に繋げることではないでしょうか。これによって、わたしたちは自己に対して「安心感」を得る事ができ、何かをしようとか何かを成し遂げようとする「意志」が湧いてくるのです。また、そのことを通じて、辛い自分や難しい問題を乗り越えることができるようになるのだと思います。

実は、この「修復作業」ともいえる精神的治療は、精神科医の専門的任務というわけでは決してありません。むしろ誰もがその任務を引き受けることができるし、また引き受けれなけばならないと私は考えます。

家に帰ったら、まずは、他者である「妻」ないし「夫」、「母」および「父」に語り掛けることから始めてみませんか(2) 。

「今日もお疲れ様でした。今日はどうだった?」

このような言葉からはじまるコミュニケーションを通じて、より深い人間関係を構築し、他者との関係が壊れることによって「自己破壊」に向かうのを避けるというのが重要なことではないでしょうか。

もし、それでも関係が壊れてしまいそうでしたら、別に誰かと新しい関係を構築することに徹して下さい。重要なことは、一人ぼっちの状態を避けるということです。

それでは、具体的には、どうしたらわたしたち自身を他者とより効果的な方法でより効果的に結びつけることができるでしょうか? この問題は、また別に考えてみたいと思います。何よりも、本記事を通じて、みなさんがそれぞれ抱えていらっしゃる辛い問題に関して、何か解決の糸口になるきっかけを掴んで頂ければ、私にとってこれ以上ない喜びです。

(1) 同様に、「妻」(夫)の存在が「夫」(妻)の存在を可能にし、「部下」(上司)の存在が「上司」(部下)の存在を可能にします。すなわち、彼らは共にあることによって初めてそれぞれの存在を認識するのです。逆に言えば、互いの存在を認め合わない場合、「妻―夫」「部下―上司」ではなく、彼らの存在は、単なるバラバラな「個人」と「個人」になってしまいます。

(2) 自宅で待つ者が誰も居ないという場合、身近に信頼できる人間(友人・交際相手など)を作る必要があります。シャイでナイーヴな現代人や出会いの機会が少ない人のために、例えば、インターネットを通じた出会いがあります。他者の存在を必要とするわれわれ「自己愛人間」は、すでに日々そのような他者を探す努力をしているはずです。

本稿において重要なことは、自己同士が互いの存在を認め尊重し合うことです。というのも、もし互いに尊重し合えないのならば、皮肉なことに、自分を認めてくれる人間を互いに失うという理由で、結果的に自分自身の存在を否定することになってしまうからです。私の見方では、出会いには限りがあるので、自己破壊に向かう前に、できるだけ今持っている人間関係を大切にする必要があります。