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「なんでも面白がれる人・感心できる人」はコミュ強になりやすい

2015年07月29日 22時03分 JST | 更新 2015年07月29日 22時03分 JST

笑う門には

 

リンク先は、ことわざの「笑う門には福来る」を地でいく実体験談だ。笑顔の多い人のほうがコミュニケーション場面でうまくいきやすく、仕事もプライベートも順調にいきやすいってのは本当だと思う。

 

ただ、はてなブックマーク上の反応にもあるように、ヘラヘラしているだけでは阿呆と思われてしまうし、愛想笑いを見透かされてもロクなことがない。作り笑いを顔に張り付けていても見抜く人は見抜くし、お愛想で笑ってばかりの人も、その心根の弱さにつけこまれる。

 

面白いとも楽しいとも感じていない時の笑顔には、不自然さが付きまとう。笑顔がほとんど生活習慣になっている人でも、相手に関心も敬意も楽しさも感じていない時の笑顔には温度がこもらない――そういった事に鈍感な人は笑顔の温度に気づかないかもしれないけれども、その場に居合わせている第三者にはバレていることが多い。このように、「笑顔をつくりたくなる気持ち」の伴わない笑顔はペナルティを帯びやすく不完全になりやすいので、本当に「笑う門には福来たる」を実現したいなら、なんらか気持ちが伴っていなければならない。

 

だから、本当に笑顔でアドバンテージをゲットしやすい人とは「笑顔をつくりたくなる気持ち」を掴みやすい人、言い換えると「会話のなかで楽しいと思える範囲の広い人」「相手の言動にさまざまな関心を示せる人」なんだと思う。

 

たとえば、初対面のお客さんと話している時、ちょっとした言い回しに「面白いね」「工夫してるね」と感じられる人は、そうでない人よりは笑顔になりやすい。よく笑う人は、そういう笑顔のとっかかりにいちいち気づいてはいちいち笑うから、ニセモノではない笑顔をそこらじゅうで振りまく。ちょっと気の利いたところが見つかるたびに、「いいね!」と言いたくなる人も笑顔がたえないし、ことあるごとに「へぇ、そりゃあたいしたもんだ」と思える人も笑顔になりやすい。「へえ、そりゃたいしたもんだ」の時は笑顔というより感心の表情になるかもだけど、これも笑顔同様、コミュニケーションの潤滑油として強力に役立つから大同小異だ。

 

だから、笑顔の究極の源は「気づき」なんだと思う。

 

同じ相手・同じ要件でコミュニケーションしていても、よく笑う人は、面白いところ・着眼に値するところ・楽しいと感じられるところにたくさん気づき、それをいちいち笑顔として表出できる。だから、ニセモノの笑顔をつくるまでもなくたいてい笑っていられるし、その笑いが自分自身の上機嫌をも生み出し、次のコミュニケーションをさらに助けることにもなる。

 

反対に、コミュニケーションのどこからも面白いところ・着眼に値するところ・楽しいと感じられるところに気づかない人は、顔がほころんだり感心を示したりする回数がどうしたって少なくなる。強引に作り笑いや愛想笑いをつくろうとしても、そのことを相手に見抜かれるリスクも高まるし、ほんとうは何も感じていないのに笑おうとすればストレスになってしまうことも多い。結果、自分自身が上機嫌になるのも難しい。

 

コミュニケーションを円滑にしてくれる笑顔は“天然モノ”に限るということは、顔がほころぶトリガーの多い人こそが笑い上手になり、つまりこの分野のコミュニケーション強者にもなりやすい、ということだ。

 

 

笑顔のタネになる「気づき」を増やせ

 

反対に言うと、ごく狭いジャンルにしか関心の無い人や、そもそも人間にあまり興味の無い人には笑顔は難しい。

 

そのような人達は他人とコミュニケートをする意志自体が乏しく、もともと深い関心を持っていること以外に注意を払わない。一つの課題に打ち込むには適した性質といえるかもしれないが、他人とコミュニケーションをする際、関心や着眼の範囲が狭いせいで、面白いところ・着眼に値するところ・楽しいと感じられるところがどうしても少なくなってしまう。それが極端な場合には、「ふだんは無表情で、自分の趣味の話になった時だけ顔がパッと輝く人」「自分が褒められている時だけ笑顔になって、そうでない時はつまらなそうな顔をしている人」ができあがる。関心や着眼が狭い人ほど、その狭いストライクゾーンにボールが来た時しか笑わない。必然的に、そのような人はコミュニケーションを円滑にしてくれるような笑顔には恵まれない。当然、コミュニケーション弱者にも転落しやすい。

 

だから私は、コミュニケーション強者になりたい・せめて近づきたい人は、現在よりも関心の幅を広げてみたり、人間という得体のしれない存在を眺めてユニークな発言やコミュニケーションの技巧に着眼したりするのも一つの方法ではないかと思う。そうやって自分の顔がほころぶストライクゾーンをひろげ、自然と“天然モノ”の笑顔がこぼれ落ちるような自分自身にしてしまうのだ。

 

たとえばプロ野球に興味の無い人が、プロ野球の話をしたがる同僚と会話する時にどうするか?ひとつの方法は、自分もプロ野球に興味を持ってみることだが、それしかやりようが無いわけではない。野球の話をする時の同僚の話しぶりが素敵なら、そこに関心や感心を示したって十分に笑顔になる。「野球の話はわからないけれども、あなたの野球の話っぷりは面白いわ」ってやつだ。よく知らない自分のためにプロ野球の薀蓄をスラスラと要約してくれたら、そこに感心したり感謝したっていい。

 

こんな風に、笑顔のタネになる「気づき」はコミュニケーションのあちこちに埋まっている。話題がダメなら、話題以外のところに目をつけたっていいのだ。そうやってあちこち目をつける熟練度があがればあがるほど笑顔のタネには事欠かなくなり、いつでも笑顔を絶やさない人間に近づくことができる。おのずとコミュニケーション能力は高まるし、メンタルヘルスにもプラスに働く。

 

いろんな場面で自然に顔がほころぶようになれば、相手だって自分だって気持ちよくなれるわけで、幸せになりやすいのはほとんど間違いない。そのために本当に必要なのは、作り笑いの練習なんかではない。自分自身の関心の幅を広げ、人間のコミュニケーションの諸々に興味を示し、笑顔のタネをどんどん拾い上げて笑ったり感心したりすることだと思う。

(2015年7月29日「シロクマの屑籠」より転載)