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『日本人は、なぜ議論できないのか』第8回:『説得されたが納得しない』の背後にあるもの

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これまで、7回、ギロンについて論じるなかで、欧米的なギロンと日本的なギロンの相違については、概ね理解をいただいたのではないかと思う。この連載の趣旨は、どちらのギロンが優れているかということを論じることではなく、欧米的なギロンと日本的なギロンに相違があるとすれば、それはどのような相違であるのか、ということを明確化することである。この意味で、強調化と単純化をしていることは否定しない。そして、それを前提に、日本的なギロンは、不可逆に進行しつつあるグローバル化という環境下でも、十分に機能するのか、ということについて読者諸兄にギロンをして頂きたいと考えている。

 今回は、日本のギロンでよく耳にする『理屈はわかったが(説得されたが)、納得しかねる』という決まり文句を取り上げたい。これは、説得と納得は別であると言っているわけである。そもそも、ギロンというものが、複数の人間が集まって、何らかの合意的結論を導く行為一般をさすとするならば、ギロンには、論理的に整合性、つまり、合理性があり、正しい(道理にかなっている)のかどうかという正当性(justness)と「正しい」手続きによって形成されたのかという「正統性」(legitimacy)という両方の要素が存在するといえる。

これをギロンに置き換えれば、前者を「説得(persuade)」、後者を「納得(convince)」と捉える事が可能であろう。一般的通念に従えば、欧米であろうと日本であろうと、ギロンは、「正当性」にかかわる結論に至る自発的合意形成の行為であり、法律論ではないので、「正統性」が、「正当性」に比して、大きな問題になるとはあまり考えないのが普通ではないかと思う。事実、欧米のギロンでは、筆者の知る限り、「説得」されたならば、つまり、相手のギロンの「正当性」を認めれば、概ね、「納得」する、つまり、ギロンの経緯の「正統性」が、ギロンの「正当性」に勝る問題にはならないのではないかと思う。しかし、日本では、逆で、『理屈はわかったが(説得されたが)、納得しかねる』というように、「納得≒正統性」の方が「説得≒正当性」に勝るのではないか。故に、日本では、説得されて(≒正当性を理解する)も、最後に「納得」しない(≒正統性を主観的に認めない)という「ちゃぶ台返し」をするので、「説得≒正当性」主導の欧米的なギロンを通して結論を導き出すことが難しく、合意に至らないのではないか。それを、抑制する仕組みとして、『私が我々になる』斉一性の原理が、日本で強く働くと考えることもできるのではないか。

どちらが先かは定かではないが、相手を特定し、意見の対立の顕在化をよしとする対話(ダイアローグ)を前提とする欧米のギロンとは異なり、相手を特定せず、話し合いと言う「場」に、独り言のように言葉を発する独白(モノローグ)が前提にある日本のギロンが、何回かの話し合いを行う過程で、参加者各自の思いは、ある「しかるべきところ」に収斂してくる(「私」が「我々」になるブラックボックスと言える過程)という予定調和的プロセスとしての結果的な全会一致(消極的な「納得≒正統性」)の原則も持っていることは、日本人が「説得≒正当性」よりも「納得≒正統性」に重きを置くことと符合する。

この「正統性」偏重の傾向が、昨今の庶民感情や庶民目線とか上から目線という表現を多用することに表れているのではないか。つまり、「正統性」を尊ぶあまりに「正当性」がないがしろにされると言う本末転倒が起こるのである。その良い例が、消費税の8%から10%への引き上げに当たっての軽減税率(食品なので基礎支出に関する物品は、たとえば5%とする)のギロンである。「正当性」の観点から言えば、消費税の引き上げは、今後の社会保障費の肥大化に対処する財源確保の重要な一手段である。しかし、消費税を10%するにあたって、国民(≒庶民)は「納得」しないので、「正統性」を具備するために、軽減税率の導入が必要であると主張する政党と政治家がいる。ここで、考えて頂きたい。もし、軽減税率を導入すると、大ざっぱにいって2.8兆円(外食もふくむ食品への課税を5%とした場合)の税収減になると言われている。軽減税率の対象品目の設定は難しく(A5の和牛や大間のマグロはどうするのか)、非常に政治的であり、おそらく、実際の税収減は、この額を大きく超えるであろうし、事業者への負担も非常に大きい。現在のGDPを前提にすると消費税1%は、約2.5兆円の税収であるので、軽減税率による税収の低下を考えると、何のために消費税を8%から10%に上げるのか、その「正当性」が理解できなくなる。これでは誰のためにもならない。現実的には、むしろ、富裕層にも大きなメリットのある軽減税率導入よりもフラットタックス(10%一律)にして、貧困層への給付つき税額控除にする方が適切であろうし、「正当性」を維持する建設的なギロンにもなるであろう。それでも、政治家は、当選が第一なので、軽減税率の導入を「正統性」の為に強硬に実施するのであろう。読者の周りも多々あるであろう、根回しや面子や仁義を切るといったものも、手続きとしての、それも個人の主観としての「納得≒正統性」の問題である。

この「納得≒正統性」偏重の傾向は、意識しておかないと、結果ではなく、プロセス重視=「努力をしていれば良い」に容易に転換する。

この9月初めに、東京電力福島第1原子力発電所で放射性物質を含む汚染水がたまっている問題で、原子力規制委員会の田中俊一委員長は、日本外国特派員協会での記者会見で、放射性物質を基準値以下にした後に「海に放水することは避けられない」との見解を改めて示し、「精いっぱいの努力をしているので理解いただきたい」と話したと言う。福島原発の放射性物質の問題は、努力をしていれば許されそうな日本人相手ならいざ知らず、この論法を海外のメディアの特派員に展開する田中氏の行為は、私には理解するのが難しい。

日本人の持つ、強いプロセス主導の心性は、終わりなきプロセス遂行により世界から評価される高品質を達成しているトヨタの「カイゼン」など、正の面もあるが、プロセスさえを回して(結果ではなく、努力して)いれば許されるので、目的を見失う傾向が強いという負の側面もあることを心しておくべきであろう。この問題は、日本人のもつ、強度の相互協調的自己構造や社会関係的に定義される役割の過度の重視、そして、組織への参加意識ではなく、帰属意識の強さとも密接に関連するので、根が深いといえる。