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トランプ氏の「英語を話さない」発言は安倍昭恵夫人に対する冒涜ではなく、逆に擁護しているのでは

2017年07月22日 22時04分 JST

トランプ大統領の昭恵夫人は「英語を話さない」発言に対して「失礼だ」という声が上がっているが、私は逆に配慮が感じられる発言に思えた。

発言はニューヨークタイムズ紙とのインタビュー中に発せられ、インタビューの全文を読むとわかるように、記者が晩餐会中にトランプ氏がロシアのプーチン大統領とどんな話をしたのかについて質問した際に出てきた。

何の前触れもなく、突然、「夫人は英語を話さない」と言ったのだとしたら、確かに「なぜ、わざわざそんなことを持ち出すのか」と思いたくもなる。

しかし、トランプ氏はインタビューで晩餐会中の自らの言動について説明しなければいけない状況に置かれた。

そして、遠くに座っているプーチン大統領より、まず、隣に座った昭恵夫人の印象について何かしらコメントをすることはごく自然な流れだ。

しかし、ここは私の勝手な想像だが、昭恵夫人からはほとんど話しかられることがなかったし、あったとしても通訳を通してだったため、「英語を話さない」と言うことしかできなかったのではないか。

私は米国で5年、欧州で5年暮らしたが、西洋では晩餐会で何も話さないということは失礼に当たる。

だから、トランプ氏は夫人のことを「静かな人」という失礼な表現を避けたかったのではないか。

 

日本だと、こういう晩餐会では首相が話し、付き添う夫人は黙って聞いているのが普通だと思われるかもしれないが、欧米は違う。肩書きに関係なく、自分からどんどん話してくる人が評価される。

中学時代、授業中、頻繁に手を挙げて「先生!それって○○でしょ!」とか「それ昨日テレビで見た!」などと、とにかく何でも発言するナカジマ君という同級生がいた。

私は「うるせえなー、こいつ」とか思って見ていたが、高校で米国に留学して驚いた。米国にはナカジマ君みたいな人がわんさかいた。

野球部で試合前に監督が先発オーダーを告げようとする時、突然、手を挙げて「私セカンド守りたいです!」と立候補する選手がいた。そして、監督が「わかった」と言って了承するのだ。

私は自分の英語の発音に自信がなく、授業中にナカジマ君並に自由に発言ができるようになるまで5年以上かかった。

国連で働いた時も、会議で長々と話す人がいる。

「それ、さっき別の人が言ったこと繰り返しているだけだろ!」と思うことが多々あるのだが、それでも何も話さない人より、話す人が評価されていく。

話す内容よりも、「話そうとする意思」がより重要視されるからだ。

私の母親の英語力なんて限りなくゼロに近いが、知っている単語を組み合わせて、「ユー、ディナー、オーケー?」(ご飯はおいしい?」などと、何が何でも意思疎通しようとするから、どの国に行っても人気者になる。

だから、昭恵夫人から何も話しかけられなかったトランプ氏は「英語を話さない」と言うことで、「私と話す意思はあったが、実行することができなかった」と夫人を擁護しようとしたのではないか。

ただ、外交の現場で「日本人は英語が話せない」というイメージがあるのは紛れもない事実だ。

私が常々異常だと感じるのは、外務省の人間が英語を流暢に話せないということは本来恥ずべき事実にも関わらず、その危機的状況に外務省がとても鈍感だということだ。

3年ほど前に外務省を訪れることがあったが、入り口の待合室の壁に飾られている写真を見て、思わず吹き出しそうになった。

岸田外務大臣と当時の潘 基文国連事務総長が座って会談しているのだが、岸田大臣の後ろに男性が一人座っているのだ。通訳としか思えない。

岸田大臣が通訳が必要なことに驚いたのではなく、外務省が、大臣が通訳が必要な人間だということを大々的に広報することに何の躊躇もしていないことに驚いたのだ。

先進国の外務大臣が通訳が必要というのはとても珍しいことで、本来恥ずべきことなのに、それをなぜわざわざ外務省の来館者に自慢するのだろうか?

大臣が話せなくても、最前線で働く大使館職員が話せればいいと思うかもしれない。

しかし、大使館で働く人の2割以上は他省庁からの出向者で、十分な言語研修を受けておらず、英語力が乏しい人を時々見かける。

ジュネーブにいた時、外務省が主催する防災がテーマのシンポジウムに出た。

防災の専門家5人がパネリストとして登壇し、外務省からは、環境省からの出向者がパネリストになった。プレゼンテーションは原稿を暗記すればいいから何とか、たどたどしい英語でこなしたのだが、問題は質疑応答だ。

パネリスト一人一人に向けられた質問に、皆、専門知識を交えて丁寧に答える中、その出向者だけ「パス」してしまったのだ。

最後に、「それでは一人一言メッセージをお願いします」という司会者からの要請にも、この方だけ「パス」。

外務省としては、日本の防災のノウハウを示す機会と位置づけていたのだろうが、それよりも、英語力の乏しさを見せ付ける形になってしまった。

国連勤務時代、上司の鞄持ちとして、外務省幹部との会合に出席したことがあった。

特に何か重要な決定をする会合ではなく、上司が日本に来る用事があったから、そのついでに外務省に立ち寄る顔合わせ的なものだった。

にも関わらず、外務省幹部は用意された文章をそのまま読み上げ「邦人職員の安全確保をお願いする」とか「邦人職員を幹部に昇進させてください」などと原稿を見ながら話した。

それに私の米国人上司が幹部の目を見て自然な会話口調で返答しても、「Thank You For Your Explanation」(説明をありがとう)とだけ言って、次の段落を読み上げ始めたのだ。

正直、これは漫才かと思った。こんな会合をするくらいだったら、用意された文章をメールで送ってもらったほうが良かった。

後から聞いたことだが、この幹部も他省庁からの出向者だったということだった。

「外と交わる」からこその「外交官」が、「パス」したり、顔合わせの会合で原稿を棒読みしたりすれば、「外と交わる意思がない人間」かもしくは「英語が話せない人間」かのどちらか(か両方)というイメージだけが残り、失礼のないよう「英語ができない」という結論になってしまうのだ。

外務省に出向する人には、英語を母国語としない人のための能力試験、TOEFL(120点満点)の受講を義務付け、平均得点を公表するか、100点取れない人は出向させないなどの対策を是非、講じてほしい。

ニュースでさまざな外交問題が取り上げられるたび、私の頭には「Thank You For Your Explanation」の場面が頭をよぎり、「外と交わる意志のない人間が外交官になっていることこそ一番の外交問題じゃないか」と思うようになってしまった。

今回、せめてもの救いは、「英語を話さない」と指摘されたのは外交官ではなく、首相夫人だったということだ。