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延命治療の代わりにできること-死に逝く人に「寄り添う」ために

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先日の記事、「『看取り』から『見送り』へ-終末期ケアは誰のためのもの?」は多くの反響がありました。

人生最期のケアについて考えるとき、患者さん本人の意思を尊重することが大切だという考えは、多くの人が共感することだと思います。

近年、なるべく自然に穏やかな最期を迎えたい、と望む人が増えているように思います。

そして、そのような希望を家族とオープンに話をする人も増えてきているので、今後本人が望まない延命治療を行うケースは少しずつ減るでしょう。

しかし、それでもなお、「見送り」をする家族には大きな不安が残るのではないでしょうか。それは、「もし延命治療をしないのであれば、私はいったい何をしてあげられるのか」、という不安。

言い換えれば、「死に逝く人は何を求めているのか?」という本質的な疑問です。

大切な人のニーズを知るためには、どうすればいいのでしょう。まず、私たちは彼らの想いにしっかりと耳を傾ける必要があります。

私は先日、『死に逝く人は何を想うのか』という本を上梓しました。この本の中で紹介している24人の患者さんたちはもうこの世にいませんが、私の心には彼らの声が今でも聞こえてくるのです。

そのひとりが、青森のホスピス病棟で出会った万里子さんという50代の女性です。

末期の乳がんを患っていた万里子さんは、抗がん剤治療を試してみたものの、期待した効果は見られませんでした。彼女がホスピスへの入院を希望したとき、旦那さんは強く反対しました。

「旦那は抗がん剤をやめるっていうことは、死を認めるっていうことだと思っていてね。『あきらめないでくれ』って泣きつかれたわ」

親戚や友人には、「家族のためにも治療を続けなきゃだめよ!」と言われ、他のがん患者からは、「あなた勇気あるわねえ。ホスピスに行くっていうことは、死ぬっていうことと同じよ」とも言われたそうです。

誰も自分の気持ちを理解してくれない......。万里子さんは、どんどん「孤独」を感じるようになっていたのです。彼女は、涙ながらにこう語りました。

「私はあきらめたわけじゃないの。これだけはわかってほしい。最期まで人間らしく生きたいだけなの。死ぬのは怖くないけど、自分らしく生きたいのよ」

彼女のように、心境をわかってもらえないと嘆く患者さんは本当に多いです。

万里子さんは自分の直面した現状を受け入れていましたが、「あきらめたわけではない」とも言いました。彼女はその複雑な心境を、周りに理解してほしかっただけなのです。

私は今まで人種も国籍も異なる数多くの患者さんと出会いましたが、死に逝く人たちが求めていることは根本的に同じだったように思います。

それは、「自分の気持ちをわかってほしい」「ありのままの自分を受け入れてほしい」、という願いです。

つらいことがあったとき、誰かに気持ちを聞いてほしい。でもそれは、アドバイスがほしいとか、苦しみを取り除いてほしい、というわけではない。

ただ気持ちをわかってほしいだけ.......。あなたも、そう思った経験はありませんか?

死に逝く人たちも同じです。

あなたが大切に思っている目の前の患者さんたちは、自分の悲しみを誰かに何とかしてもらおうとは思っていないし、問題を解決してほしいと思っているわけでもない。

彼らが必要としているのは、安心して気持ちを表現できる環境と、共感してくれる相手なのだ。

~『死に逝く人は何を想うのか』より

彼らが私たちに求めていることは、何かをすること(Doing)ではなく、寄り添うこと(Being)なのです。

万里子さんは旦那さんに気持ちを受け入れてもらえたあと、病室で穏やかな日々を過ごせるようになりました。彼女はある日、このようなことを言いました。

「この人、毎日お見舞いに来てくれるの。別に何を話すわけでもないんだけど、こうして一緒にいてくれるだけでうれしいの」

万里子さんにとって何よりも大切だったのは、旦那さんの理解と、彼の存在そのものだったのです。

死に逝く人の心情を理解することは、容易なことではありません。私たちにできるのは、患者さんの立場に立ってその気持ちをわかろうとする努力、それだけでしょう。

でも、その姿勢こそが、本来の意味での「寄り添う」ということなのだと思います。

(2017年1月25日 「佐藤由美子の音楽療法日記」より転載)

(『死に逝く人は何を想うのか 遺される家族にできること』(ポプラ社)

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