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ムーミンが世界で愛される秘密 2014年はトーベ・ヤンソン生誕100年−クリスマスに大人が読みたい絵本

2013年12月22日 20時48分 JST | 更新 2013年12月22日 20時48分 JST
猪谷千香

フィンランドの作家、トーベ・ヤンソン(1914〜2001)が生んだ「ムーミン」。来年2014年はトーベの生誕100年にあたり、世界各地でイベントが開かれる。日本でも紹介されて以来、40年以上にわたって人気のムーミンだが、展覧会やフィルム・フェスティバルなど、さまざまなイベントが目白押し。2015年には日本国内でムーミンのテーマパークもオープンするという。今もなお、子供にも大人にも愛されるムーミンの魅力をトーベの人生を振り返りながら探ってみた。

■フィンランドの“顔”として世界に知られるムーミン

「まだ日本に赴任して3、4カ月ですが、日本でムーミンが大人気ということで、うれしく思っています。今日はICT関係の会議に出てきたのですが、進藤義孝総務大臣に名刺をお見せしたら、とても受けがよかった。そこにスナフキンが載っていたからです」と笑う駐日フィンランド大使館(東京都港区)のマヌ・ヴィルタモ大使。12月11日、駐日フィンランド大使館でトーベ生誕100年イベントについての会見が開かれた際、こんなエピソードを披露した。

「私がロサンゼルスで総領事をしていた時、トーベの姪にあたるソフィア・ヤンソンさんが、ある本のイベントに参加するために訪れたことがありました。そこで、ソフィアさんと一緒にロス観光をしてウォルト・ディズニー・コンサートホールに行った際、コンサートホールを設計した著名な建築家のフランク・ゲーリーと音響を担当した豊田泰久さんにお会いました。私の隣にいるのがトーベの姪御さんですと言った途端、2人はムーミンのアニメのオープニングソングをデュオで歌ってくださったんです。日本だけではなく、世界でもムーミンは本当に人気ですね」

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© Moomin Characters™

ムーミンは1945年に第一作『小さなトロールと大きな洪水』が出版された。1950年に第三作『たのしいムーミン一家』が英訳され、イギリスで好評を得る。それをきっかけに1954年には、当時世界最大の発行部数を誇ったロンドンの夕刊紙「イブニングニュース」で週6日の連載漫画がスタート。たちまち、人気となり、スウェーデン、デンマーク、母国フィンランドを始め、最盛期には40カ国120紙に転載されたという。

漫画の人気はすでに5作が発表されていたムーミンの児童文学作品にも及び、1966年には児童文学の最高の栄誉とされる「アンデルセン賞」の栄冠に。現在でも児童文学ムーミンは44もの言語に翻訳されている。文字通り、フィンランドを代表する作品だ。

■ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソンとは

ムーミンの世界では、美しい自然との共生や家族、仲間たちとの暮らしが丁寧に描かれている。その生みの親であるトーベはどのような作家だったのだろうか。

トーベは1914年、フィンランドの首都ヘルシンキで、彫刻家の父ヴィクトルとグラフィックアーティストの母シグネの長女として生まれた。芸術家の家に生まれたトーベは、「まるで呼吸するかのように」芸術とともに育ったといわれている。ヴィクトルの収入はファインアーティストの常として安定的ではなかったため、シグネの収入で生計を立てていた。妻のおかげで思う存分、芸術を追求することができた父としっかりもので家庭を支えた母は、そのままムーミンパパとムーミンママに重なってもみえる。

また、ヤンソン一家は毎年夏になると、自然豊かな郊外のサマーハウスで過ごすのが習慣だった。ストックホルム近郊の島やペッリンゲ群島地域などで過ごした幸せな夏休みの記憶は、ムーミンの物語に色濃く反映されているという。

トーベは早熟なアーティストだった。わずか15歳で雑誌やポストカードのイラストレーターとしてそのキャリアをスタートさせた。10代後半で商業デザインや美術を学び、20代になると奨学金を得てフランスやイタリアに留学した。帰国後は、油彩画の個展を開く一方、イタリアで学んだフラスコ画の技法でヘルシンキ市庁舎の壁画などのパブリックアートを手がける。

画家として頭角を現す一方、トーベは「食べていくための仕事」として、商業美術の世界でも活躍の場を広げる。1933年以降は風刺雑誌「GARM」でメインのイラストレーターとして活躍。第二次大戦中は、独裁者たちを揶揄した風刺画を多く描いた。後に、ムーミンとして知られるようになる大きな鼻を持った生き物が初めて姿を現したのも、この雑誌。初めは、トーベの署名の脇に小さく添えられていた「いつも怒っている醜い小さな生き物」として描かれていたのだという。

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トーベ・ヤンソン  © Moomin Characters™

その生き物がムーミンとして世界的な人気を誇るようになると、トーベはあまりのハードワークに疲弊し、1959年に弟のラルス・ヤンソンに漫画連載の仕事を引き継いだ。そして、1964年にはパートナーであるグラフィックアーティスト、トゥーリッキ・ピエティラとともに、ペッケリンゲ群島沖にある小さな島に小屋を建て、毎年夏に訪れては創作活動に取り組んだ。

充実した日々は、ムーミン作品にも変化をもたらした。1957年に発表した児童文学6作目の『ムーミン谷の冬』をターニングポイントに、作風はより内省的になり、子供だけでなく多くの大人の読者も惹きつけるものになっていった。敬愛していた母シグネを亡くした1970年以降は、9作目『ムーミン谷の十一月』を最後に、児童文学から大人に向けた小説へとフィールドを移す。そして、2001年に86歳で天に召されるまで、その筆が止まることはなかった。

■2014年は世界中で「ムーミン・イヤー」もちろん日本でも!

そんなトーベの生誕100年にあたる2014年、世界各地でさまざまなイベントが開催される。日本でも、1月23日から東京ドームで開かれる東京国際キルトフェスティバルでムーミンの挿絵をキルトで表現した作品が登場するのを皮切りに、「ムーミン・イヤー」がスタート。

4月からは、東京・松屋銀座を皮切りに全国11会場(岩手県、鳥取県、北海道、広島県、山形県、大阪府、宮崎県、福岡県、岡山県、愛知県)を巡回する「MOOMIN!ムーミン展」が開かれる。この展覧会は、フィンランドのタンペレ市立美術館・ムーミン谷博物館から約200点もの原画や習作が来日。自然との共生というテーマに焦点をあてた展示が行われる予定だ。人形作家、谷口千代さんも参加、ムーミン谷のジオラマの中に童話挿絵の名場面を再現する。

また、フィンランドの国立アテネウム美術館で開催されるトーベの大回顧展も日本に巡回する。油彩画や「不思議の国のアリス」などの挿絵、資料写真など約200を展示。代表作の「ムーミン」はもちろん、作家トーベの知られざる一面が紹介されるという。日本では、10月の横浜・そごう美術館を始め、2015年にかけて全国5会場(北海道、新潟県、福岡県、大阪府)を巡回する予定。日本の会場には、特別にトーベが毎夏を過ごした「夏の家」の実物大再現モデルが展示される。

この他、2月に東京・渋谷などで開かれる映画祭「トーキョーノーザンライツフェスティバル2014」では、トーベ生誕100年を記念して、貴重なトーベのドキュメントフィルムや1990年からテレビ放映されたアニメシリーズの劇場版「ムーミン谷の彗星」などが上映される。

また、「ムーミンのさわってあそぶえほん」や「ムーミンのいないいないばあのえほん」などムーミンの絵本も徳間書店から刊行予定。トーベのキュメントフィルムのDVDもビクターエンタテインメントから2月に発売されるなど、2014年は年間を通じて、「ムーミン・イヤー」となる。

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トーベ生誕100年のロゴ © Moomin Characters™

■ムーミンが今もなお読み継がれる理由

日本では、ムーミンの人気が今も高い。LINEで利用できるムーミンの無料スタンプが12月3日にリリースされると、1週間で600万ダウンロードを超えた。twitterではムーミンの名言をつぶやくアカウントがフォロワー数27万を超える。

「なぜムーミンがここまで人気があるのか、私たちなりに考えました」と日本でムーミンのライセンスを管理する「タトル・モリ エージェンシー」の担当者。「ムーミンは、日本に紹介されてから40年以上になる、歴史あるキャラクターです。日本で最初に児童文学書が紹介されたのが1965年、最初にアニメが放映されたのが1969年。また平成になってからもアニメ化されています。まさにクラシックキャラクターです」

しかし、歴史だけが必ずしも人気の理由ではないという。「大事なのは、今も読まれている文学作品であるということです。出版された本の累計発行部数は400万部を超えていますし、一昨年、新装版になった講談社文庫もかなりの部数が出ています。それだけ読まれているということです。その理由として、ムーミンには自由、孤独、寛容、他者を受容すること、傷ついた人がどのように救済されていくかなど、生きるヒントが含まれているからだと思っています」

2014年のトーベ生誕100年を迎えるにあたり、このクリスマスシーズンにもう一度、ムーミンの世界へと旅してみてはいかが?

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ムーミンの生みの親トーベ・ヤンソン生誕100年