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アウシュビッツ元収容者が語る「逃れられない」過去

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アウシュビッツ強制収容所の跡地 | Wikimedia
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ナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の象徴となったアウシュビッツ強制収容所の解放から70年を迎えた27日、同収容所で追悼式典が行われ、約300人の元収容者も出席した。その1人であるスーザン・ポラックさん(84)が自らの体験を語った。

アウシュビッツに列車で移送された1944年当時、ポラックさんは13歳だった。80人ほどいた車両の中はすし詰め状態で、高齢者や若者や母親、そして大勢の子供たちがいたという。「母と兄と一緒だった。誰も何もしゃべらなかった。車内は暑くて息苦しく、悪臭が漂っていた」と、ポラックさんは当時を振り返る。

どこに連れてこられたのかも分からず、到着後に新鮮な空気を吸うことができた喜びもつかの間、ポラックさんの母親はガス室で殺され、兄は遺体を処理する収容者のグループに入れられた。

ポラックさん自身は約800人の少女とともに収容された。そこでは、ナチスの医者が残虐な実験の実験台を選ぶため、少女たちは裸にされ、定期的に体を調べられたという。「ハンサムな医者が演壇に座って、左、右と棒で選別していた」

<弱さは死>

アウシュビッツに着いてから10週間後、ポラックさんは強制労働のため軍需工場へ送られた。そこで受けた食糧配給のおかげで生き延びることができ、「ラッキーだった」と話す。ポラックさんはその後、英国軍によって解放された。

現在、英ロンドンに暮らすポラックさん。追悼式典に出席するため再びアウシュビッツを訪れるのに、当時と同じくらい恐怖を感じていたという。だが、母親や多くの親類が殺された場所に戻るのはつらくはなかったかと聞かれると、「訪れない方がもっとつらい」と答えた。

「墓も何もなく、ただ頭の中に名前を記憶しているだけ。だからもう一度見てみたい」

アウシュビッツでは当時、涙は弱さの象徴であり、死を意味していた。だから今、ポラックさんは再び訪れて思う存分に泣きたいという。「可能なら、安らぎが訪れてほしい」

式典が開かれる日の朝、ポラックさんはガス室の中に入った。「凍えるくらい寒かった。裸にされてシャワーが出てくるのを待っているのを想像した」という。

ポラックさんは当初、今回再び訪れれば区切りがつくだろうと考えていた。だが実際は異なり、「とてもつらく、逃れられない」と感じたという。「このようなことを考えた人たち全員に永遠の裁きが下されることを願っている」

[オシフィエンチム(ポーランド) 27日 ロイター]

(Wiktor Szary記者、翻訳:伊藤典子、編集:宮井伸明)

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