「フィンランドだって、国会前でデモしてた」子育てしやすい国の保育園はどうなってるの?

フィンランドは、どうやって子育てしやすい国になったのか。

男女平等の国フィンランド。子育てしやすいこの国では待機児童の問題もないという。フィンランド人男性と結婚後、現地に移住し2人の子供を育てるフリーライター・靴家さちこさんが紐解く、フィンランドの保育園事情とは?

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保育園落ちた日本死ね!!!」匿名ブログについて、安倍首相の国会で「本当か確認しようがない」などと発言したことに怒った当事者たちが3月、「保育園落ちたの私だ」とプラカードを手に国会前で抗議する姿をネットで見た。その瞬間、1960年代後半から70年代前半にかけて「全ての街区に保育所を」と保育園の増設を訴え、首都ヘルシンキの国会議事堂前でデモをしたフィンランド人女性たちのモノクロ写真が頭をよぎった。

1968年にヘルシンキで公立保育園の増設を訴えた乳幼児連れの親たちのデモ 画像提供:Kansan Arkisto /撮影:Yrjö Lintunen

当時のヘルシンキにおける保育所不足は、産業化による都市人口の急増が原因だ。当時の写真は、男女平等社会を目指して懸命に学び働くようになったものの、家庭と職場の両方で重い責任を負わされた女性たちの歴史の一部としてネットに公開されている。それから約50年。フィンランドでは今、保育園の入所選考に落ちることはない。

フィンランドは、どうやって子育てしやすい国になったのか。保育の現状とこれまでの変遷を紹介する。

■フィンランドでは、保育施設を提供するのは自治体の責任

夫婦の共働き率が80%を超えながら出生率約1.8人を保つフィンランドでは、出産に際して母親手当に育児パッケージか140ユーロの現金支給があり、「母親休業」は産前30~50日から105勤務日分与えられている。その間、最初の56日は給与の90%が、残りの日数については70%が保障される。その後、母親か父親もしくは両者が取得できる「親休業」が158勤務日分取得でき、その間は給与の70~75%が保障される。

フィンランドの社会福祉庁が全ての母親に提供する育児パッケージの中身

保育園は通常4カ月前までに申し込む必要があるので、ちょうど1歳を過ぎるころの入園を狙って子供が9カ月になる頃に自治体に申請する人が増える。余裕を持って計画すれば上記の通りだが、母親が急に復職や復学をしなければならない場合には、自治体が申請後14日以内に子供の入所先を確保する義務を負う。フィンランドの保育園の月謝は、親の収入によって決められ、上限は200ユーロ前後(自治体による)、収入が無ければ無料だ。

フィンランドでは1973年に、全ての子供たちに保育施設を用意することを自治体に義務づけている保育園法が施行されており、「生んだのはあなた」「親の責任」などと発言する政治家は皆無だ。

なお、子供の生後54日間の父親休暇の取得率は、生後3週間分については80%。36日以上54日まで全て取得する割合は25%、親休業となると父親の取得率は25%となっている。

■保育園だけではない、保育のバリエーション

一方、フィンランドでは、IT化が進み、勤め人でも家で働ける条件が整い、自営業やフリーランスなど働きかたも多様化した。男女平等を押し進めた割には母の役割も重視されているこの国では、保育のありかたにも様々なバリエーションがある。

まず、親には企業との雇用関係を維持したまま、子供が3歳になるまで無給休業を取得し、家庭育児をする権利がある。

保育園については「フルタイムの共働き家庭が利用するもの」という考えが浸透しており、一人でも親が家にいられるのであれば、わざわざ保育園にフルタイムで入れなくても、パートタイムで預けることができる。

他にも、ペルヘケスクス(ファミリーセンター)やケルホ(クラブ)、レイッキコウル(遊び学校)と呼ばれる午前中や午後だけの一時保育施設や、10人以下の少人数の子供を預かるペルヘパイヴァホイタヤ(保育ママ)や、公園で2、3時間外遊びを見てくれるプイストタティ(公園おばさん)を利用するなど、子供の個性や親の都合に合うものを選択できる。

3歳になって次男が通ったレイッキコウル(遊び学校)は、午前中3時間だけの一時保育施設

次男がお世話になったヘルシンキ郊外の自治体の公園おばさん

これらの選択肢では、施設や、資格のある人材の確保といった、自治体への負担も軽くなる。保育ママも公園おばさんも、厳格な資格は必要が無く、それぞれ必要に応じて訓練コースを受講するだけである。

■「三歳児神話」も? フィンランド初の保育園誕生から現在までの歩み

さてこれだけ保育施設が充実しており、多くの選択肢があるフィンランドだが、その歴史と変遷はユニークだ。

まずドイツから、幼稚園のコンセプトが到来したフィンランドでは、貧しい家庭の子供達を対象に、1888年にヘルシンキで初めての幼稚園が設立され、1913年からは幼稚園への国庫補助が始まった。1936年に「児童福祉法」が施行されると幼稚園の管轄が地方自治体に移り、必要があれば保育施設を設立維持することを地方自治体に求めることができるようになった。

1960~70年代に高福祉社会と男女平等社会に向けて様々な制度が整い行く中、都心に人口が集中してくると、冒頭の写真のような「公立保育園の増設」を訴えるデモが国会前で開かれた。そのかいがあって、1973年には「児童保育法」が制定され、保育施設や、現代の日本の保育ママに相当する、家庭委託保育の数が倍増した。

それでも問題が一気に解決したわけではなく、80年代の終わりでも自治体によってはまだ「児童保育法」の遵守を呼びかける必要があるところもあり、1990年からは「チャイルドケア手当法」によって3歳未満児の親は公立の保育施設か「家庭育児手当」支給を受けるかのいずれかを選択できることが保証された。

その間、メディアでは、「三歳児神話」や保育園児のしつけの悪さや落ち着きない様子が取り沙汰にされた。その一方、隣国スウェーデンでは園児の方が知能他、様々な社会スキルにおいて家庭保育児童よりも優れているという調査結果も現れ、「子供の権利」と保育のありかたに関する議論が盛んになった。

2009年には「保育は誰の責任か?」と題するドキュメンタリー番組が放映されたこともある。その番組では、保育園が主流の時代に家庭保育の道を選択した母親達のライフスタイルが紹介された。三児の母は、「子供を育てる責任は親にあります」と断じ、「自分の子供が初めて歩いたり、言葉を発したりことを、保育園の先生に教えてもらうのはおかしい」と語った。

■「フルタイムワーカー=納税者」を筆頭とする優先順位

実は筆者が、フィンランドに7カ月の長男を連れて移り住んできた2004年当時も、「三歳児神話」の影が残っていた。近所のフィンランド人女性は、「息子が三歳になったらレイッキコウル(遊び学校)」に通わせるのよ」と胸をはり、夫も「君は急いで就職しなくてもいいから、息子を三歳まで家に居させてあげれば?」と提案し、義姉やフィンランド人の友人らも「ママと一緒に居られるなんて素敵!」と賛同したものだった。

それでも私は、やはり長男には多数派と同じ保育を受けさせたく、彼が2歳になった2005年には地元の公立保育園に入所させた。

当時住んでいたヘルシンキ郊外の自治体では公園に通う母子の数は少なく、せっかく知り合っても子供が2歳になる頃には復職し、子供を保育園に入れる人が多かった。そこで私は「このままでは社会性が身につかず、フィンランド語の発達も遅れるのでは?」「それともこの国ではフルタイムで働く母親の子供しか入園させられないの?」と畳みかけると、夫は「この国ではどの子供にも保育を受ける権利がある」と語り、手続きを進めた。

めでたく長男は保育園に通えるようになったが、フルタイムワーカーではない私の存在はマークされていたと思う。新興住宅地として栄えたその自治体は当時、保育園不足の問題が浮上し始めており、ある朝園庭で待ち構えていた園長先生に「家にいるのなら息子さんを午前中だけのパートタイム保育にしてもらえないでしょうか?」と直談判されたこともあった。

保育園法によって、全ての子供たちに保育施設を用意することが義務づけられているとはいえ、受け入れる自治体全てに余裕があったわけではないようだ。

8時から朝ごはんを食べさせてもらえるフィンランドの保育園

■福祉も自治体の懐次第、待機児童は本当に無いのか

2010年、ヘルシンキ郊外の新興都市でも保育園不足が取り沙汰にされるになった頃、フィンランドで生まれた次男が2歳になった。長男同様、次男の保育園を検討したが、当時会社を辞めていた夫は「家に二人とも親がいるのに保育園なんて」とかぶりを振った。

時を同じくして、育児休暇中の子供がいる場合、兄弟の保育園入所を制限する自治体も現れはじめ、手厚い福祉も自治体の懐次第であると理解した。

結局、次男は、母子で一緒に通うペルヘケスクス(ファミリーセンター)と公園おばさんにお世話になり、やがて毎週金曜日に2時間の一時保育と、3歳になってからは週に3日午前中だけのレイッキコウル(遊び学校)に通わせた。

最大週4日通えるレイッキコウルに週3日しか入れず、代わりに勧められて通ったムジッキレイッキコウル(音楽遊び学校)。別料金で、保育園で音楽クラスを選択している園児たちと一緒に受講した

次男が4歳の頃に引っ越してきた今の自治体で、私は職業訓練校に就学する予定だったが、14日以内に保育施設は見つからなかった。当時は夫が家で働いていたので何とかなったが、次男が最寄りの保育園に迎え入れられたのは申請7週間後のことだった。

■不況の今、問われているのは「主観的権利」

福祉大国フィンランドは今、2012年以降不況にあえぎ、失業率は9%を上る。面白がっている場合ではないが、こういう苦しい時に福祉がどれほど守られるものなのか、興味深く見守っている。こういう時世にこそ、私と夫が肌身で感じた「フルタイムワーカーではない」人の権利がどう守られるのかをーー。

2015年にはヘルシンキで、失業者の子供の保育園の利用時間の制限に対して「主観的権利(万人が平等に扱われる権利)」を主張し、抗議するデモが開かれた。

2016年現在、自営業者やフリーランス、育児休暇中の親の子供の兄弟も週20時間保育を受ける権利はあるが、自治体によっては制限を設けているところもある。

このように、福祉で全てを解決しているように見えるフィンランドでも問題は皆無ではない。しかし、様々な一時保育や公園おばさんなど多様な保育の形を取り入れ、保育園のみが最適な保育環境でないとみなすフィンランドでは、保育園に「落ちる」ことが全ての終わりではない。

ヘルシンキ中央で26年のキャリアを持つ公園おばさん、ライヤ‐リーサ・ヨキネンさん「公園おばさんは、子供に外遊びをたっぷりさせたい人にピッタリの、フィンランド独自の保育形態です」

■「声を上げ続けること、具体的なメリットを数値で表すこと」

最後に日本の待機児童問題について、フィンランド国内の女性団体を束ねる「フィンランド国立女性団体評議会」のテルヒ・ヘイニラ事務局長に意見を聞いてみた。

フィンランド国立女性団体評議会、テルヒ・ヘイニラ事務局長

「現在のフィンランドの働く女性と保育を巡る環境は、確かに恵まれています。日本が同じような発展を遂げるためには、政治の力が一番。その為には、声を上げ続けることです。母親達が子供達を保育施設に預けて働くことによる経済効果など、具体的なメリットを数値で表し、それをなるべく地位の高い女性政治家の元に届けることが大事です」

もし日本でも保育園の増設だけでは間に合わず、再び最長3年の育休が議論されるようになったら? と水を向けると、「最近では育児休暇も3年は長すぎると見直されています。3年も家に子供と引きこもるのも大変ですし、3年も職場を離れたらキャリアへのダメージも大きい。私も実際に1年2カ月育児休暇を取りましたが、その後は夫と共にワークライフと育児を分かち合いました」と実体験も交えて話してくれた。

550万人と人口が少ないフィンランドでは、男女総動員で活躍しなければ国が持たなかった事情もあるので、日本に丸ごと当てはめて比べてみても意味はない。しかし、フィンランドにおける、全ての子供の保育の権利を保障する保育園法の考えかたや、ニーズに応じた様々な保育のありかたは参考になるかもしれない。

福祉の国フィンランドでも、60年代には国会議事堂前でデモをしたフィンランド人女性たちがいた。そして2015年にも保育の権利めぐるデモが開かれた。今後日本でも、子供の保育の権利を訴え続けていくことは大切だろう。

政治家もまた、国民の声を「落書き」などと軽んじていないで、これをチャンスに日本の実情にあった対策を講じていただきたい。

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