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「『シン・ゴジラ』のような「決められない雰囲気」はなかった」寺田学・元首相補佐官、福島第一原発事故を語る

2016年11月17日 15時00分 JST | 更新 2016年11月17日 15時36分 JST

2011年3月11日午後2時46分。誰も予期しなかった大きな地震が東日本を襲った。当時、菅直人首相の首相補佐官で現在は民進党衆議院議員の寺田学氏は、議員会館の自室で「その瞬間」に遭遇した。

震災当日から首相補佐官を退任するまでの15日間、寺田氏は「夢と地獄の間のような」時を過ごした。その当時の首相官邸の慌ただしい人の動きや極限状況の中、発せられた生々しいやりとり、そして自身の揺れ動く気持ちをブログに綴っている。

主観的な修正はせず、余分な事であっても備忘録の意義も込めて記憶のまま吐き出し、淡々と書きたいと思います。そこには、私の弱さが、そして当時の官邸の善悪諸々が混在していると思います。

(2016/9/3 「「官邸や自分に不利なことも正直に話す」 寺田学・元首相補佐官が語る東日本大震災の15日間【1/8】」より)

ハフィントンポスト日本版では、8回に分けて寺田氏のブログを転載した。寺田氏は当時の政府対応を振り返って何を思うのか? 当時の政府は情報を隠していたのか? ブログに込めた思い、そして東日本大震災と福島第一原発の事故を「まだ咀嚼できていない」寺田氏のありのままを語ってもらった。

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——寺田さんはご自身のブログの中で、実際に政府の震災対応をこと細かく記録されました。政府の対応として良かった点、反省すべき点を教えてください。

未だに自分なりに頭の中で整理をしようとしています。ただ、正直に言うと「良かったこと」「悪かったこと」を明確に話すほど、自分たちのしてきた行為がどのような影響を与えたのか、確信を持てないです。それほど大きな出来事でした。

私が今、ここで何事もなくインタビューを受けているのはどうしてなのか。東京が壊滅せずに、首都として今も機能している要因は何なのか。そんなことを考えると、4号機プールが奇跡的に倒れなかった(原子炉内部取替の工事中であった4号機には、使用済、未使用合わせて1565本の燃料棒が残っており、燃料プールが倒壊するとさらに深刻な事態を招いたとされている)ことだったり、たまたまTwitterから冷却用にコンクリートポンプ車を提案する声が上がり、それを見た議員がいて官邸に情報が入り、横須賀にたまたまそれがあってその放水によりプール冷却が軌道に乗り始めたことだったり…。

私は、過度に(東日本大震災が起きた当時の)菅首相を卑下するつもりもないですし、あるいは彼がいたから「大丈夫だった」というつもりもありません。本質的なところで、政府としての対応という観点から、我々は「何を学べばいいのか」という問いへの答えを出しあぐねてるのが、今の正直なところです。

私は備忘録という形でブログを書きました(ハフィントンポスト日本版でも掲載)。あの当時を経験した方々の中には、結論めいたことを記録として残した方もいますが、私自身はまだ咀嚼しきれていない、というのが正直なところです。

「死人が出る可能性はあるが、作業を続けろ」という、ものすごい重い判断をする上で、首相として決断をするための「考えの助走」をつける必要があった

——震災から4日目、東電から現場撤退の要請があり、総理応接室に原子力安全委員会や原子力安全・保安院、東京電力の関係者を集め、菅首相が「撤退はあり得ないよな」と口にしたとき、東電社員を含めてその場にいた人たちが「あり得ません」と同意したことがブログで書かれています。それついて寺田さんは「まずい状況だった」とも振り返っていますね。

撤退をするかどうかは、政治側で判断すべきことで、無理やり技術者に言わせることではないと思いました。それを言わせようとしている菅さんのやり方に対しては強い疑問を持ったし、細野豪志さん(当時の首相補佐官)も止めなかった。政治が決めるべきことを技術の人間に聞いてることへの違和感はありましたし、そこは反省すべき点かもしれません。

ただ、多少菅さんの肩を持って考えると、「死人が出る可能性はあるが、作業を続けろ」という、ものすごい重い判断をする上で、彼としても、決断をするための「考えの助走」をつけるというか、色々な意見を聞いた上で発言したいというか、判断の支えが必要だったのではないかと思います。

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2011年3月25日、記者会見にて福島第一原発についての質問に答える菅首相

——「撤退をしない」というのは人の命や基本的人権にかかわる重要な判断です。今後は、こうした緊急時のルール作りを事前に行っておく必要があるのでしょうか。

法治国家で、法規権限に則って首相がいる以上、法律的な建て付けは大事ですよね。私も「撤退するべきだ」とは思っていませんでしたが、手続きの正当性を考えると、大変なことになるぞ、という恐怖感はありました。首相が「撤退するな」という場合の法的根拠が、きちんと定まっていなかったからです。

緊急時や国家的なリスクが顕在したときに備え、さまざまなことを想像して、非常に些細なことまでを含めたルール化は大切です。それは、我が国の行政の体質や国民性を勘案すると、なおさら必要だと思います。

福島第一原発事故における、甲状腺がんのリスクを抑える安定ヨウ素剤の配布の手段についても、ルールがなく、あやふやなまま進んだ経緯があります。国家的リスクに関して、微細なことまで含めたシミュレーションは今の政権も行っているか不明ですし、民進党がもう一度政権を取ったときに、当時あそこにいた人間以外の人が政権を運営するのだとすれば、そこまで考えないかもしれないという気がします。

——東電の勝俣恒久会長(当時)は、菅さんに「絶対に撤退はない。何が何でもやってくれ」と言われた時に、「子会社にやらせます」と強い言葉を発しました。震災5日目、ちょうど菅さんが東電本部に乗り込み、現場に残る東電社員の撤退の判断を下す場面です。

15日早朝、東電本店。
しばらくすると、総理がいる小部屋には数人のみ。総理と向かい合って座るのは、勝俣会長。総理がおもむろに落ち着いた声で勝俣会長に一言。
「絶対に撤退は無い。何が何でもやってくれ」。
その総理の言葉に対する勝俣会長の返答は、返答の持つ意味の重さを微塵も感じさせない程あっさりとしていた。
「はい。子会社にやらせます」。
総理の隣で聞いていて、思わず身をのけぞった。適不適を論ずるつもりは無い。シビア過ぎて、怖かった。

(2016/9/3 「「官邸や自分に不利なことも正直に話す」 寺田学・元首相補佐官が語る東日本大震災の15日間【5/8】」より)

東電を官邸側から見ていて痛感したのは、ものすごく「おもんぱかりが強い」会社だということです。これまで長い間、会社として経済産業省(旧通産省)や政治とつきあってきたことで身についた体質や習慣だと思います。私たち官邸側の実際の言動に触れる前に、こちら側のことを勝手に想像し、先回りするんですね。武黒さん(東電の取締役フェロー・武黒一郎氏)が、東電と官邸とのつなぎ役でしたが、「きっと官邸はこう思うはずだ」という考えをベースに動くのです。それが混乱の要因になった部分はあると思います。

ただ、その中でも、勝俣会長という、意思決定の重心がはっきりしていたというのは、良いか悪いかは別として、危機的な局面においては良かったことだとは思いますよね。「子会社にやらせます」は肝が据わっていないとなかなか口にできない言葉ですから。

当然のことですが、危機的な局面では100%の正解はなく、異論や反論は噴出します。ものごとすべてに一長一短がある中、何をやるにしても、リスクが伴う。東電には組織としてまずい点が多々ありましたが、仮にまったく何も決まらない東電だとしたら、本当にグダグダにはなっていたと思いますよ。吉田さん(福島第一原子力発電所所長・吉田昌郎氏)や増田さん(福島第二原子力発電所所長・増田尚宏氏)といった現場で判断し続けた責任者、シビアな決断が出来る勝俣さんといったリーダーがいた、というのは確かではないでしょうか。

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当時の福島第一原発所長の吉田昌郎氏

映画『シン・ゴジラ』のように、物事が決まらない状況ではなかった。ただ、決断のための情報が圧倒的に少なかった。

——日本の組織は、リーダーが不在で、ものごとを「決められない」という批判が常につきまといますが、東日本大震災時では必ずしもそうではなかったと。ではなぜここまで決断が遅れ、混乱したのでしょうか。

正直にいうと、『シン・ゴジラ』(正体不明の巨大生物ゴジラをテーマにした作品で、緊急時における日本政府の対応が描かれている)の映画のような「決められない雰囲気」はありませんでした。現場はやっぱりちゃんとすぐ動くし、それこそ伊藤哲朗内閣危機管理監を筆頭とした危機管理部局は迅速に動きました。ことがあまりにも大きな震災と事故だったので、行政組織として至らぬ点もあったのかもしれませんが、政府も役所も、ちゃんと動いていたという印象です。

『シン・ゴジラ』では、ゴジラの出現を政府が見誤り、東京湾での水蒸気の発生やトンネル崩落事故を、単なる自然現象として判断し、のんきに楽観視する姿が描かれていましたね。一方、東日本大震災のときは、政治側は危機感をただちに共有し、みんながペシミスト(悲観主義者)として動けたと思います。ペシミストにならざるを得ない現実が続いており、誰が見ても決断を急がないといけない事案が山積みでした。映画のように、ものごとが決まらずにダラダラ時間だけが過ぎるということは当時ありませんでした。

ただ、ものごとを判断したいにも関わらず、情報が無くて、結局のところ何ができるのか、原発に対して何が実行可能なのかという、決断のための材料が少なかった。この点は本当に悔やまれます。

たとえば、福島第一原発事故による避難区域の指定について。専門家によって今からでも検証されるべきことだと思っていますが、「5㎞」「10㎞」「20㎞」と避難区域の範囲を決めるための科学的な根拠を求めるのは、なかなか難しい。正解がない中、原発の事故はより一層悪化し続ける。決めることのクオリティを高めるような情報や知見も乏しい。悪循環ですね。

——クオリティの高い情報はどうして入らなかったのでしょうか。

放射能の影響を予測するためのSPEEDIというシステムがありますよね。これは文部科学省所管の原子力安全技術センターが運用していました。東日本大震災のときは、本来であれば政府や国民に対してただちにデータが共有されるべきでしたが、伊藤危機管理監にも情報が入っていませんでした。

データは、文科省で止まっていたという事態が起きていましたが、各省庁や関係団体に情報が「100」ずつあるとしたら、どの程度、情報を「上の部署」にあげて、どの部分を官邸など、本当の意志決定の中枢にあげるのか、というのは、難しい判断でした。

SPEEDIに関しては、役所機構の中で「何が大事なのか」の判断がなかなかできませんでした。斑目さん(原子力安全委員会委員長・班目春樹氏)が、「すぐには使えないデータです」と判断したことがありましたが、それと同様に、馬鹿正直に考えて「この種の情報は上げなくていい」と役所が考えたのかもしれない。

危機的な状況下で、どのように具体的に細かいことを含めて情報を上げるのか、上げないのか、というのを今から整理しておく必要があります。今回はSPEEDIについては、日本の行政組織のルートから上がって来ずに、官邸側がTwitterで拾って情報を取得しました。あべこべというか、異例の形になっちゃったんです。ただ、今後はどれだけ情報のルートを改善しても、同じようにTwitterで有力情報を誰かが拾う、という作業は残るのではないでしょうか。

Twitterで情報を拾う前に、官邸側がきちんと情報を整理し、その解釈が出来ている、というのが理想ですし、Twitterで初めて有力情報を知るというのは、極力避けないといけない。ただ、いまの時代の情報の流通の仕方からして、正規のルートで上がってくるだけでなく、情報が拡散や分散をして、官邸に伝わってくるというケースは減ることはないと思います。

情報を隠せない時代になった

——Twitterでは政府やメディアに対して、「情報が信頼できない」という批判もありました。枝野さん(官房長官)が、ほぼ不眠不休で政府広報をしていましたが、伝わらない部分もあったのではないでしょうか。

政府が、アメリカ側の支援や協力を断ったという情報がTwitter上にありましたが、根拠が不明で対応には苦慮しました。

民主党政権だからというより、「政府が言うことは嘘だ」という先入観や決めつけも多く、なかなか手ごわかったです。いくら言ったってわかってくれないっていう。難しいですね、?

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