「先輩・後輩との飲み会は断る」格闘家の青木真也、空気を読まないワケを語る

格闘技界は、ファイトマネーを手にして、「飲め、食え!」とみんなにおごってしまう文化が残っています。「マッチョ志向」の一種かもしれません。

青木真也という変わった格闘家がいる。格闘技に集中し、家族との時間を確保するため、先輩や後輩との「ご飯」や「飲み会」は出来るだけ断る。ファイトマネーが入っても派手な生活は好まない。日本で一大ブームを巻き起こした格闘技イベント・団体「PRIDE」が2007年に消滅して格闘技バブルが去ったあとも、地道な練習を続け、今ではアジアを拠点に活動する人気ファイターだ。ベタベタな人間関係が残る日本のスポーツ界では珍しい、「群れない生き方」を聞いた。

■みんながお互いを抑え合って生きている

――最近、「空気を読んではいけない」(幻冬舎)というビジネス書を出版しました。自身の格闘家人生を振り返るとともに、「凡人が空気を読んでしまったら、本当に『空気』になってしまう」「幸せな人生を生きるために友達はいらない」などの刺激的な格言が綴られ、間もなく3万部に届きそうな話題作です。

今の時代、みんながお互いを抑え合って生きています。他人に、どう思われるかを気にしています。オリジナルなものを持てず、足を引っ張り合う。自分の価値観の中で生きてみよう、周りに理解されなかったとしても「ギャーギャー」言うのはやめましょう、ということを書きました。

収入がいくらあれば幸せなのか。人によって月に5万円あればいい人もいる一方、500万円なければいけないという人もいる。物差しが違うのに、皆でお互いに監視し合って、縛り合っているのは、無駄なことですよね。

たとえば私がいる格闘技の世界では、「アメリカに行くことが、世界一になること」という価値観ばかりが蔓延している。価値観が一つの方向だけに定まるのは、ちょっとしんどい。

――「海外」といえば、日本人のファイターがUFCなどアメリカの格闘技団体への参戦を目指す中、青木さんは、シンガポールを拠点に活動し、アジアの格闘技「 ONE Championship」で活躍していますね。

世界がこれだけ多様化しているのに、「アメリカ」にとらわれすぎなんです。また、「世界ナンバーワンになる」という目標設定も夢がありますが、「ナンバーワン」というのは、世界中で1人しかなれない。1番にならないと失敗だとか不幸だという価値観になると、1人以外は全員不幸じゃないですか。それはちょっと違いますよね?「目標」って、多様であるべきなんです。

僕は大学時代からリングにあがってきました。警察官として働いたこともありますが、思い切って公務員生活を捨て、格闘技の世界に入った。僕が契約していた(格闘技イベント・団体の)「PRIDE」は業界トップクラスで、華やかな時代でした。でもそのあと2007年に消滅し、当たり前だと思っていた給料も振り込まれなくなってしまいました。

格闘技業界は団体が旗揚げされてもすぐに消える負のスパイラルに陥ります。バブルがはじけたのです。国内は「焼け野原」だと思いましたね。格闘家として生き残るために、日本の外に目を向けました。アジアのチームで練習をさせてもらうことになり、シンガポールなど東南アジアの勢い、市場の伸びを感じ、体が震えたことを覚えています。

僕は小金持ちや成金、大金持ちまで、色々な人をこれまで見てきました。たとえば、どんどんお金を使っているように見えても、「本当のお金持ち」ではないんです。支払いのときに領収証をもらっているのかもらっていないのか、など細かい立ち振る舞いを見てきました。

単なる見栄としてお金を使っているのではなく、ビジネス化ができているお金の回し方をする人が、シンガポールには多いと感じました。ここにはチャンスがあるな、と。格闘家として生きるには日本にいる必要がないし、みんなと同じようにアメリカを目指さなくていい。自分を売り込めるマーケットを探すことが大切なんです。

■右肩上がりの時代は終わった

――ひとつの価値観に縛られているのは、日本のどの産業やビジネスでも同じですね。

格闘技の世界では、男だったら、「1人の稼ぎで、家族3人を養って、大学に行かせてなんぼだ」みたいなマッチョ志向が根強い。でもそれって今のご時世では難しくなってるじゃないですか。共働きをする必要もあるだろうし、お父さんの職がいつ奪われるか分からない。格闘技の選手だけじゃなくて、日本のすべてのお父さんが自分の中で理想像をつくって、自分勝手に苦しめられているようなことが、よりわかりやすく格闘技に残っているんじゃないかな。

日本は、もはや右肩上がりで成長していません。それなのに、昔の良かった時代のフォーマットを捨てず、発言力のある上の世代が「俺たちはやってきたんだ」「俺たちはこうだったんだ」ということを押しつけてますよね。

――青木さんが、そういう考え方をするようになったのは、どうしてですか。

格闘技は不安定な仕事です。明日どうなるかわからない、20秒後、30秒後にどうなるかわからないという気持ちは常に持っています。何かに追われてるような感じなんですよ。生き残るために自分の価値観をきちんと持つのは自然なことです。

――青木さんは、「人間関係を始末する」と著書の第1章に掲げ、孤独をすすめています。しかし、不安があればこそ、万一のための人脈を開拓したいというのが人情です。なぜ孤高で居続けられるのでしょうか。

「PRIDE」が消滅したり、格闘技団体「DERAM」を辞めたり、多くの経験をしてきました。ぐちゃぐちゃになっている中、自分の身を捨ててまで助けてくれる人って、正直いないですよ。溺れている人を、自分が沈んでまで助けてくれるという人はいないので、やっぱり自立しないといけないです。格闘技のように社会的な価値が安定していない仕事は特にそうです。

■「#飲み会やめる」

――飲み会などの付き合いも行かないんでしょうか?ハフィントンポストでは「#飲み会やめる」というキャンペーンをやったことがあるので、興味深いです。

格闘技界は練習後の食事までがひとつの「流れ」というか「セット」です。そういう、先輩や後輩、関係者との飲み会は基本的に断っていますね。格闘技界は、たくさんのファイトマネーを手にして、「飲め、食え!」とみんなにおごってしまう文化が残っていますが、それって一時的な大金にすぎないんです。さきほど触れた「マッチョ志向」の一種かもしれません。

時間とお金がすごく無駄だなと思っちゃうんです。連れて行かれたりして「やだな」「帰りたいな」と思って、でもこれはすごい料理だなと驚いて、その直後に「子どもに食わせたい」ってなるんです。その時間あったら一緒に居れるのにな、って。

――どうやって断っているんですか。

すみませんって、2回断れば大丈夫なんです。すみませんって言っておいて、あいつは行かないか、となれば、別に悪気がないじゃないですか。本当にコストに合わないですよね。不思議じゃないですか。だってちょっとお酒を飲んで5000円、1万円。話があるなら、夜にそこでミーティングしなくて、その5000円や1万円をお昼に使ったらもっといいものが食べられます(笑)。

――(インタビューに同席していた)担当編集者の箕輪厚介さん:青木さんが面白いなと思ったのは、人との食事は「なあなあ」ではいかないけど、会いたい人を決めて定期的にお茶に行くんです。そしてお茶代500円以上の情報を得て帰ってくる。目的意識を持ってアポを取って、お茶するんです。

出会う方法は色々でしょうが、大事な仕事を一緒にやる人同士とは、必然的に再会すると思っています。利害関係があれば絶対に、くっつく。喧嘩をして「お前のことなんか嫌いだ」と言って別れても、そうなる。ご飯を食べてお互い楽しんで見せかけの関係を作るより、もっと深いところでつながっているんじゃないですかね。

飯を食うって楽しいですよ。親密さも生まれた気になります。お酒が入れば、お互いに壮大な夢やプロジェクトのアイデアも生まれますよね。でも、そういう瞬間的な情熱もすごく貴重なんですけど、一番大切なのはスポーツも一緒で、どれだけやり続けるか。やり続けることに僕は価値を置いているので、食事をして美味しいものを食べて盛り上がっているときの一瞬の感情ってあんまり意味を感じません。

■「100%のファイターになりたい」

――「真に自立した格闘家」とは、青木さんにとって、どういう人ですか。例えば格闘家の中では、アルバイトや別の職業を同時に持って、生活を支えている人もいます。

経済的に自立するために様々な手段があります。僕にとって、自分の足で立って格闘技で生きていくって、100%(パーセント)の力を使うこと。100%のファイターになるためには、自分のすべてを注がないといけない。100%のファイターになるためのアルバイトなのに、アルバイトが中心になって、ファイターである自分との立場が逆転してしまう格闘家も少なくありません。

格闘技は確かに経済的に自立するのが難しい業界です。ジムでのレッスン料やアルバイトで生計を立てる必要もあります。でも、その一方で女の子と遊んだり、良い車や良い家を求めたりする人もいる。「苦労しながら格闘技を続ける」というのは美談ですが、欲望もエネルギーも散らかっていてはだめなんです。100%の欲望を注がないと、こうした厳しい業界では食ってはいけない。

――格闘技業界の「食えない」構造を変えたいと思いませんか。たとえば青木さんが業界団体を立ち上げて、ルールを変える側に回りたいと思いませんか。

いや、そんな気持ちはありません。あくまで自分と自分の周りの近しい人や家族の幸せを絶対に担保したいというのがあるので、そこを失ってまであまり大勝負に出ようとは思わないですよね。

■学校的価値観に染まってしまう日本のスポーツ界

――格闘技だけでなく、日本のスポーツ界についてはどう思われますか。

僕は中学では柔道部で、補欠でした。才能がなかった。そこで寝技をたくさん練習して覚えた。異端ですね。日本の柔道界では「しっかり組んで投げる」のが正統派なので、文句を言われました。同調圧力です。でも今では、「寝技といったらアオキだ」と世界中の格闘技ファンが覚えてくれる。人と違うことをやっていないと、市場では認識されません。

日本は、学校とスポーツが、一体化していますので、すごく複雑な問題なんですよね。一度、スポーツを学校から切り離したほうがいいかもしれません。僕もそうした環境で育ってきちゃったんですけど、柔道が強いから進学や就職が出来てしまう一つの大きなシステムが出来上がってしまっている。スポーツで活躍して企業に行った先輩が、後輩を助けてくれる。そのレールに乗ろうとしてしまう。単一の価値観が支配する世界で足を引っ張り合うんです。

スポーツを今の日本のシステムや価値観から、全部切り離して個々の力で自立させてやったほうが一番いいなと思うのは、これまで格闘家として生きてきて痛感します。

甘えてきたんです、システムに。勉強もしなかったし、ぬるく生きてきたんです。それは柔道が強ければ、ということで担保されていたんですけど、「俺はこれさえ頑張っていれば大丈夫だ」という甘えの心理を生み出す。海外だと超一流の選手でありながら、弁護士でも活躍している人とかたまにいるわけですよ。

■無様な負けも「ありがたい」

――ところで青木さんは、コスプレ格闘家の長島☆自演乙☆雄一郎選手と戦ったことが「伝説」として語られています。青木さんは逃げ回り、最終的に相手の膝蹴りのクリーンヒットを受けて、漫画みたいな失神KO負けをしました。ネットのネタになっています。

2010年の試合だから5年6年経つんですけど、話題にしていただいていることは本当にありがたいと思っています。批判も嘲笑もあり、試合直後は立ち直れませんでしたが。人の感情がそのときに揺さぶられて、いまだに心をざわつかせているのだから。人の感情が揺さぶられたときにこの仕事はお金が生まれると思うのでいい仕事だったと思いますよね。負けてより話題にもなったし、何年か経ってまたタイミングが来たときにお互いのカードとして持っているので、そこでまたお金にできますよね。

普通に試合をしても、普通に職場に行っても1万円なのに、期待される仕事をすることでそれが5万円になったり10万円になったりすることだと思うので。強いヤツと強いヤツが戦えば、それだけで儲かるという話ではないのが不思議なところなんです。

金メダルや銀メダルなど、ある意味分かりやすいオリンピックとは違う。だから周りの評価も不安定なんです。負けて逆に覚えられていたり、強くても忘れられたり。弱いことが愛嬌になって価値を生むこともある。だから、自分がブレずにいることが大事。そうしていれば、みんなの記憶と心に残り、格闘家として仕事を必ずやり続けられる。そういう風に思っています。

■青木真也氏のプロフィール

あおき・しんや。格闘家。1983年、静岡県生まれ。最新刊の「空気を読んではいけない」(幻冬舎)が話題。小学生のころより柔道を開始。早稲田大学在学中に柔術を始めた。PRIDEやDREAMを経て、2012年にONE FC(当時)と契約。2013年、同王者となる。

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