ロヒンギャの幼児の変わり果てた姿に、冷酷な世界の現実が見える

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ミャンマー西部のラカイン州で、焼失した避難所の周辺を歩くロヒンギャの子供たち。2016年5月3日。REUTERS/Soe Zeya Tun TPX IMAGES OF THE DAY

【閲覧注意】この記事には、幼児の遺体写真が含まれます。

インターネットには、ありとあらゆる画像がアップされる。世界が間違っていると深く気付かせてくれるだけでなく、胸が張り裂けるような思いをすることもある。先日SNSでシェアされたミャンマーの少数派イスラム教徒、ロヒンギャの幼児の写真が、そのひとつだ。

私たちの中で最も忍耐力のある人でさえ、溢れるほどの暴力と苦境の画像にさらされ、冷めた目で見ているつもりでも、この写真の圧倒的な威力には衝撃を覚えるだろう。

CNNによると、画像はモハメド・ショハエちゃんの遺体で、1歳4カ月の少数派イスラム教徒、ロヒンギャの男の子だ。彼は家族と一緒に、故国であるミャンマーのラカイン州での暴力から逃れようとした。

モハメドちゃんの父ザフォル・アラムさんは、辛うじてバングラデシュに逃れ、妻と子供を呼び寄せようと船頭に頼んだ。モハメドちゃんと母親が他の人たちと一緒に逃げ出そうとしたとき、ミャンマー軍が彼らに向かって発砲した。そのとき、パニックになり、船に乗り込もうと大勢の人が詰めかけ、それが原因で船は沈没した。モハメドちゃんの遺体は、バングラデシュとミャンマーの国境にあるナフ川の川岸に打ち上げられ、誰かがスマートフォンで写真を撮り、ザフォルさんへ送った。

「写真を見たとき、死んでしまいたいと思いました。もうこの世に生きている意味がありません」と、父親のザファルさんはCNNに語った。

2015年9月、アイラン・クルディ君と兄のガリプ君がトルコ沖で溺死した。ちょうどモハメドちゃんと同じような状況だ。家族は故国のシリアで起きた戦争から逃げようとしていた。海岸にうつ伏せになった3歳のアイラン君の写真は、インターネットで大きな話題となった。今、ここにモハメドちゃんの画像があるが、ほとんど同じような写真で、アイラン君のときの記憶を再び呼び起こしている


トルコ・ボドルムのリゾートビーチ。2015年9月2日(水)早朝。難民ボートの転覆事故を調査する準憲兵隊員。この後、3歳のアイラン・クルディ君の遺体は海岸から運ばれた。


■ 悲しみの下に一体となる

ミャンマーのロヒンギャは、長い間、国家から迫害を受けている。人権監視機関は、ロヒンギャに対するミャンマー政府の行動は「虐殺」だとの見方を下したが、政府はこれを強く否定し、独立した委員会を設置して非難されるような問題はないと主張している

仏教徒が大半を占めるミャンマーで、少数派のイスラム教徒であるロヒンギャは過酷な扱いを受けている。ロヒンギャは、ラカイン州で暮らす少数民族で、何世代にもわたってミャンマーに住んでいる人もいる。ロヒンギャの苦境は、ノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー氏が事実上治める国にとって、特に恥ずべき問題だ。

ロヒンギャは、宗教的な不寛容と社会からの追放に直面し、インドやバングラデシュに逃れている。シリア難民が内戦から逃れているのと同じ状況だ。シリアでは、イスラム過激派組織IS(イスラム国)による暴力が絶えない。

モハメドちゃんがバングラデシュにいる父親の元へ行こうとしたように、シリア難民の兄弟、アイラン君とガリプ君も叔母が暮らすバンクーバーへ逃げようとした。しかし、母親のレヘンさんと一緒に命を絶たれた。チリ人の詩人ラウル・ズリタは南アジア最大のアートイベント「コーチ=ムジリス・ビエンナーレ2016」で彼らを追悼した。

国や社会環境、政治的な歴史は違うが、彼ら3人はみんな、ひとつの揺るぎない真実の下で一体となっている。それは、世界中どこでも、悲劇にさらされる人間の顔は同じということだ。

しかし、それで終わりではない。

さらにショッキングなのは、こうした画像の持つ運命だ。世界は、こうした写真の洪水に際限なくさらされている。私たちは毎日、このような怖ろしい記憶と格闘としているが、また、目を背けることも学び、そして、インターネットの深みに写真を解き放つこともしている。世界を生き抜くために。

ハフィントンポスト・インド版より翻訳・加筆しました。

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ロヒンギャの難民
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