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昔、年商28億円、今は障害児のシングルマザー。「セーラーズ」社長は政治に物申すと決めた【2017都議選】

2017年06月07日 22時11分 JST | 更新 2017年09月22日 19時27分 JST

「セーラーズ」というブランドで1980年代、渋谷を拠点に一世を風靡した洋服店の社長は、18年前に重い障害のある娘を授かり、店を閉めて育児と介護に専念していた。

長いこと表舞台から遠ざかっていた三浦静加さん(64)は、7月2日投開票の東京都議選に世田谷区選挙区から無所属で立候補する。シングルマザーとして障がい児と向き合った経験、そして小池百合子知事の誕生。組織に頼らず単独で「障がい児ファースト」の旗を掲げようと突き動かしたものは何だったのか。

渋谷にあった「セーラーズ」の店

三浦さんの半生はスタートから波乱の連続だ。父親が多額の借金を背負い、小学2年のときに一家5人は自宅を追い出された。小学校の友達がはいていたリボンやレースつきの靴下がうらやましく、見よう見まねで洋裁を学んだ。「洋服屋の女社長になって大金持ちになる」。高校卒業後、19歳で東京・江古田にジーンズの店を開いた。

下北沢の古道具屋で見つけた、水兵のキャラクターの看板を気に入って、店に飾っていた。このキャラクターをトレーナーにプリントして店に置いたら、飛ぶように売れ、ファッション雑誌にも取り上げられた。トラブルに巻き込まれ億近い借金を抱えたりもしたが、紆余曲折の末、1984年に渋谷・公園通りの路地裏に9坪の店「セーラーズ」を開いた。

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1985年春、フジテレビで夕方に始まったバラエティー番組のディレクターから、まとまった注文を受けた。「番組で誕生したアイドルグループに着せたいんだけど」。1人あたり1万円という低予算だったので、在庫のパーカーに男物のトランクスを組み合わせて着せることにした。

番組は「夕やけニャンニャン」という名前だったが、忙しくてテレビを見る暇もなかった三浦さんは、全然聞いたこともなかった。

『週刊明星』1985年8月22日号

番組からデビューした「おニャン子クラブ」が、7月にリリースしたデビュー曲のタイトルは「セーラー服を脱がさないで」。過激な歌詞が話題となり、熱狂的なファンとともに社会現象になった。「『夕ニャン』で毎日、おニャン子が着ているあの服が欲しい」。セーラーズの店は連日、全国からのお客で長蛇の列となり、抱えていた借金はあっという間に消えた。

セーラーズの服は人気タレントにも愛された。マイケル・ジャクソンは来日時に特注のジャンパーを依頼し、その後も来日するたびに訪ねてきたという。

「年商28億円あった」という一時のブームは去っても、順調な売り上げを保っていた1998年11月、45歳で大きな転機が訪れた。妊娠が分かったのだ。

直後から、生理後のような出血が1週間ごとに続いた。胎盤が通常より下にある「前置胎盤」と診断され、入院と絶対安静を言い渡された。

1999年5月18日、帝王切開で出産した。1778グラムの女児は片方の肺が未成熟で、産まれるや否や、救急車で国立成育医療研究センターに運ばれた。会えたのは4日後のことだった。

不安を抱えながらも退院し、すくすく育っているように見えた生後8カ月。自宅でよく転ぶのが、どうも気にかかった。日本の医師は明確な判断を言わない。アメリカに飛んで医師数人に診てもらった。「脳性まひで運動障害の可能性がある」と異口同音に結論を出した。

翌年、店を閉めた。障がい児を抱えたシングルマザーとして、一人娘の世話に専念することにしたのだ。

一人娘・静良さんと。産まれる前から「セーラーエミー」と名前をつけていたという。

事業が順調だった頃は、政治の世界から何度も誘いを受けたが、いま一つ関心が湧かなかった。それが、肢体不自由児の娘に朝から晩までつきっきりで歩行訓練に付き合い、学校に送り迎えする生活をしてみると、気になる点が次々に浮かんできた。

学校には、運転手や添乗員を含めて何千万円もする送迎バスが十数台。「介護タクシーなら10分の1の金額で済むじゃない」。区内にある都立の特別支援学校は改築計画が進むが「高層マンションにして地域住民に分譲して、高齢者施設や保育施設も併設すれば安上がりに幅広く活用できるし、相互理解も進むのに」。

適切な支援は必要だが「『もっとお金を出して』じゃない。ちょっとした工夫で有効に活用できる。私ならできる自信がある」と、政治への意欲が高まっていた2016年夏、初めて女性が東京都知事に当選した。小池百合子氏だった。

「女性があそこまでやるなんて」と感動した三浦さんは、小池知事が立ち上げた政治塾「希望の塾」に入塾して講義を受け、都議選にも出る意思を固めた。しかし2017年4月、都議選の立候補予定者を選抜する「都民ファーストの会」事務局の面接に呼ばれてスタッフから言われたのは「歳食ってんだよねー」だった。

その後、連絡はなく、世田谷区選挙区は既に2人の公認予定者が発表された。「私、小池さんとは1歳しか違わないのよ。黙っていいのかと思った」。政党の支援は受けず、選挙に臨むと決めた。

誰もが最初は止めた。「無理だよ。あの千代の富士だって日本相撲協会の理事の選挙に落ちたんだよ」。タレントの小錦八十吉さんから言われたという。でも、最後はみんなこう口を揃えた。「シーちゃんらしいや」

5歳で言葉を喋らなくなった娘は、母が選挙に出ることの感想を口にすることはない。ただ、内容は理解している。「ドレミの歌」を替え歌した選挙運動用の歌を歌ったら喜んだ。「頑張るよ」と言ったら、機嫌のいいときのようにトントンと叩いてきた。応援してくれている。そう確信している。

脳裏にあるのは、同じ境遇にある母親たちの表情だ。リハビリ施設の食堂で、娘とはしゃいでいた三浦さんを「どうしてそんなに明るくなれるの」と思い詰めた顔で尋ねて来る母親がいた。

「若いママたちが、将来を全部犠牲にして、人生をエンジョイできていない。『あなたのためにこうなったのよ』と言われたら子供だって可哀想でしょう。ベビーシッターを派遣するとかして、リフレッシュも必要。そうしないと真面目な話、子供だって産まれないわよ」

障がい児に優しくない政治は、誰にとっても優しくない。何もかも手探りの初めての選挙だが、選挙期間中、今の政治に精いっぱい物申そうと思う。