長時間労働から転身。自然に励まされ、障害者が造ったワインをグラスに注ぐソムリエ

投稿日: 更新:
印刷

栃木県足利市にある「ココ・ファーム・ワイナリー」(関連記事「慈善ではなく、おいしいから」障害者のワイナリー「ココ・ファーム」収穫祭を訪ねて)。

ワイナリーに隣接する障害者施設「こころみ学園」の園生と様々な職種のスタッフが、ブドウを栽培したりワインを造ったり、一緒に働いている。「能力を生かし、それが仕事になる」というのは、障害の有無にかかわらず大事なことだ。

働く人たちを紹介する連載の5回目は、長時間労働を脱出し、自然と人に元気づけられているソムリエ・杉本賢俊さん(28)の物語。

photo
ソムリエ・杉本賢俊さん

■ 名門校に進むもバンド活動に走る・フレンチ料理人目指し仏文科へ

ワイナリー内にあるショップでワインのテイスティングを勧め、併設のカフェで料理とのペアリングを説明する杉本賢俊さん。東京のフレンチレストランに勤めた後、初めての地方暮らしをしながらソムリエとして奮闘している。

東京育ち。受験をして中高一貫の名門校へ。勉強が嫌になり、音楽にはまった。バンドを組み、ギターを担当。学力が落ち、高2の面接で先生に「有名な大学には行けないですよ」と言われた。父は「大丈夫です。料理か本人が好きな音楽をやらせますんで進学しなくていいです」と言った。獣医から研究の道に入った父は、感覚がユニークという。同級生は弁護士や医師になるような進学校だったので、先生は驚いた。

当時、テレビドラマの影響でパイロットになりたかった。兄がパイロットになったので後は追いたくなくなり、夢が消えた。バンドマンになりたいというと、それまで反対しなかった父に、「お前の部屋から聞こえる音楽には何も感じるものがない。プロとしてご飯を食べるのは簡単じゃない」と指摘された。

父は食にはお金をかけるので、小さいころから寿司屋やいい店に連れて行かれた。「寿司屋をやれ」と言われたが、何年も皿洗いをしながらひたすら魚をさばく修業は厳しいと思い、料理の道を考えた。

小さいころから料理が好きで、小学生のときは餃子のたねを包んでいた。両親が共働きだったため1人で作る。中高生の時は和洋中と何でも作れて、トマトパスタやカルボナーラが得意だった。そうした経験から「フレンチの料理人になりたい」と言ったところ、父に「フランス語がしゃべれないといけないし、大学は行ったほうがいいんじゃないか」と勧められ、外語大を目指した。そこでまた音楽に走って浪人。青山学院大に入り、フランス文学を勉強した。

■ 就職活動、100社落ちる・新人なのにいきなりフレンチの接客

進んだ大学でも、バンドやライブ活動に没頭。アルバイトでは飲食店や居酒屋の調理を担当し、割烹で魚をさばいた。ワインはわからなかったが、バーテンダーもやってシェイカーを振った。こうした経験は、のちの仕事につながっていく。

フレンチの料理人になる夢は消えて、普通に就職活動をした。音楽が好きだったので、レコード会社、IT関連など100社ぐらい受けた。だが、どこも受からない。メール一つで落とされると、「自分って何だろう」と自信をなくした。

音楽から離れようとエンタメ系の会社を受けた。イベントやテレビ制作、飲食などの仕事もある。声をかけられた会社に決めた。都内の人気エリアにフレンチの店を出す予定があり、仏文を学んだから可能性があるということだった。入社して、さっそくその店に。まさか新入社員として配属されるとは思わなかった。

フレンチもワインもわからない段階で、接客をした。会社もフレンチの店は初めてでノウハウがない。高級なフレンチ店が多いエリアで、中級の価格。就職前に家族で食事に行ってみたら、父に「接客がひどい。こんな会社に行くのか」と言われ、プライドが傷ついた。「自分が入って、変える。見ててよ」と思った。

■ 自腹で1日1本、ワインを飲む・勉強は得意、ソムリエ試験に合格

料理人はキャリアがあり、店長も厳しい人。何とか現場は回るようになったが、自分以外のアルバイトも経験の浅い人ばかり。ワインに精通するソムリエの資格が必要と思った。店で飲んだり自分で買ってみたり。家族で食事する時も、いろいろなワインを飲んでみた。そして、ワインの力にはまった。「世界中に、こんなにあるんだ」

入社して2年目までは接客の仕事しかできず、少しずつ勉強した。毎月、酒販店で開かれるセミナーに行き、「ソムリエなんて雲の上の資格だけど、受けてみようか」とテキストを買って勉強した。会社からも、1人もいないから受けてみるようにと言われた。暗記は得意なので、ペーパーテストは大丈夫。二次試験のブラインドテイスティングで、どこの国のどんな品種か答えるのが大変だ。1年かけ、自分で買って1日1本は飲んでいた。無事に合格し、会社のフレンチ2号店に配属される話もあった。スキルアップになるし、給与が上がる期待もあった。

■ 長時間労働に「辞めたい」・ココのワインに出会う

でも体がきつくなって、会社を辞めたいと考えていた。長時間労働の職場。朝10時から深夜1、2時まで働き、レストランウエディングも担当した。司会、音響や給仕もこなす。入ったばかりで、必死にやるしかなかった。

やりがいはあった。ソムリエの資格を取った後、店で「この料理にはこのワインがいい」というペアリングを考えて出した。商品の発注も任されていた。

そのころ出会いがあった。ニシンを使った燻製料理に合わせるワインを選ぶ時、海外では白ワインを赤ワインの手法で造るオレンジワインが流行っていて、合うかもしれないと考えた。日本では、ココの「甲州F.O.S.」というオレンジワインがあり、取り寄せて飲んでみたら料理によく合った。お客さんにも、「栃木の足利にあるワイナリーでしょう? 知っているよ」と声をかけられ、行ってみようと思った。

「同じころだったか、友人に誘われて行った試飲会でも、ココのワインはやっぱりおいしくて、群を抜いていました。気になるワイナリーだったんです」

photo
緑のブドウ畑

■ 心も体もボロボロ、ブドウ畑に癒され・ソムリエ募集に転職

昨年のゴールデンウィークに、ココに来てみた。勤めていたレストランをやめることは決意していた。心も体もボロボロだったので、山の斜面にあるブドウ畑の景観に癒され、感動した。客が参加できるツアーで説明を聞くと、障害のある人が働いていることを初めて知った。

ホームページを見たら、ソムリエを募集していた。「働きながら、栽培や造るところから学べるのでは」と思った。東京で転職の活動もうまくいかなかった。話を聞いてみようと、ワイナリーの役員に会った。東京のレストランが忙しくてなかなかやめられず、しばらく働いた。足利に移り住み、ココに就職。昨年10月からショップで働き始めた。

転職を喜んだのは父だ。父は大事なところは導き、後は見守ってくれた。東京で元気がなかったのを見ていたから、足利に連れて来た時、「ここはいい」と認めた。

■ 物語をわかって注ぐ重み・造り手の熱意消さずに伝える仕事

「まだまだ知らないワインがある。もっと勉強したいです」という杉本さん。「ソムリエの仕事って何だろう」と思っていた。都心のおしゃれな店で「おいしいですよ」とグラスに注いでも、だれが作ったか顔が見えなかった。お客さんに説明し、満足はしてもらったが、ココで熱意を持って造った人の物語を知って注ぐのは、重みが違う。

それまではワインを少しこぼしてもなんとも思わなかったのが、大事にするようになった。園生とも挨拶して交流する。一生懸命に造ったものを、熱意を消さずにお客さんに注いで伝える仕事だという。

地方暮らしは初めて。車の運転も初心者だ。食べるのが好きなので、東京と違ってちょっと高級な店でランチをしたり、気軽に飲んだりできないのは残念だが、休日に東京に行って勉強することもある。「ココで働くようになって心が穏やかになりました。東京からのお客さんも多く、飲食店で働いていた経験が生きています。引き出しがあるので話が盛り上がる。リピーターで仲良くなったお客さんもいらっしゃり、嬉しいです」

【ココ・ファーム・ワイナリー】
1950年代、地元の教師だった川田昇さんが、知的障害がある生徒と一緒に山の急斜面を開墾し、ブドウ栽培を始めた。69年、障害者の施設「こころみ学園」ができる。現在は入所を中心に18歳~90代のおよそ150人がいる。「園生が楽しく働ける場を」と、80年に保護者の出資でワイナリーを設立。約20種、年間20万本のワインを製造。ワイナリーが学園からブドウを購入し、醸造の作業を学園に業務委託する。ワイナリーのスタッフは30人。

なかのかおり ジャーナリスト Twitter @kaoritanuki
「慈善ではなく、おいしいから」 障害者のワイナリー「ココ・ファーム」収穫祭を訪ねて

障害者と一緒にワインを造り続けたアメリカ人「期待することが大事。ハンディと考えず本気でやってもらう」

単純な作業をこつこつ続ける障害者たちと一緒にブドウ栽培「上下関係はない、みんな仲間」

「採算や効率より、働く人の人生が大事」障害者と共に歩むワイナリーの精神とは

知的障害のスペシャリストが支えるワイン造り「必ず秀でたところがあって、生かせる仕事がある」