ウッズが鳴らす「8000ヤード」の警鐘はゴルフの進化を止めるのか--舩越園子

用具の進化はゴルフコースを伸ばすだけではなく、選手の位置付けやゴルフスタイル、ひいてはキャリアや運命をも変えてしまう

タイガー・ウッズが11月下旬からバハマで開催される「ヒーロー・ワールド・チャレンジ」(自身が主催する米PGAツアー非公認の招待試合)に出場する。今年2月に開催された欧州ツアーの「オメガ・ドバイ・デザート・クラシック」を途中棄権して以来、9カ月ぶりの試合復帰となるのだが、それに先駆け、昨今は自己アピールに余念がない。

今月はじめには米ラジオ局『ESPN』のポッドキャスト(ネット上のラジオ・テレビの一種)上で、自身の子供たちがウッズをどう見ていたかという父親観をはじめ、膝の状態やスイング改造にまつわる秘話などを赤裸々に語っていた。その中で最も注目を集めたのは、ボールの進化に対するウッズの意見だった。

モダンテクノロジーを駆使して開発されている近年のゴルフボールは、年々、進化し続けている。その恩恵を受けて、ゴルファーの飛距離は伸び続け、とりわけ用具の性能を最大限に活かすことが可能な一流プレーヤーたちの飛距離の伸びは著しい。

それに伴って、米ツアーのみならず、メジャー4大会、世界選手権シリーズといったビッグ大会の舞台も、コース全長あるいは数ホールが、どんどん伸長されている。その現状にウッズは警鐘を鳴らしたのだ。

「ゴルフボールに対しては何か手を打たなければいけないと思う。このままボールが進化し続ければ、8000ヤードのゴルフコースが必要になる日も決して遠くない。それは、かなり恐ろしいことだ。そんなコースを(あちらこちらに)造るに足る十分な土地はないし、ゴルフにまつわる様々な状況を複雑化するだけだ」

ウッズが口にした「8000ヤード」は、いきなり聞けばビックリさせられる数字かもしれない。だが、非現実的でオーバーなたとえかというと、そうでもないからこそ、ゴルフ関係者はウッズの指摘に注目せざるを得ないのだ。

最長コースでも最少スコア

今年の「全米オープン」の舞台となった「エリンヒルズ・ゴルフコース」のコース全長は、大会史上最長の7741ヤードだった。全米プロが開かれた「クェイルホロー・クラブ」は7600ヤードだった。どちらも「8000ヤード」に届きそうな数字だったが、蓋を開けてみれば、コースが最長レベルまで伸ばされたからといって、それがそのままスコアに反映されたわけではなかった。

全米オープンの3日目にはジャスティン・トーマスが9アンダー、63をマークし、大会最小アンダー記録を更新して全米オープン史を塗り替えた。さらに、ブライアン・ハーマンも3日目を終えて通算12アンダーと全米オープンの54ホール最少スコア記録を更新。トーマス、ハーマンのみならず、他選手たちのスコアも軒並み伸びていた。

全米プロの4日間の平均スコアは73.46。コース全長がもっと短かったコースで平均スコアがもっと悪かった過去の例は数えきれないほどある。こうしてみると、コースの長さと選手たちのスコアリングは必ずしも直結はしないと言えそうである。

ウッズが危惧している最大のポイントが、8000ヤード級のコースをつくるための「土地の確保の難しさ」だとすれば、既存のゴルフコースを8000ヤード級へ伸ばしたり、8000ヤード級のコースを新たに造ることが困難な環境はあるのだろうが、少なくとも米国には、まだ未開の地もあるわけで、土地的な余裕はありそうである。

しかし、その可否を問う以前に、8000ヤード級コースは本当に必要なのかどうかを、ゴルフ史を少々遡りつつ、考えてみた。

ニック・プライスの心の叫び

近代において、ゴルフ用具が画期的に進化し、ゴルフというゲームそのものの転換期となったのは、1990年代終盤から2000年代序盤にかけての数年間だった。

その少しばかり前に欧米ゴルフ界で輝いていたのは、ジンバブエ出身のニック・プライス。1994年の全英オープンと全米プロを制覇し、メジャー2連勝を達成したプライスにとって、90年代はまさに彼の黄金時代だった。だが、その黄金時代に影が差し始めたのは、前述したゴルフ用具の画期的な進化の時期だった。モダンテクノロジーを駆使して開発されたクラブやボールを使い始めた多くの選手たちの飛距離が飛躍的に伸び始めたことで、かつてはパワーヒッターと呼ばれたプライスは、むしろショートヒッターの部類に数えられるようになった。

それならば、なぜプライスは進化した用具で飛距離を伸ばすことができなかったのか。もちろん、プライスはそうしようと努力した。だが、彼は自身の五感に染み込んだ従来のスイングを進化したクラブやボールの性能を活かすためのスイングへ変えることがなかなかできず、他選手たちが飛距離を伸ばす中で、相対的に「飛ばない選手」と化していった。

そのプライスが2003年に世界ゴルフ殿堂入りを果たした際、式典後の記者会見で頬を紅潮させながら興奮気味に語った話が私は今でも忘れられない。

「最近のゴルフ界はおかしい。パワーに頼りすぎていて、技を競い合う本筋から逸脱している。ツアー側はコースを伸ばすのではなく、用具を制限すべきなんだ。野球だって金属バットではなく木製バットを使わせている。プロのゴルフではクラブをパーシモンに戻すとか、ボールを1種類に統一するとか、そういう規制をしなければ、プロゴルフは崩壊してしまう」

あれは、プライスの心の叫びだった。

位置づけが変わった丸山茂樹

2000年から米ツアー本格参戦を開始し、以後、通算3勝を挙げた丸山茂樹も、用具が大きく進化した転換期にその影響をまともに受けた1人だった。

1990年代終盤、日本製のクラブは世界のゴルフ界の最先端を走っていた。そんな世界最強の武器を携えて渡米した丸山は、「最初は僕は飛ばし屋と呼ばれていた」。しかし、日本製のクラブに追い付き追い越せの勢いで欧米製のクラブの開発が進められると、それを手にした体格のいい欧米選手たちの飛距離は飛躍的に伸び、小柄な丸山は、プライス同様、相対的に「飛ばない選手」に位置付けられるようになった。

パワーヒッター対策でコースがどんどん伸ばされていった中で、丸山は常に飛距離との過酷な戦いを強いられるようになり、それでも彼は世界屈指と言われたショートゲームの上手さをフル活用し、米ツアーで3勝を挙げた。メジャー優勝に王手をかけたこともあった。だが、「みんながウェッジで打つセカンドを僕はミドルアイアン」という番手の差は、ピンを狙うショットの精度の差、スコアの差、そしてランキングの差となり、2000年代終盤の丸山は本当に苦しそうだった。

「HOW」を考えよ

そんなふうに用具の進化はゴルフコースを伸ばすだけではなく、選手の位置付けやゴルフスタイル、ひいてはキャリアや運命をも変えてしまうことがある。

だが、それでも用具開発が止まることはなく、誰かが止めることも、おそらくはできないだろう。かつて、プライスが声を大にしたときだって、それは米国内でも国外でも記事にすらならなかった。今回、ウッズがボールの進化とコースの伸長に警鐘を鳴らし、それはウッズの言葉だからこそ話題にはなったが、だからといって、近代ゴルフの在り方という壮大なテーマに明確な答えが得られるわけではなく、ましてや、ボール規制などのアクションにすぐにつながるとは考えにくい。

そして、今年の全米オープンや全米プロでの実例が示してくれたように、コースを伸ばすこととゴルフの難易度は必ずしも直結しないのだから、クラブやボール、あるいはコースの伸長に対する規制を考えるより、既存のコースを最大限に活用しつつ、どうしたらそのコースが戦略的で難しいコースになるか、その「HOW」を何よりも先に考えるべきではないだろうか。

プライスの叫びも丸山の苦悩も、そしてウッズの警鐘も、一流のプレーヤーたちの懸念は共通なのだと思うし、私もそれに異を唱えるつもりはない。だが、だからこそ、進化しているものの歩みを止めたり阻んだりするより、持っている財産をさらに効率的に効果的に活かすことが、ゴルフにまつわる多くのものの共存共栄につながるはずだと、私は信じたい。

舩越園子 在米ゴルフジャーナリスト。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。

(2017年11月21日
より転載)
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