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スポーツをカレーライス(料理)だと思ったら気が楽になった

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私は「努力は報われる」という言葉が好きじゃない。嫌いだ。間違った意味で使われるからだ。

スポーツにおいて、「報われる」、つまり何かの大会で「勝つ」ことや「自己ベストを出す」瞬間というのは滅多にない。勝つのは一人か1チームだけだし、競技を長くやっていればいるほど、自己ベストの更新は少なくなる。つまり「負け」や、「自己ベストを更新できない」状況にどう対応するかがスポーツと言ってもいいと思う。

「努力は報われる」という言葉を文字通り受け止めると、そういう状況に陥った時に間違った判断を下してしまう。自己否定、自分は何をやっても駄目なんだという自分の未来否定だ。

努力は数値化できない。どんなに頑張っても、「努力は報われるのに負けた」となると、自分は努力したと思ってたけど、実は努力してなかったんじゃないかと考えざるを得なくなる。負けが続けば続くほど(これはスポーツでは通常)、自分を疑い、自分は自分に甘いと思い、自己否定、自分の感覚否定を深くしてしまう。そして「俺は何をやっても駄目なんだ」と競技を辞める。努力は報われるのに報われないのは自分が駄目だから。そう結論してしまう。昔の自分みたいに。

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逆に自分が勝ったりベストを出したらどうだろうか。「努力は報われる」から、自分は努力した。だから勝ったのは当然で、負けたりベストを出せない人は「努力しなかったあなたが悪い」と思うことになってしまわないか。いわゆる「自己責任」という言葉だ。

スポーツは健全な精神を養うための手段とされるが、「努力は報われる」という言葉を勘違いして捉えている限り、勝てば見下し、負ければ自己否定という、最悪な精神しか生まれない。

スポーツが健全な精神を養うためのものになるためには「努力は報われる」という言葉の意味を捉え直す必要がある。

「(適切な時期に適切な事を適切なだけ適切にやると初めて)努力は報われる」のだ。料理と一緒だ。

美味しい料理を作るにはどうしたらいいか。レシピを守ることだ。どんなに料理人が一生懸命、努力に努力を重ねても、異なる食材を異なるタイミングで異なる分量で調理した場合、美味しくはならない。カレールウを溶かした後で人参やジャガイモを入れても硬いままだ。それを「努力は報われる。人参が固いのは君の努力が足りないからだ」と言ってしまうと、一生美味くならないどころか、料理作りを辞めてしまう。努力は測れないから、どんなに頑張ってもダメだったら、もっと頑張るしかなくなる。一生懸命ジャガイモを切り、人参を切り、一生懸命ルウを溶かしても、順番間違えればパアなのだ。

努力には2種類ある。レシピを探す努力と、レシピを守る努力だ。その2つの努力をした時はじめて、「努力は報われる」と思う。そして、お美味しい料理を心から作りたいと思っているのなら、素晴らしいレシピを発見したら自動的にそのレシピを守るから、結局レシピを探す努力の方が大事なのだ。

スポーツはもっと指導者が全面に目立ってもいいんじゃないかと思う。なぜならレシピを作る側である事が多いからだ。企業では業績を伸ばした時経営陣にスポットライトが当たるのに、スポーツは選手に当たりすぎている気がする。

強いチームには強くなる文化がある。突然変異的に弱いチームからすごい選手が出たりするが、チーム全体を強くするには素晴らしい指導者、文化作りが必要だ。

選手、学生がどんなに入れ替わっても、強い国は強く、強いチームは強いチームで、進学校が進学校なのは、素晴らしいレシピ、やり方、順序がそこにあるからだろうと思う。

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「努力は報われる」という言葉を安易に捉えすぎると、選手にとっても指導者にとっても災難だと思う。頑張って頑張って頑張って、それでできなかったらやり方が違うのに、「努力は報われる」となると、自分の努力を、選手の努力を否定するしかない。それは結局自分を、選手を嫌いになって終わりだ。スポーツをしなかった方がよかったんじゃないかってなってしまう。

スポーツは結局、やり方考え方の改善ゲームなのであって、誰が偉いとかクズだとか決めるためのものではない。

料理とスポーツが少し違うのは、だいたい人参は人参だが、人間は人によって頑固だったり愛想笑いだったり、見た目同じでも調理方法が変わってくることだ。

自分という食材を美味しく調理するにはどうしたらいいか。それを追いかけ続けるのがスポーツだと思う。

すべての人に才能があるように、全ての人は何かしらの食材だと思う。洋食にあうか、和食にあうか、野球に合うかサッカーに合うか、それともボートみたいな競技と合うか。それを見つける事の方が、努力する事よりも大変かもしれない。合えば自動的に頑張るから。

スポーツが自分嫌い、相互嫌悪のきっかけにならないような、努力「が」報われるスポーツ界にしたいと思う。

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2015年10月退職、現在無職。12月の日本代表選考でトップ通過。16年4月韓国で行われるアジア大陸予選で3位以内で五輪枠獲得。種目は軽量級ダブルスカル。
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