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オリジナルな芸術は何か、善意の贋作者が問いかける「美術館を手玉にとった男」

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芸術のオリジナル性とは何かは、古くて新しい問題だ。人間の創作活動紀元前から見られるもので、影響・反発、ときには模倣をしながら発展・進化を遂げてきたのが芸術というものだ。そしてデジタル全盛の時代である今、創作物のコピーがかつてないほどに容易になった。そしてインターネットによってだれもが簡単に作品を発表できるようになり、世界の創作物の総量は爆発的に増えた。技術の発展で複製が容易になり、コラージュやリミックスの手法も発達したが、完全なパクリをやらかすものを増えた。Twitterでユニークツイートを延々とパクるアカウントもあるが、もはやオリジナルのツイートがどれなのか、探す気も失せる。感銘を受ければオリジナルでもパクリでもなんでもいじゃないか、そんな気分にもなる時があるのを、随時戒めながら日々を過ごしている。

本作「美術館を手玉にとった男」はそんな古くて新しい主題をユーモラスに観客に突き付ける。30年間もの間、100点以上もの有名絵画の贋作を制作し続け、多額な金額を騙し取ることもできたはずなのに、それらを無償で美術館に寄贈し続けた男、マーク・ランディスを追ったドキュメンタリーだ。

冒頭のランディスによるモノローグ「完全なオリジナルは存在しない」で本作は、始まりとともに作品の主題を明確にしている。プロの美術館職員を欺き続け、しかしほとんど善意によるその寄贈で、「感動」した人間がこの世に何人いるのだろうか。全くの偽物から生まれた感動それ自体は本物であろう。

本作の原題は「Art and Craft」。Artという表現行為に対してCraftは技能自体をさす。技術が高くても、それだけでは芸術を生み出せない。自身の感性を表現するためにその技術をもって生み出さなくては表現とは言えない。

30年間も全米30もの美術館を騙し続けたランディスは非常に精巧な技能の持ち主であることは間違いない。しかし、彼は表現者と言えるのだろうか。彼の作ったものは誰かの創作物のコビーである。故にその完成物は彼の感性を宿していないはずだ。

ところが、彼が「善意の贋作者」と世間に知られ、長年の彼の行動が明らかになると、その行為自体が我々に問いかけてくるものがある。オリジナルとは何か、Artとは何か、と。贋作屋と知られることによって、30年間に渡る一連の行動がある種のパフォーマティブな表現行為だったかのように、本作を見るものには映るだろう。映画の終盤に、ランディスの贋作を最初に突き止めた男とその友人によって企画される「あるイベント」はそのことを映画を見る者に強く印象づけるだろう。

マーク・ランディスは奇妙にも、贋作者と認知されることによって、すぐれた表現者になってしまったといえるかもしれない。

そういえば、原題のCraftは技能をさす単語だが、ずる賢いという別の意味もある。この飄々とした善意の贋作者の心根は果たして・・・結末に彼が下す決断を、この単語の二重の意味を踏まえて是非考えてみてほしい。

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