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復興支援 キリスト教と心のケア

2017年05月01日 16時49分 JST | 更新 2017年05月01日 16時49分 JST

私は医学生だ。春休み、熊本県益城町の被災地を見学した。きっかけは、現地で支援活動に従事する九州キリスト災害支援センター(九キ災)の看護師、山中弓子さんとの出会いだ。そこで私は、キリスト教が被災地での心のケアにおいて、行政の手が行き届かない部分で、重要な役割を果たし得ることを知った。

象徴的なのは、支援活動の一環として九キ災が主催した「ましきっ茶」というイベントだ。九キ災には、一般からだけでなく、様々な教会からの支援者も数多く集まる。「ましきっ茶」では、そんな支援者と住民とが自由に参加し、お茶をしながら交流をする。和やかな雰囲気の中で、住民が趣味を披露したりした。そこは、信仰を問わず参加者を受け入れる、笑顔の絶えない場となった。

ある住民は、ご夫婦でカントリーダンスを披露した。このようなイベントに参加するのは初めてだそうで、始めは少し緊張した様子だった。しかし、ご夫婦のカントリーダンスに合わせて私たちも一緒になって体を動かしたり、リズムをとったりした。「難しいステップもあるけれど、練習すれば誰でも踊れるようになります。1ヶ月に1度だと復習するのに時間がかかる。もし機会を作っていただければ2週間に1度くらいのペースでお教えしますよ。」次第に打ち解けて、最後には生き生きとした表情で提案してくださったのが印象的だった。

また、イベント中、支援者の一人である、40代の男性が賛美歌の弾き語りをした。「自分自身、過去にもうダメだと心が折れそうになったことがある。そんな時期に支えになった曲です。今度は自分が、どこかで誰かの小さな支えになることができたら、とても嬉しい。」と彼は言う。その曲に合わせて、被災者も支援者も一緒になって手拍子をし、口ずさんだ。日頃から地域に寄り添い、築き上げた住民との信頼関係がある九キ災だからこそできる、コミュニケーションのあり方だと思った。

他にも、実際の現場で、解体前の家の片付けを手伝わせていただいた際に経験したことがある。70代前後の被災者の女性のお手伝いで、単に荷物を運ぶ人手としての役割りもあった。しかし同時に、本当に捨てていいものなのか、また、本当にとっておく必要があるものなのかを判断する際の、話し相手としての役割りもある。

泥水に浸ってしまった洋服を整理している際、女性が言った。「兄は色物がとても好きでね。きっと忘れてしまっているだろうけれど、こんなにぐしゃぐしゃになってしまっては使えないわ。」彼女の兄は今、老衰のため入院しているそうだ。「震災で家の中はすっかり変わってしまったけれど、今の状態に感謝しなくては。キリストは全てのことに感謝したのよね。」私が九キ災を通してお手伝いしていることを意識した言葉だった。彼女は作業中、私に気を遣ってか、気落ちする素振りを見せずにとにかく笑顔で、気丈に接してくださった。しかし、この時は少し悲しそうな、けれど、とても穏やかな顔つきだった。ほんの少しではあるけれど、彼女との心の距離が縮まった気がした。

今回の熊本訪問は3日間というとても短い期間だった。しかし、その中でさえ、ふとした瞬間に、被災地や被災者とキリスト教との関わりが見え隠れしていた。「このようにして少しずつ住民との信頼関係を築いていくのか」と実感した場面もたくさんあった。

    

行政は、被災者に対して心のケアを行なっている。例えば、厚生労働相が管轄する、災害派遣精神医療チーム(DPAT: Disaster Psychiatric Assistance Team)や、こころのケアチームなどが挙げられる。これらの活動はなくてはならないものである。しかし、活動期間が限られていたり、「医療」という側面が強く出すぎたりしてしまうという問題点があるのも事実だ。

一方で、九キ災が行う活動は、より地域住民にとって親しみやすいものだと感じた。被災者との心のつながりと、それによる安心感を大切にしている。九キ災の活動は「精神の病」という診断に至る以前に、被災者のストレスを軽減するのに役立つ。「行政」という肩書きでは、行き届きにくい部分を補っているように思った。

日本には特定の信仰がない人が多い。そのため、宗教と聞くと身構えてしまう人もいるかもしれない。実際私がそうだった。しかし、たとえ信仰を共にしていなくても、宗教を介すことで、心のつながりを提供するのに役立てられる可能性がある。今回の熊本訪問で、身をもって経験することができた。

「これから医師になる勉強を続けていく中で、もしどこかで災害に関わることがあったら、この熊本でのことをぜひ活かして欲しい。」山中さんにいただいたこの言葉を大切にしたいと思う。