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ファクトチェックの何がダメなのかを第一人者が指摘する

2017年04月03日 00時31分 JST | 更新 2017年04月03日 00時34分 JST

フェイクニュースの氾濫で、ファクトチェックの重要性が再認識されている。

今年から、エイプリルフールの翌日、4月2日を「国際ファクトチェッキングデー」とするようだ

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By Tristan Schmurr (CC BY 2.0)

だが今、ファクトチェックのスタイルを根本的に見直す必要がある、とその取り組みをリードしてきた第一人者、トム・ローゼンスティールさんが指摘している。

「焦点をあてるべきは、個別の発言や事実よりも、イシュー(問題)だ」と。

「コペルニクス的」なファクトチェックの転換を主張するローゼンスティールさんは、その理由を「信頼とリーチの問題」だという。

今のファクトチェックの何がダメなのか?

●ファクトチェックをリードする

トム・ローゼンスティールさんは、米ニュースメディア連合(NMA、旧米国新聞協会)傘下の調査研修機関であるアメリカン・プレス研究所(API)の所長。

ベテランジャーナリストで、『インテリジェンス・ジャーナリズム: 確かなニュースを見極めるための考え方と実践』『ジャーナリズムの原則』などの共著で日本でも知られるジャーナリズム論の論客だ。

ローゼンスティールさんが2014年から取り組むのが「ファクトチェッキング・プロジェクト」だ。

特に政治報道における、ファクトチェックの現状や効果を調査し、その後押しをすることを目的としたプロジェクトだ。

※参照:偽ニュースの見分け方...ポスト・トゥルース時代は、まだ来ていない

過去3年間のプロジェクトを踏まえてローゼンスティールさんが提言するのが、「個別の発言よりイシュー」だ。

●ポインターの取り組み

ポインター研究所のアレクシオス・マンザリスさんが、ローゼンスティールさんのインタビューをまとめている

マンザリスさんは、同研究所を拠点に2015年に設立された国際ファクトチェッキング・ネットワーク(IFCN)」(加盟45団体)のディレクター兼エディターを務めている。

フェイスブックが昨年12月に、フェイクニュースにラベルを表示するなどの対策を打ち出した際に、その外部検証機関として協力することになったのが、IFCNだ。

そして今年、4月2日の「国際ファクトチェッキングデー」創設を提唱したのもIFCNだった。

※参照:「検証サイトこそ偽ニュース」反撃する偽ニュースサイト

つまり、インタビューをしているマンザリスさん自身も、フェイクニュース対策とファクトチェックの中心人物なのだ。

●3つの理由

政府要人が、ある場所で演説をする。その中のある発言が疑念を呼ぶ。一次データを確認したところ、発言内容は事実に反している。発言は「虚偽」と認められる――現在のファクトチェックはこのようなスタイルが一般的だ。

公人による公的な場での発言には説明責任が伴うため、その内容の真偽をデータに基づいて確かめていくことは、ジャーナリズムが担うべき役割でもある。

ローゼンスティールさんは、「個別の発言」と「イシュー」の関係を、こう説明している。

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ファクトチェックは、選挙戦での論争や、地域が直面する大問題といった、中核となるイシューからスタートする。次の段階で、それらのイシューについて、情報が正しかったり間違っていたりした時に、人々がどんな印象を受けるか、という影響を見極める。

このシステムの中で、個別の発言の内容は、おおむね3番目の要素だ。個別の発言は、あるイシューについて混乱や論争を巻き起こす要素ではあるかもしれないが、話の本筋ではない。

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ローゼンスティールさんは、「イシュー中心のファクトチェック」を提唱する理由として、3つの狙いを説明する。

第1は、ファクトチェックが、逆に間違った情報への確信を強めてしまうという、ダートマス大学教授のブレンダン・ニーハンさんらが明らかにした「バックファイアー効果」への対処だ。

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第1には、ブレンダン・ニーハン氏らの研究でわかったことだが、ファクトチェックには政治的な立場による分断があり、自分の支持する人物が対象となった場合には、そのファクトチェックに反発する傾向が強くなる。

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次にあげるのが、ファクトチェックが細部に入り込み過ぎると、かえって説得力をもたなくなってしまう、という危険性だ。

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第2に、この半年でわかったことだが、ファクトチェックは逐語的になりすぎたり、焦点が狭くなりすぎたりする可能性がある。ある発言をファクトチェックしても、ユーザー側の反応はこうなってしまう。

「なるほど、彼はその数字を間違えた。だが私の大きな信念が揺らぐことはない。移民は多すぎるし、システムは不正操作されているし、9.11のテロを実際には幸運だったという特定の宗教の信者たちはいるのだ」

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最後に指摘するのが、ファクトチェックの透明性と信頼性だ。

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そして第3の狙い:我々は現在、ファクトチェックの対象をどのように決めているか? 疑念のある発言をあちこちから手当たり次第に取り上げているだろうか? 

ファクトチェッカーがファクトチェックの対象として何を選ぶかには、その動機、あるいは動機と見られるものが色濃く反映される。

おそらくこの問題は、まだ十分に認識されていないかもしれないが、ファクトチェックの対象をどのように選ぶのかは、ファクトチェッカーとして信頼されるかどうかに大きく影響する。

その後、徹底したファクトチェックを行うかどうかは、関係ないのだ。

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透明性に関しては、IFCNも、「不偏不党」「情報源の透明性」「資金と組織の透明性」「手法の透明性」「オープンで誠実な訂正」という5つの「倫理規範」を掲げている。

だが一方、昨年の米大統領選では、特にトランプ氏の支持者に対しては、メディアによるファクトチェックがあまり効果を上げなかったことも指摘されてきた。

ワシントン・ポストのブロガー、ポール・ウォルドマンさんは大統領選後、その難しさをこう表現していた

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まずトランプ氏は、何かとんでもない虚偽を言う。しかし彼の支援者はすでにそれを信じているか、信じるだろう内容だ。

次にトランプ氏は、それについてメディアから批判を受ける。支援者はこう言う。「はら、リベラルの反トランプのメディアがまたやってる」。

トランプ氏の主張が虚偽だと、全員を納得させることはおろか、その批判はトランプ氏のファンにとって、メディアが言うことは何も信じられないという考えを補強することにしかならない。

そして、メディアがいかなる議論でも、中立的な調停者として振る舞いづらくしているのだ。

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※参照:虚偽と報じても、さらに広まる...トランプ氏のツイートを、メディアはどう扱うべきか

ローゼンスティールさんは、このような状況への対処を掲げているようだ。

●真偽の判定を超えて

ローゼンスティールさんがいう「イシュー中心のファクトチェック」とは、ある公人の発言の真偽判定にとどまらず、その先にある問題解決こそを射程に入れる、ということのようだ。

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つまり、ファクトチェックの精神とは、ニュースの消費者がイシュー(問題)をどう捉えるか、自分自身で判断できるよう、手助けをすることであるべきなのだ。指を振りながら、これは正しく、これは間違い、ということではない。

この総合的なイシュー中心のアプローチは、この点で役に立つだろうと思う。これは、理解を醸成するという、ファクトチェックのそもそもの目的に合致した、はるかにリッチなバージョンだ。

「いいか、この男はいっていることの67%がウソだ」というのとは違う。

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ちなみに、ファクトチェックサイト「ポリティファクト」の判定によると、トランプ大統領の発言のうち、大半、もしくはすべてが間違いである割合は、69%(4月1日現在)とされている。

ただ、「イシュー中心のファクトチェック」は、信頼性など、ファクトチェックが抱える課題への解決にはなる一方で、個別の発言についての真偽判定に比べて、わかりやすさという点では見劣りがする。

マンザリスさんは、こんな疑問を投げかける。

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発言中心の(ファクトチェックの)モデルは、読者に非常に受け入れられている。特にファクトチェックをソーシャルメディア上で広めたいと考えた時、イシュー中心のアプローチはあまり適していないのでは?

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ローゼンスティールさんもその点は認める。「おそらくそうだろう」

●必要なのは文脈

ローゼンスティールさんは、「ファクトチェッキング・プロジェクト」への資金提供元の一つでもあるリタ・アレン財団のサイトでも、このテーマを語っている

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もし、誰かがあるイシューについて誇張した発言をしたなら、そのイシューそのもの、そのイシューに対する一般的な理解こそが、発言に含まれる個別の事実よりも、おそらくずっと重要だろう。

ある人の表現を借りれば、大統領選後、我々はファクトチェック2.0からファクトチェック3.0へと移行しつつあり、ファクトチェックについて、はるかに幅広く理解するようになっている。

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ローゼンスティールさんは、フェイクニュース時代のリテラシーと文脈の重要性についても語っている。

記事単体がぶつ切りになっているのではなく、ウィキペディアのように、全体像の体系の中に、ニュースが位置づけられるようなスタイルの提案だ。

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私がオーガニック(構造的)ニュースリテラシーと呼んでいるアイディアがある。

これまで我々は記事がニュースの〝原子単位〟だと考えてきた:これで報道の出来上がり、美しい語り口にまとめることができた、と。だがフェイクニュースのメディア環境の中では、大事なのは、記事という入れ物ではなく、あなたが手がけている報道そのものだ。

(中略)例えば、記事の最初にいくつかの質問が掲げてあるスタイルを想像してみよう。この記事の新しい要素は? ソース(情報源)は誰? エビデンス(証拠)は? 我々がわかっていないこと、なお残る疑問は? 

それらの質問にカーソルを合わせると、答えがポップアップで表示される、というのはどうだろう。

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「イシュー中心のファクトチェック」と共通するのは〝文脈〟だ。

それこそが、断絶してしまっているメディア空間の修復の手立て、との思いがあるようだ。

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(2017年4月1日「新聞紙学的」より転載)