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ギリシャ戦のような"ビミョー"な試合の打開策は?

2014年06月21日 15時35分 JST | 更新 2014年08月20日 18時12分 JST

ワールドカップ期間中に、「サッカーという文化と日本の未来」についての色んな角度の分析を連載としてネットに書いているんですが(第1回第2回)、今回のテーマは「いわゆる"スター選手"vsデータ分析思想」です。

20日朝に行われたワールドカップ一次予選、日本対ギリシャの試合は、「ビミョー」な試合でしたね。

決勝トーナメント進出を目指して起死回生にかける日本代表は、高いボール支配率を保ち、常時攻めてるっちゃー攻めてるんだけど・・・いやなんかこう・・・・ねえ?あんまり入る気がしないっつーか・・・

と思っている間に終わってしまい、その日の色んなテレビ局の色んなニュースでは色んなキャスターや色んなコメンテーターが色んな感想を述べていたんですけど、みんな判で押したように一様に「うううううん」的な唸り声から入る感じで。

残念だった!けどなんか・・・いや、失点はしなかったんだし、ボール支配率も高かったし、自分たちのサッカーができた・・・と言っていいのか?いやしかしね・・・なんかこう・・・・「ビミョー」な不完全燃焼感が・・・・

前回の記事で、サッカー日本代表は、

・冷静ではあるけど仲間同士でナアナアにまとまってしまって消極的にボールを回しつつ、全然シュートが打てない

・・・・みたいな不甲斐ない試合になるか、あるいは

・全力でアドレナリン(興奮・闘争心のホルモン)を出しまくって攻撃し、たまに物凄く良い形が出せて得点できるが、その後どこかで緊張が続かなくなって、気持ちが切れたところでボコボコにされる

の二択になりがちだ・・・という話をしましたが、まさにその「前者」に近い試合だったように思います。そりゃ、一時期の一番悪い感じよりはかなり「攻撃的」でしたけど、どうもね・・・なんかね・・・・

ギリシャはもともとかなり防御的なチームなんだし、アドレナリン過剰でもいいから「後者」のようになって、多少の失点のリスクを犯してでも、「自分たちの目指すサッカー」がちゃんと実現できたほうがまだ良かったんじゃないか・・・・などというのは後付けの外野の身勝手な要望かもしれませんが、しかし、最後になる可能性が高くなってしまったコロンビア戦では、結果うんぬんよりちゃんと「日本のサッカーはこうだ」というスタイルを見せてほしいと思います。

「次に繋がる」と言う意味では、「日本はワールドカップ本番でも、こういう点の獲り方ができるんだ!」っていうような「会心のゴール」をみんなの共有記憶として持てればそれが一番良い(ゴールシーンはその後日本のテレビにおいて4年間ありとあらゆる場所で繰り返し放送されますからね)し、それを目指して捨て身でチャレンジしていくときにこそ、ひょっとすると奇跡の勝利&決勝トーナメント出場への道も開くでしょうからね。

でも、どうしたらそれができるんでしょうか?

そこに、「スター選手vs詳細なデータ分析の矛盾」という、今回のテーマがあるのです。

というのも、結構ずっとボールを支配しているのに、どうも入る気がしない・・・っていう状況というのは、ある意味「ボールを支配しすぎてる」可能性があるからです。

つまり、千変万化するお互いの勢いのぶつかり合いとは関係なく「ボール支配率」自体を数値目標化して高めると、その「支配の仕方」からある種の「真実的なもの」が抜け落ちてくることがあるんですね。

いわゆる「手段に過ぎないものが目的になっちゃう」という現象です。

最近はサッカーのデータ分析が物凄く精緻になってきていて、ある時間帯に選手が平均的にどの位置にいたとか、その間のパス回しの経路・回数・成功率・・・など、驚くほどのデータが得られます。

でも、問題は、これを「分析ツール」として使う以上に単純に「目的化」してしまうと、あまり良くない結果をもたらしてしまうってことなんですよね。

というのは、ある時間帯において相手チームがほとんどボールを支配していて、しかもかなり自陣に攻めこまれていて、相手がボールを自由にまわしているように見えても、防御側の選手としては良い感じに集中して対応できていて、地味にシュートコースを未然に消したり、確実にマークをしていたりしている・・・という状況は、データ的に「こちらがボールをほとんど支配して攻め込みまくってる時間帯」よりも

「実は安全」

である可能性がかなりあります。

そして、そういう「攻めあぐねている」時間は攻めている相手チーム本人たちからしてみれば結構「嫌な時間」なんですよね。行くぞ!行くぞ!行くぞ!と思って次々とやってるのに、なかなか「やってやった!」という感覚に辿りつけないとだんだん疲労してきますし、それを続けていればどんな人間でも緊張の糸が切れる瞬間はやってきます。

で、本当に「迫力ある攻撃」っていうのは、90分間常に自分たちの「良い形」を出さなくちゃ・・・・って常に100%の力で押し込んでいるときよりも、むしろ「相手が乗ってきてる」時には無理して逆らわずにある程度柳のようにかわしておいて、それが引いて行く時に「よっしゃチャンス!」とばかりに味方の感情的なものまで爆発的に動員することで実現することが多いんですよね。

つまり、ずっと「100%」を目指すよりも、相手が勢いづいている時にはある程度流し気味にしながら大事なところだけ押さえる・・・というようにしておいて、イケル!となった時に「これが俺たちの、120%だァッ!」って感じで攻撃できるようになることが、日本代表がさらに「上」を目指すときに必要なことなんですよ。

日本代表の攻撃に「より一歩先の迫力」が生まれるには、もっと頑張れ!気合だ!根性が足りんぞ!という方向で焚きつけるよりは、むしろある意味で「手の抜きどころ」について冷静な「オン・オフ」ができるようになることを目指すべきなんだと私は考えています。

そういう柔軟性はどうしたら実現できて、そしてその問題の根本原因となっている「日本社会ここ20年」の「意識高すぎるマネジメントスタイルの欠陥」とはなにか・・・・というのは、結構好評だった前回の記事で詳述したのでぜひお読みいただければと思います。)

で、それに加えてさらにこの問題を突き詰めてみると、そういう「流れの変化」的なものに敏感で、その振幅を自らのプレー(純粋なプレーだけでなく色んなコミュニケーションも含めて)で増幅し、ほんの種火にすぎなかったものを爆発的に燃え広がらせて「結果」につなげることができる存在が、「スター選手」ってヤツなんですよね。

たまたまそういうテーマで、今回のワールドカップに合わせてナイキ社がアニメCMを作っているんですがこれがなかなかなんですよ。

ある科学者が、決してリスクを犯さない完璧なクローン選手たちを導入して、今のスター選手たちは失業してしまうんだけど、そんなんじゃつまらないよな!って言うんで「スター選手vsクローン選手」の再決戦が行われ、そして・・・・という話です。5分半弱なんでよっぽどお忙しい方以外は見て損はないと思います。

まあ、「物凄くありがちでベタなストーリー」っちゃそうなんですけど、でも動画の後半になるとすごく「応援したい!」気持ちになる良いアニメだと思います。(ここ一番の重要なシーンでプレッシャーに弱いと色んな人に言われているクリスチャーノ・ロナウドさんがあんなに重大なシーンで活躍できるかどうかは・・・・)

コートジボワール戦でドログバ選手が入ってから、明らかに彼らの空気は一変し、日本側のミスまで増えて手が付けられなくなってしまった・・・という「印象」は多くの人が持っていると思います。

で、それが「データ」から読み取れるかというと・・・まあ超絶天才データマイナーさん(たまにいるんですよアートと名付けられるほどの分析家がね)ならいざしらず、むしろ普通の"データが好きな人"っていうのは「性格的にそれを否定したいからデータが好き」ってところがあるぐらいなんですよね(笑)

私のこの連載を第1回第2回と読んでいただいた方はお分かりになる通り、私もそういう「データ分析」はもっと進むべきだし、それが日本サッカーにとって「サッカーを"野球的"な競技として理解し、強くなっていく」ための必須ツールである・・・というぐらいに思ってはいるんですよ。

ただ、「データ分析で出てくる数字が"手段"でなく"目的化"する」のは良くないし、それは物凄く注意しておかないとそうなっていくよね・・・という危機感は持っています。

特に、「短所是正的にデータを使う」と、どんどんせせこましいプレイになっていくんですよね。結果として「目的化してしまった特定の指標の数字の向上に熱を入れるほど、それ自体で疲弊してしまって、いざ攻めきるべき時にアクセルがガツンと入らない」みたいなことになりがちです。

で、「クリエイティビティがないデータ分析」をやると、「短所是正」しかできないんですよ。しかも「見た感じ物凄く説得力ある形で出てくる」んで、その全能感にデータ分析者も酔っちゃうし、それを言われた選手の方も酔っちゃうところがあるんですよね。

「そうか!そこを改善すればいいのか!」

ってなりやすい。でも、そのデータで得られた「指標」が本当にクリティカルなものなのかどうか、というのは、どれだけ懐疑的に検証してもしすぎることはないです。

大まじめにデータと向き合うと、「凹みを埋める」ことばかりしたくなるんですが、「凹み」はある種の生命的な真実として必要な「余裕」であったりして、それが「凸」の山をもっと高めるために大事な間であったりするわけなんで。で、サッカーっていうのは「凸の山」が「閾値」を超えないと(つまりゴールしないと)どんだけ「良い形」ができたって意味ないですからね。

でもデータを突きつけられると「凹みを埋めること」ばっかり目的化しがちですよね?気をつけましょうね。

昔、ロナウドという名フォワードがいて、戦術がないと批判された監督が「私の戦術はロナウドだ」と豪語した逸話が有名なんですが、彼は特にキャリア後期なんかは全然ディフェンスに参加しなくて、「キノコ狩りでもやってるんだろう」などと批判されるぐらいでしたが、しかしいわゆる"ゴールへの嗅覚"は抜群の存在でした。

2003年に当時「銀河系軍団」と呼ばれたレアルマドリードが来日し、FC東京と対戦した試合をテレビで見たのをいまだに覚えているんですが、すでにかなり太っていてお腹も出ていて、なんというかずっと結構かったるそうな動きをしてるのに、いざゴールに絡むとなると劇的な動きをするロナウドは抜群に印象的で、最後の方に彼が強烈なシュートでゴールした時には、なんかFC東京の選手も、アナウンサーも解説者も、スタジアムのファンも、「なんか良いもの見れたなあ」的にポワーーンと幸福そうな顔をしていたのが記憶に焼き付いています。

でも、今の時代にいたら、「一試合に走った距離」とかなんとかそういうデータでガンガンやり玉にあげられて、真っ先に排除されてしまっているでしょう。

で、じゃあロナウドも同じぐらい走れば良かったんじゃん甘えんな・・・というのは難しい問題で、それぞれ個性ってものがありますからね。ほんとうに彼にムチを振るって無理やり走り回らせたとしても、それでかつ同じだけの「得点能力」が維持できたかどうかは疑わしいと私は思っています。(彼が走り回ったとしてそれがチームのディフェンスに本当にどれだけ役に立ったのかも・・・・)

別に、フォワードは走らなくても良いことにしよう、というわけではないんですよ。守備だってできたほうがいいに決まっています。しかし、ありとあらゆる能力を数値化していくと、人間は「凹み」の是正でアタマがいっぱいになりがちなんですよね。

数字が出てきたらついついランキング作りたくなるしね。で、全選手中下から何番目とかだったら、やっぱりそこを攻撃したくなってきちゃいますからね。そんなランキングを突きつけられると、よっぽどぶっ飛んだメンタリティの選手以外は、本人も「これじゃやっぱダメなのかな俺・・・」って思い始めるしね。

もっと細かく、「この選手は左サイドの少し深い位置でボールを受けてそこから攻撃の起点になるのが得意だが、最前線で飛び出してボールを受けるのは苦手」とかね、選手によって細かい個性っていうのはいくらでもあるんですが、それがデータとして炙りだされてきたとしても、そこで「凹みの是正」に向かうのか、「凸の山を高める」方向に行くのかで全然違ってくるんですよね。チームスポーツなん?