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71年目の8月6日を目の前に、21歳の女子大生がおもうこと

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71年目の8月6日がやってくる。
廣島がヒロシマと化した、あの日。
「あのひと」が、「被爆者」になった日。

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去年、わたしは70年という節目をハタチで迎えた。
70年目はちろくが終わって、わたしは分からなくなった。
それは私の中に渦巻く叫びにも似た何かだった。

広島は、被爆者らの想いや願いを記録し後世に遺すために膨大な被爆体験を記録してきた。

広島は、そこで生きてきた人々は、踏ん張ってきた。
あの焼け野原から、こんなに復興した広島を誰が想像できただろうか。私は、そんな広島という街で育ってきた。

それなのに、私にはあの日、わたしのふるさとで起こったことを分からないでいた。いや、知っているのだ。どんなことがあったかということは。
なのに、自分の感覚としてあの日を感じ、解ることはできなかった。

わたしは「被爆者の生の声を聞ける最後の世代」と言われ育った。

祖母は朝鮮からの引き上げを体験し、祖父は郊外からきのこ雲を見た。原爆ドーム保存に関する運動に携わる人を支え、引き揚げの体験を語ってきた。そんな祖父母の「平和」への想いを見て育った私が自らも同じテーマに関わることに決めたのは高校1年生の頃だ。

高校時代は街頭に立ち核兵器廃絶のための署名活動を行い、被爆証言の記録をした。

その後は客観的に「ヒロシマ」を視たうえで、多くの人に響く平和を考えたいと思い関西の大学に進学した。現在4年生だが、ヒロシマに想いをもつわたしが広島の外にいるからこそできることに取り組んできた。今年も関東・関西から8月6日を広島で過ごし、平和について考えようと大学生がやってくる。

多くの被爆者に出会ってきた。想いを託してもらってきた。

街頭で出会った被爆者に「あなたが、世界を変えるのよ」と言われたこともあった。

だけどどれだけ被爆者から話を聞いても、残された命をかけて伝えて下さる想いに心が震えても、わたしには彼らが「被爆者というひとりの人間」として生きてきた痛みを本当の意味で分かることはできなかった。

戦争を体験していない者として、想像することしかできないのだ。

ある被爆者から「それでいい。想像し、痛みを分かろうとするあなたは既にヒロシマを語るにふさわしい」と言われた。

わたしにはなにができるのだろうか。

向き合わなくてもいいのなら、いっそ思い出すことからも逃げてしまいたいとさえ思う「あの戦争」を、「あの8月6日」を、戦争を知らない者として未来に「活かし生かす」ために。

節目だった70年目からの1年でヒロシマはどう変わっただろうか。なんといってもオバマ大統領の広島訪問だろう。

あの日の平和公園の空気は、1945年8月6日から71年が経つというその月日の経過を象徴していたと思う。そんな中でわたしはこれまでにないくらいに心が騒ぎ、慰霊碑に向かった時に自然と出た言葉は「ごめんなさい」だった。

オバマ大統領が去った平和公園の喧騒の中で、わたしはそこに集っている人から平和への祈りが感じられなかったのだ。

まるで献花の後ろに「あの日」がないかのような。(‘オバマ大統領が広島を訪問したあの日、平和公園で21歳の大学生が思ったこと’参照。https://note.mu/makoandy/n/n1d1ccdb10298)

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「現職の米国大統領を広島に」という夢の一つが叶ったヒロシマは、これから何に向かっていくのだろうか。

今年、原爆犠牲者慰霊碑に奉納される被爆者名簿の死者数は30万人を超える。被爆者から生の声を聞くことができない未来はすぐそこまで来ている。

そんな未来で世界のヒロシマは、平和都市広島は、何を語り、何を遺すのだろうか。
80年という節目の8月6日はどんなだろうか。
どんな風に、わたしはヒロシマを語り、遺していけるだろうか。

去年、70年目のヒロシマで決めたことがある。
「8月6日の平和公園に集った人々の笑顔を撮る」と。

不謹慎だと思う方もいらっしゃるだろう。
高校生の私は、原爆ドームを背景にピースサインで記念写真を撮る人に対してそう思っていた。

でも気づいたのだ。

あの地獄図から出発して、70年草木が生えないいわれたこの街で、こんなにも多くの人が大切な誰かと笑っていることの、命の愛おしさを。
どんな思想を持っていても、肌の色が異なろうとも、平和公園に足を運び願うことの尊さを。

そして、あの日、あの雲の下にいた人々が願っていた「平和」とは、誰もが大切な人と笑いあっていられることじゃなかっただろうか。その願いはきっとどれだけ時代が変わろうとも、揺るぐことはない。

きっと、あなたにも分かってもらえるだろう。

今の笑顔の輪を紡ぎ、未来の笑顔の和を編んでゆきたい。
だから今年も、わたしは8月6日の平和公園を訪れた人々の笑顔を撮る。

あなたがどこで71年目の8月6日を迎えるのか、私には分からない。

8時15分じゃなくてもいい。空を見上げて頂けないだろうか。あなたの大切な「あの人」と。

ちょっとだけ、8時15分のことを想像してみて欲しい。そして、その人と笑っていられる幸せを噛み締めてほしい。あなたが、あなたの大切な「あの人」とそうしてくれることが、きっとあの雲の下で失われていった命が願っていたことだと思うから。

これが、71年目の8月6日を目の前にして戦争を知らない21歳の女子大学生のおもうこと。