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塀の中も医師不足

2015年02月18日 23時28分 JST | 更新 2015年04月20日 18時12分 JST

平成26年11月現在、刑務所の医師不足が深刻な事態となっている。定員332人に対して260人と72人が欠員で、52の刑務所・少年院・少年鑑別所で医師が不在または不足しているため、法務省がホームページやインターネットで医師募集を行っているが一向に集まる様子がない。

刑務所医師不足の原因の1つとして、平成16年4月から施行された新臨床研修制度が挙げられる。大学や一部の総合病院だけでなく多くの民間病院で初期研修医が受け入れ可能となったためだ。それにより研修医の争奪戦となり大学で研修する医師が少なくなったため、医局が関連病院に派遣していた医師を引き揚げ地方の病院が医師不足になった。そして刑務所もその影響を多少なりとも受けているものと思われる。

刑務所の医師不足の実態は深刻である。平成18年に最大約8万人の受刑者を収容していた刑務所は平成24年現在約68000人まで低下しているが、罹患率は67.2%も上昇している。受刑者3人に2人は何らかの病気にかかって収容施設で治療を受けている状況である。

常勤医師が不在の施設では、受刑者が急変した際に外部病院に搬送しなければならず、その件数や延べ日数が右肩上がりで、さらに刑務所での医療費も平成16年度に比べて現在は約60億円と2倍に膨れ上がっている。網走刑務所では25年1月に約200人がインフルエンザなどに感染し2人が死亡した。

東日本の刑務所医療の最後の砦である八王子医療刑務所は平成26年11月現在医師6名が欠員となっており、刑務所に入所できず待機している透析患者が100人以上もいるとのことである。また、東日本の各刑務所から重症患者の搬送依頼が八王子医療刑務所に集中しているが医師不足のため依頼があっても受け入れが出来ない。そのしわ寄せとして全国の刑務所から大阪医療刑務所に搬送依頼があるもののすぐには対処できないようだ。

刑務所で働く医師の役割はとても大きい。受刑者がきちんと刑期を全う出来るように新たな病気を発生させない、万一感染症などが発生しても集団感染を食い止める、収監前からある持病を悪化させないようにするのはもちろんのこと、様々な疾患や怪我に対応し出来るだけ所内で治療を完結させることが求められる。

しかし、多くの刑務所には診療所や病院に常備されている簡易検査キットや血液検査装置、医療機器の類はあまりない。たいていあるのは聴診器、血圧測定器、打腱器などのシンプルなものばかりで最近になって施設によっては耳鏡などがあるくらいだ。検査機器は簡易血糖測定器、心電図(自動解析装置がない場合も)、白黒の超音波装置、単純レントゲン撮影装置だけで血液検査はほぼ全て外注である。

刑務所で医師と働くためにはこれまでの診療に対する考え方を変えなくてはならない。当然、頭痛だけで頭部CTをオーダーしたり、胸痛で胸部CTや心臓カテーテル検査を依頼したりすることは出来ない。検査のために外部病院に受刑者を搬送するとなると公用車を用意して刑務官3人を同伴させなければならない。さらに入院治療となると刑務官が3交代で1日延べ9人の配置が必要な上に、受刑者は無保険・自由診療になるため保険点数以上の莫大な医療費を刑務所が負担しなければならない。

また、詐病を見抜けず外部病院に搬送して逃走なんてされたりしたら面目丸つぶれであるし、外部病院で興奮・暴力沙汰になったとしたら当該病院から以後全ての受刑者の診療は一切受けつけられなくなってしまう。刑務所の近くに病院はいくつもあってもすぐに搬送できない事情があるため、刑務所は医療に関して「陸の孤島」である。

刑務所での診療は自分の問診・診察と僅かな検査道具、あとはこれまでの経験に基づいた勘だけが頼りである。自分のプライマリ能力が存分に発揮できる場所であると同時に、これまでいかに検査に頼りすぎていたか自分の診療能力の低さを知らされる場所でもある。

実際の例として、50代の男性受刑者の様子がおかしいと診察室に連れてこられた。呂律が回りにくく、左上下肢に力が入らない、バレー兆候やバビンスキー反射も陽性である。高血圧の既往もあり、脳卒中が疑われたたため救急車で脳神経外科に搬送したのだが頭部MRIの拡散強調画像(早期に脳梗塞を発見できる)で異常なしとのこと、その後徐々に症状が軽減・消失し1週間足らずで帰ってきたことがあった。

最初はMRIでもみつからない小さな脳梗塞なのかなと思ったがまた、半年後に同様の症状が出現したもののMRIで異常なし。そして1年後にも同様の症状が出現したが、またまた異常が見つからず1、2週間で帰ってきた。これまでの経過を改めて確認すると、他の受刑者や職員とのトラブルでストレスを抱えるとそのような症状が出現していたようであった。つまり解離発作として麻痺症状が出ていたのだった。

恥ずかしいことに、脳卒中様症状が出現した状況をきちんと把握していなかったことに加え、症状が脳卒中に典型的であったため全くヒステリーを疑っていなかったのだった。この間、止むを得なかったとは言え何も文句を言わずに何度も病院に搬送し病院で監視してくれた刑務官には申し訳ない気持ちでいっぱいであるし、税金が無駄になってしまったことにも国民の皆さんに申し訳なく思う。

なかなか働きにくいと思われる刑務所の勤務であるが国家公務員の身分が保障され週3日勤務年収約1000万円というのは考慮に値する(ただ残りの2日は他施設での研修という扱いになるため、週5日勤務である)。大都市圏や大学の後期研修医の給与はせいぜいフルタイムや毎週の当直勤務をこなしても税込み年間500万円前後が相場ではなかろうか。

また刑務所との交渉次第では午前中に刑務所勤務、午後に他施設研修というのも可能だ。実際私はそのような勤務体系にして精神科病院で研修を受けたりもした。そのことによって、刑務所は常勤医師を確保することが出来て、私が学んで来た精神科を刑務所に還元することで刑務所の精神科診療レベルも向上することになる。

私は複数の勤務先で刺激を受けながら、新しい分野を学ぶことが出来、研修先の病院も私が勤務することで内科疾患のケアがカバーされ、3者がお互いにメリットがある。大都市圏では未だに無給の医局員やバイトに追われる大学院生が少なくないと聞く。是非彼らの収入源・身分保障として刑務所勤務を活用してもらいたい。

メリットは待遇だけではない。刑務所は1000人前後の集団がほぼ同じ生活スタイルで生活している稀有な場所である。やる気さえあれば生活習慣病を含め様々なリサーチにうってつけの場所である。また、採用医薬品のほとんどが後発品(ジェネリック)であることなどから先発品と後発品の割合はどのようにすべきかなど医薬品の費用対効果について考えることも出来るであろう。

さらに、受刑者の多くが何らかの病気にかかっていること等から、犯罪を減らすには予防医学に力を入れて病気やケガを防ぐことが重要ではないか等、様々な疑問やテーマが湧いてくる。私のような素人でも刑務所のリサーチで米国糖尿病学会の発表や英文雑誌に論文掲載させることが出来た(Diabetes Res Clin Pract. 2007 77:327-32.)。研究テーマは「服役すると糖尿病が改善する」という、考えればごく当たり前の内容である。

しかし、一般の人はこのように思ってはいないだろうか。「刑務所では激しい肉体労働でこき使われ、食事も粗末だからカロリーも少なくて糖尿病が治るのは当然だろう」と。私も最初はそのように考えていた。ところが、調べてみると刑務所の作業は木工やアイロンがけ等の軽労作がほとんどで、1日の運動時間も30分とわずかである。さらに、1日摂取カロリーは作業内容に応じて2220~2620kcalと日本人のおおよその1日摂取カロリー1800~2200kcalよりも明らかに多いのだ。

それにも関わらず、糖尿病患者の80%以上が血糖値とHbA1cを改善出来ている上に、内服薬治療受刑者の50%と、インスリン治療受刑者の28%が投薬を中止できていたという、顕著な糖代謝改善が見られていたのだ。刑務所での規則正しい生活と麦飯を含む高食物繊維食の長期継続がここまで糖尿病に好影響を与えているとは全く予想もしなかった。

この研究は学会や論文発表にとどまらず雑誌や新聞、TVなどでも取り上げられ、最終的に本を出版する機会に恵まれ、これまでに出会ったことのない方たちとの異種業界との交流もとても刺激的であった。大学で研究テーマが見つからず困っている大学院生や学会発表・論文を書きたいと思っている研修医は是非刑務所での勤務をお勧めする。

また、受刑者は常に黙々と刑務作業をこなすことを課せられているので、話したがりである。診察で時間を持て余した時などに、彼らのこれまでの犯罪について聞くことも出来る。例えば、覚醒剤の売人をやっていた受刑者に話を聞いてみると、純度の高い覚醒剤は直接日本海の船上で北朝鮮の売人と直接取引をしたという。しかし、それは日本海上で海上保安庁に見つかるリスクも高いそうだ。東南アジアなどでは簡単に手に入れられるが、北朝鮮から中国、東南アジアと覚醒剤が売買されるにしたがって混ぜ物が多くなり純度がおちて粗悪な覚醒剤になってしまうのだと言う(もう10年以上も前の話なので今はまた異なるであろう)。

他にも、受刑者によってはいろいろな裏社会の話を聞くことが出来るが、ここであまり書きすぎると問題が生じる可能性もあるため省略させて頂く。

しかし、刑務所勤務にももちろんデメリットはある。受刑者とのトラブルを心配するかも知れないが、診察時には必ず刑務官が立ち会うし、概ねこちらの指示に従ってくれるため意外とトラブルはないものである。ただ、非常に稀だが訴訟に巻き込まれる可能性がある。残念ながら私は平成16年から22年の在職中に3件巻き込まれてしまったが(通常は巻き込まれることはほとんどない、たまたま私の運が悪かった?)、不幸中の幸いにしてその3件とも一審原告棄却であった。

1件目は何と元受刑者が出所後に「きちんとした医療が受けられなかった」と弁護士も頼まずに自筆で訴状を書いてきたのである。この元受刑者は社会では生活保護を受け、窃盗や詐欺を繰り返しては刑務所に入るという生活を繰り返していた。その間に、なぜか訴状を書くことを覚え、出所する度に前刑務所を訴えてはいつも1審原告敗訴となっているようである。今回も訴訟を提起して1年以内に結審したのだが、訴訟の反論のためにわざわざ飛行機で複数の法務省関係者が福島刑務所に来て対応を検討しなければならなかったので、私も含め法務省・刑務所関係者は大変である。

2件目は女子刑務所内での急変事例であり、著書「塀の中の患者様」で概略を書かせていただいた。3件目は男子刑務所で向精神薬の過剰投与で寝たきり、褥瘡、左下肢麻痺になったと訴えられたのだが、これは困ったことにその訴訟の原因が他の刑務所医師の「誰だ、こんなに薬を出したのは」という発言がきっかけである。確かに精神科以外の医師から見れば数多く処方されていたと思われるかも知れないが、全ての処方は添付文書の範囲内での処方量であり、精神科では決してめずらしいものではない。最終的に鑑定までもつれたが、もともと交通事故で左足を怪我して後遺障害の認定を受けていたことや、鑑定医の「過剰投与はない」「寝たきりでない」「褥瘡(じょくそう)は予見不可」との判断で5年の歳月を経て原告棄却を勝ち取った。

今の世の中どこで働いても訴訟リスクはある。刑務所の医療訴訟では法律的なところは全て法務局訟務部のチームが全て担当してくれるので心配はいらない。ただ、医学的な問題については自分で文献を探して反論しなければならないので骨の折れる作業だ。原告の主張を覆すための主張構成や文献検索など当時とても大変だったが、今思えば医療訴訟を経験したことで、相手方弁護士の訴訟に対する考え方や普段どんなことに注意して診療をすればよいかが勉強できたことは良かったと思っている。

刑務所医療についてもう少し知りたいと思った方には2014年12月に出版した拙書「塀の中の患者様」に詳細を記してあるので是非参考にしていただきたい。刑務所の医師になったきっかけから、刑務所での多彩な出来事(例えば、男子刑務所での診察の様子や女子刑務所で行った覚醒剤についての講義に対する女子受刑者の感想文、刑務所で調査研究発表を行うまでの苦労、医療訴訟の被告となった実際のケースなど)、刑務所を去った後現在までの人生を出来るだけ興味を持って貰えるように分かりやすく書いたつもりである。

1人でも多くの方に刑務所医療に興味を持ってもらい、皆さんに少しでも何らかの刺激を感じてこれまでの行動に変化を起こしていただければ幸いである。