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核兵器「持ち込み」問題の論点ーー抑止論と制度論

緊張状況を高めかねない有事の「持ち込み」

2017年09月11日 13時42分 JST | 更新 2017年09月11日 13時42分 JST
KCNA KCNA / Reuters

北朝鮮による核兵器と弾道ミサイル開発の進展を受け、日本国内では核兵器の「持ち込み」をめぐる議論が一部で高まっている。持ち込みとして想定されるのは、米軍の核兵器であり、それを日本に持ち込むことで北朝鮮の脅威に対応すべきであるとの議論が聞かれる。日本による独自の核兵器開発・保有に比べると敷居が低いと考えられるため、議論もより活発になるのだろう。

しかし、実際に核兵器の「持ち込み」が何を意味し、いかなる効果を持つことが考えられるのか、そして現実にいかなるオプションが存在するかについては、必ずしも理解されているとはいえない。

そこで以下ではNATO(北大西洋条約機構)における米国の核兵器の欧州配備、つまり「持ち込み」の事例に着目しつつ、日本にとっての核兵器の「持ち込み」をめぐる課題を検証したい。

また、本件は米国に核兵器の持ち込み意思がない限り実現せず、現段階でその可能性は極めて低い。他方で、日本の意向と関係なく提案される可能性を完全に否定するわけにもいかない。そのため、いずれにしても日本の観点から課題を整理することは必要な作業である。

非核三原則の例外としての有事の「持ち込み」

日本において核兵器の持ち込みを議論する際に常に出発点となるのは、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とした非核三原則である。これに正面から抵触するのが持ち込みだからである。

これに関しては、冷戦時代のいわゆる密約の問題が存在し、2009年からの民主党政権下で検証が行われた。核兵器搭載艦艇の一時寄港は、米国にとっては「持ち込み」にあたらず、非核三原則のもとでも継続されていたことが公にされた。

今日の文脈において注目されるべきは、いわゆる密約調査を受けた国会答弁において当時の岡田外務大臣が、「我々は非核三原則を堅持」するとしつつ、日本の安全にかかわる「重大な局面」が訪れ、「いざというときの、日本国民の安全というものが危機的状況になったときに原理原則をあくまでも守るのか、それともそこに例外をつくるのか、それはそのときの政権が判断すべきことで、今、将来にわたってそういったことを縛るというのはできない」と述べている事実である(2010年3月17日、衆議院外交委員会)。

非核三原則から「持ち込み」を削除し二原則にすべきとの議論は、今日よく聞かれるが、少なくとも「重大な局面」や「危機的状況」において「持ち込み」の禁止が撤回される可能性は、すでに民主党政権下で示され、この方針は安倍政権においても維持されている。

これをもってすでに二原則(ないし二・五原則)になっているといえるか否かは、評価が分かれるだろう。ただ、有事の際には核兵器の持ち込みを認めるべきだとの議論自体は、北朝鮮情勢の緊迫化を受けて昨日今日になって急に浮上したものでないことだけは、認識しておく必要がある。

そのうえで考えなければならないのは、すでに有事が進展した段階での持ち込みでことが足りるのか否か、その場合の問題点は何かである。比較対象となるのは、核兵器の貯蔵を含む配備を伴う平時からの持ち込みである。

緊張状況を高めかねない有事の「持ち込み」

まずは有事の際の緊急措置としての持ち込みである。一般にはこのシナリオの蓋然性が最も高いと考えらえているようである。しかし、すでに緊張が高まった状況で核兵器の持ち込みを行った場合、緊張状態をさらに高めかねないという重大な問題が存在する。

逆に、緊張が高まった場合に、核兵器持ち込みの選択肢が検討されたにもかかわらず見送られたとすれば、その理由が何であったとしても、決意が疑問視される結果になりかねない。いずれにしても、プラスにならない。

この双方を避けようとすれば、平時から配備した方が有利である。若干レベルは異なるが、例えば英国は今日にいたるまで、核兵器(潜水艦発射弾道ミサイル:SLBM)を搭載した原子力潜水艦を常に1隻パトロール(潜水)させておくという「常時航海抑止(CASD)」と呼ばれる態勢を維持している。これにも、緊張がすでに高まった後で航海を始めることによる事態のエスカレーション効果と、航海の決定を先送りすることによる抑止力の低下の双方を避けるという効用があると指摘できる。

有事になってから行動すること(およびしないこと)にはリスクが伴うのである。この点は、日本における議論でもより意識される必要があろう。

平時の「持ち込み」によるリスクと抑止力

それでは、平時からの「持ち込み」はどうか。これに対しては、米軍の核兵器が配備されれば、武力紛争時には敵国の標的となるために危険であるとの議論がある。これ自体は正しい指摘かもしれないが、戦略論、抑止論としては、標的になるリスクを負うことこそが抑止力を高めることにつながる。

米国の核兵器の欧州配備を長年継続しているNATOにおいて、これは「リスクと責任の共有(risk- and responsibility-sharing)」と呼ばれている。米国の核兵器が配備されれば、当然それは軍事攻撃の標的になってしまう。しかし、そのリスクを共有することで同盟における核抑止(拡大抑止)態勢を、米国による同盟国への拡大抑止の提供という一方的(片務的)な関係から、ともに貢献し合う双務的な関係にすることができると解釈されている。

その背景には、欧州が一方的に米国に依存する態勢、すなわち、いわば「ギフト」としての拡大抑止を期待するだけでは信頼性に疑義が生じる恐れがあるため、欧州諸国の側も相応の負担をすることで、より対等な関係を目指したいとの欧州側の考えが存在した。

この観点では、平時から配備し、リスクを共有することが重要だということになる。米国の核兵器の配備には、米国をつなぎとめる、つまり有事の際に米国を「巻き込む」という目的が存在するのは当然である。しかし、平時からのリスクの共有によって抑止関係を双務化させることで米国による抑止の信頼性を確保する、すなわちバードンシェアリングを高めることで抑止力を強化するとの論理が存在することを見逃してはならない。

日本への核兵器持ち込みに関しても、直感的な感情論に頼るのではなく、目的の目的・意義を明確にするために、戦略論、抑止論からの強靭な議論を構築する必要がある。

「持ち込み」の枠組み

今日の状況で米国が日本(や韓国)に核兵器配備を決断する可能性は、現実には依然として極めて低いが、核兵器の配備のためにいかなる枠組みが必要かは把握しておくべきであろう。

まずは米国との間で核兵器貯蔵や管理に関する二国間協定を締結する必要がある。欧州において今日米国の核兵器(戦術核)を受け入れている諸国は全てほぼ同じ内容の協定を有している。協定自体は非開示になっており、いわば秘密協定である。

米国は自国の核兵器の管理については、極めて厳格な態勢を敷いており、協定締結のうえで、核弾頭の貯蔵施設の防護にあたっては、専用の部隊が配備され、また貯蔵施設も定期的に検査を受け、認定が与えられる仕組みになっている。

米軍(および核弾頭の管理に関して広範な権限を有する米エネルギー省)による制度の運営は厳格であり、これらの枠組みや手順を踏まずに核兵器が国外に継続的に配備されたケースはこれまでなかったとみられる。実際、冷戦時代には日本本土への核兵器の配備を模索する動きが何度もあったが、こうした手続きを踏むことが政治的に困難であるとして断念されている。協定を迂回して秘密裏に配備しようとする動きがみられなかったことは特筆される(日本に返還される前の米統治下の沖縄への核配備は、米国内と同等の扱いだった)。

それに対して、核兵器の荷揚げを伴わない艦艇の寄港や、航空機の場合は核兵器を搭載したままの(つまり空港に降ろさない)立ち寄り(visiting)の場合に、このような枠組みは不要である。日本で議論されることの多い有事の際の持ち込みは、これで対応可能な部分が多いかもしれない。

たとえば核兵器を搭載した爆撃機が、日本国内の米軍基地などに立ち寄ることが考えられる。ただし、飛行機から核兵器を降ろさないかたちでの駐機がどれだけの期間可能であるかは難しい問題である。その場合、ローテーションで核兵器を搭載した航空機が交互に飛来すると考える方が自然であろう。

つまり、有事の際の核兵器持ち込み受け入れを想定しても、そのための枠組みを欠いては、運用上大きなハンディとなる可能性が高い。そうである以上は、何を行うためにいかなる枠組みが必要であるかを予め把握し、必要な準備をしておかなければならない。

「持ち込み」の形式

最後に、持ち込まれた核兵器がいかに運用されるかである。これについては3つの方向性が存在する。

第1は、受け入れ国(この場合、日本)が何の権限も有さない形である。好例は冷戦期の韓国である。在韓米軍は1990年代初頭まで戦術核を韓国に配備していたが、その運用について韓国側が影響力を行使する枠組みは何もなかった。撤去の決定さえ、米国によるほとんど一方的なものであったことは象徴的である。

日本にあてはめて考えた場合、核兵器が在日米軍の装備の一つとして加わるだけで、日本との関係において、制度的には特別な位置づけにはならないということである。

第2に、NATO型の運用が考えられる。「二重鍵(dual-key)」と呼ばれる仕組みであり、米国と欧州(NATO)の双方の同意によって運用される。NATOの場合には、欧州の核兵器ホスト国の空軍戦闘機が核運用能力を有し(通常兵器と核兵器の双方を運用可能という意味で、「dual-capable aircraft(DCA)」と呼ばれる)、実際の核兵器使用は欧州側で担える態勢になっている。そのため、戦術核の運用に関する作戦計画や手続きが詳細に定められ、それを協議する枠組みとして、NATO内には核計画部会(NPG)が設けられている。そして、DCAの部隊は定期的に米国の認定プロセスを経ることになる。

日本がこれを行う場合には、航空自衛隊の一部部隊がDCAを運用し、核兵器を使用する作戦の際には米軍から核兵器が供与されるということが想定される。

第3は、おそらく第1と第2の中間であり、二重鍵やDCA保有には至らないものの、米国による核兵器の運用への影響力行使を制度的に担保することが考えられる。こうした要求に米国がどこまで応じる可能性があるかは不明だが、核兵器の配備を受け入れ、リスクを共有する以上、ホスト国の側が何らかの影響力行使を求めるのは、政治的には自然な考え方だといえる。実際、韓国における米核兵器の再配備を求める議論においても、今度は韓国が何らかの影響力を確保するべきとの見解が主流である。

まずは目的の明確化を

米国にその意思がない以上、日本への核兵器持ち込みは、短期的な課題にはならないだろう。それでも、もし平時からの配備を想定するのであれば、抑止の文脈でそれをいかに位置付け、何を目的にするのかを検討し、そのために必要な制度的枠組みを認識する必要がある。有事の際の持ち込みに関しても、その意味を考え始めることが不可欠である。

いずれの場合でも、核兵器の持ち込みは、あらゆる問題を解決する万能薬にはなり得ない。だからこそ、戦略論、抑止論に沿ってまずは目的を明確化することが最大の課題になる。持ち込みを巡る議論のさらに先には、独自核の議論が存在するが、その前に持ち込みを検討する段階で深めなければならない課題がいまだに多い。