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「生産者」モリブデン

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モリブデン(Mo)は、工業用触媒反応や細菌内の酵素反応において重要な役割を果たしている。42番元素Moの発見の歴史と触媒としての重要性について、チャルマース工科大学(スウェーデン)のAnders Lennartsonが解説する。

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その昔、「金属光沢があり黒っぽくて軟らかい」という共通の特徴を持つ、3種類の鉱物があった。「galena」、「molybdena」、「plumbago」と呼ばれていたこれらの鉱物は、近代的な化学手法がまだ確立されていなかった当時、区別が非常に難しく、互いに混同されることが多かったという。galenaは方鉛鉱(硫化鉛(II);PbS)のことで、すでに有用な鉛(Pb)鉱石であることが知られていたため、molybdenaやplumbagoにもPbが含まれていると信じられていた。

しかし実際は、molybdenaは輝水鉛鉱(硫化モリブデン(IV);MoS2)というモリブデン(Mo)鉱のことであり、plumbagoは炭素からなる鉱物、黒鉛(グラファイト)のことであった。Pbが含まれていないにもかかわらず、これらの名称に今も「鉛」という語が含まれているのは、実はこうした誤解の名残なのである。

言うまでもなく、molybdenaやplumbagoからPbを得ようとする初期の試みはことごとく失敗に終わり、やがて科学者たちの関心は、これらの鉱物の成分を調べることに向けられるようになった。そして1776年、スウェーデンの小さな町Köpingに暮らす薬剤師Carl Wilhelm Scheeleの元に、molybdenaの小さなサンプルが届く。

彼は33歳という若さにして、すでにフッ化水素酸や塩素、酒石酸、ヒ酸、尿酸の発見に加え、初のマンガン化合物やバリウム化合物の特性も明らかにしていた非常に有能な化学者で、これら3つの鉱物をめぐる混乱を収拾できる人物がいるとすれば、それはおそらくScheele以外にはいなかっただろう。

Scheeleが受け取ったmolybdenaサンプルの見た目は、彼の店にあったplumbagoによく似ていたが、それでもいくつかの違いが見られ、さらなる研究が必要に思われた。彼はこの鉱物を徹底的に調べるため、複数の友人に依頼して研究に必要な量のmolybdenaを集めたという。そして詳細な化学的研究の結果、molybdenaにはPbではなく、別の意外なものが含まれていることが明かになった。それまで知られていなかったモリブデン酸(MoO3∙H2O)という全く新しい物質が発見・単離されたのだ(参考文献1)。一旦molybdenaの研究が軌道に乗ると、Scheeleは続いてplumbagoが炭素の一種であることも明らかにしたが、横道にそれるのでここでは触れないことにする。

次にScheeleは、Moの単離に取り掛かった。ところが、モリブデン酸を還元する作業には、小さな薬局では入手できないような高性能な装置が必要だったため、彼はストックホルムに住む友人の化学者Peter Jacob Hjelmに助けを求めることにする。Scheeleからモリブデン酸のサンプルを受け取ったHjelmが、これを木炭およびアマニ油と混ぜてるつぼに入れ、密封状態で強火で加熱したところ、加熱後のるつぼの底に小さな粒状の金属片が現れた。これが、初めて得られた金属Moである。

しかし残念なことに、この方法で単離された金属Moは炭素含有量が多く、もろくて研究にはほとんど使えない状態だった。そのためこの金属Moは、別の単離法が確立されるまで1世紀以上にわたり、日の目を見ることのないまま実験室の棚で眠り続けることとなる。

1900年代初頭、純粋な金属Moを大量に得られる方法が開発され、これを機にMoを含有する一連の鋼(モリブデン鋼)の重要性が増した。モリブデン鋼は強度や加工のしやすさなど優れた特性をいくつも備えており、車のフレームや工具などの製品に加工された他、2度の世界大戦中には装甲車の装甲板に大量に使用された。また最近では、医療用や研究用のX線管のターゲットとして用いられており、結晶学ではX線結晶構造解析にMo-Kα線がよく使われる。

Moは材料科学分野で有用なばかりでなく、触媒反応分野でも非常に重要である。例えば、現代のガソリンやディーゼル燃料は、数十年前のものに比べてはるかに環境への影響が小さいが、これはMoS2触媒を用いて石油から硫黄(S)を除去しているからである。

また、工業化学の分野では、アルコールからアルデヒドへの選択的酸化反応に酸化モリブデン系触媒が使われる。この触媒がないと、競合するカルボン酸形成反応が起こってしまうので都合が悪いのだ。この他にも、Moカルベン触媒などを用いたオレフィンメタセシス触媒反応の開発を理由に、Richard Schrockが2005年にノーベル化学賞を共同受賞している。

だが、触媒反応にMo化合物を使ったのは人間が最初ではない。ヒトが地球上に出現するはるか昔から、いくつもの重要な化学プロセスがMo含有酵素によって触媒されていたのだ。そしてそれは今も変わらない。その1つに、大気中窒素ガス(N2)をアンモニア(NH3)に変換する反応がある。

この反応を工業的に進めようとすると、300°Cを超す高温と約200 barの圧力が必要なのに対し、ある特定の植物と共生する窒素固定細菌は、ニトロゲナーゼ酵素の力を借りて同じプロセスを穏やかな生理的条件で進行させる。多くのニトロゲナーゼは活性部位にMo原子を有し、こうした活性部位には、7個の鉄(Fe)原子と9個のS原子、ホモクエン酸リガンドと結合した1個のMo原子1個、そしてヒスチジン残基1個からなるクラスターが含まれている。

Mo酵素には、上記のようなニトロゲナーゼ以外にも、さまざまなものがある。例えば、「酢酸生成菌(acetogen)」と呼ばれる嫌気性細菌は、また別のMo含有酵素を用いて、二酸化炭素(CO2)と水素(H2)をギ酸イオン(HCO2)に変換した後、最終的にアセチル補酵素Aを生成する。推定では、これらの細菌がCO2から合成する酢酸塩の量は年間約1011トンに上るという(参考文献2)。つまり、Moが存在しなければ、我々の世界は全く違うものに変わってしまうのだ。

Nature Chemistry 6, (2014年8月号) | doi:10.1038/nchem.2011

原文: Made by molybdenum
doi:10.1038/nchem.2011

著者: ANDERS LENNARTSON

参考文献:
  1. Scheele, C. W. Kongl.Vetenskaps Academiens Handlingar 39, 247-255 (1778).
  2. Drake, H. L., Daniel, S. L., Matthies, C. & Küsel, K in Acetogenesis (ed. Drake, H. L.) 3-60 (Chapman and Hall, 1994).

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