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保坂展人 Headshot

言論を奪われ、異論を排除した時、戦争は止められなくなる

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8月15日正午。私はこの日、区立世田谷公園内に開設された平和資料館で戦争犠牲者に対する黙祷を捧げていました。区立小学校の一角で平和資料室として運営されてきた展示を引き継いで、交通アクセスのよい世田谷公園内に移したものです。この世田谷公園には、平和都市宣言を機に、「平和」をテーマとしたモニュメントが置かれ、広島・長崎で被爆を生き延びてきたアオギリや柿の木が植樹されてきた場です。プールの横の土地に平屋の「平和資料館」が開設され、当日は来賓や関係者の他、100人を超える区民も集まり、瞑目しました。

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世田谷区立平和資料館

戦後七十年の終戦記念日となった十五日、東京都世田谷区は大きな犠牲を生んだ太平洋戦争の体験や記憶を後世に伝えようと、平和資料館(愛称・せたがや未来の平和館)を世田谷公園(池尻一)に開館した。

鉄骨平屋三百七十平方メートルに資料約三千点を収蔵。区民らから寄せられた戦前の「国民服」や、出征の際に寄せ書きして贈った日章旗など約百五十点のほか、広島・長崎の原爆や東京大空襲による被害、区内の軍事施設などを示すパネルを展示。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015081502000231.html

8月15日を前後して、「戦争」をふりかえり「平和」を問いかける新聞の特集や、テレビ番組が続きました。その一部を見ながら、戦争体験者が90代と超高齢となり、子どもの頃の戦争体験を語る方も、80歳前後になっていることを改めて感じました。「戦後75年」そして「80年」の節目が来るとすれば、すでに戦争体験者の証言は、過去のVTR(資料映像)となってしまっているおそれがあります。私たちが呼吸する今日は、生の証言を聞く最後のチャンスかもしれません。ささやかな平和資料館にかけた期待も、次の世代の「記憶の伝承」です。

70年という歳月をはさんで、「記憶の伝承」には忘却、そして拡散、無関心と薄まってきた長い時間を「巻き戻す」必要がありそうです。世界中、どこに行っても「ヒロシマ・ナガサキ」を知らない人はほとんどいません。しかし、次のNHKニュースは、私にとって、いささか衝撃的でした。

広島と長崎の原爆投下日について、正しく答えられなかった人がそれぞれ約7割にも達したと、NHKが2015年8月3日、自局で行った全国世論調査の結果を明らかにした。

それによると、広島の投下日について8月6日と正しく答えられた人は、広島で69%、長崎で50%、全国で30%だった。また、長崎の投下日については、8月9日と正しく答えられた人は、広島で54%、長崎で59%、全国で26%だった。

NHKでは、6月下旬に全国の20歳以上の男女を対象に調査を行い、それぞれ1000人余りから回答があった。
http://www.j-cast.com/2015/08/03241747.html

原爆投下日を正確に答えた人は、「8月6日」の広島で7割、「8月9日」の長崎で6割にすぎず、全国的には3割以下という調査結果でした。これが、「唯一の被爆国」として「核兵器廃絶」を世界に訴えているはずの日本の現在なのです。年に一度、メディアが「戦争」をふりかえっても、焼け石に水と言っていいぐらい、近現代史を知らずに子どもたちは育ちます。とりわけ、なぜ戦争に突入したのか、どこが戦場となったのか、そしてなぜ敗戦を迎えたのか、「歴史に向き合う教育の欠如」が続いてきた結果ではないでしょうか。

今年の「8月15日」をとりまく関心は、ふたたび「戦前」の歴史に回帰するようなことはないのかという危惧が広がっている点にあります。昨年7月1日に、「集団的自衛権の行使」をめぐる憲法解釈を180度変更して「行使できる」とした安倍政権は、今年5月の国会に「安保関連11法案」を提出しました。とりわけ、国会の審議が始まると露呈した噛み合わない議論のすれ違いは、不安・不信を増幅しました。「安倍話法」とも言うべき、言葉の羅列について、『安倍首相の「歴史観」を問う』(保阪正康著・講談社)を読んでいて、ハッとする指摘がありました。「軍服を着た首相--前書きにかえて」から何カ所か引用します。

安倍首相の答弁や言い分は、昭和10年代の陸軍の軍事指導部の幕僚たちが、たとえば国家総動員法の審議の時に見せたような開き直り、在留邦人の保護や石油資源の供給が不安定な状態から脱するための自存自衛といった語を連発した構図とほとんど同じである。つまり、相手の言い分など知ったことではなく、常に自らの意見を声高に主張し、それに国会議員がヤジをあびせると、軍人が「黙れ!」とどなったのとまったく同じなのである。

昭和史の深い研究で知られる保阪氏が、昭和10年代の国会会議録にある軍人の答弁を読んでみて、実感するのが安倍首相との共通点だといいます。鋭い指摘は、さらに、続きます。

決して非礼の意味で書くのではないが、もしかすると安倍首相は、現代にあって、背広ではなく、軍服を着て、安保条約関連法案の答弁にあたり、内閣による憲法解釈を進めていると表現できるのではないか。このように見た時に、安倍首相の答弁はよく理解できるし、軍事主導体制に切りかえていく心理もそれなりの説得力を持ってくる。

軍服を着たと想像して、安倍首相を見たとき、「わが軍は...」という言い方はけっしておかしくはないし、正直な言辞だと思う。むろんこれは戦後民主主義体制そのものの自己否定であり、この否定の側に立つのであれば、軽々に「戦後70年、日本は平和の道を歩み...」などと言うべきではない。それは、自己矛盾を国際社会にさらけだすことではないか。

「戦後70年」は、ただの1回も他国と銃火を交えていないという誇りある歴史であると共に、「戦争とは何か」を問い詰めることなく曖昧なままにしてきた側面も持っています。広島、長崎への原爆投下日も定かに答えられない多くの人々を生んだのは、戦後も大きな力を持ってきた「戦争不可避論」「戦争肯定論」ではなかったかと思います。

私も中学生の時に大きな疑問を持ったことを覚えています。中学2年の日本史の時間、太平洋戦争に突入する前で授業の日数が尽きてしまい、「後は教科書を読んでレポートを書くように」と言われた経験があります。当時は、1970年(昭和45年)ぐらいでしたが、もっとも今につながる「近現代史」が空白なままに授業が終わろうとしていたのです。

中学2年生だった私が、「現在がどのような時代かを知るために、近現代史こそしっかり学ばなくてはならないのでは」と当時の教員に投げかけると、「歴史的に評価が定まっていないから難しいのだ」という答えが返ってきたのをよく覚えています。安倍首相がたびたび口にする「侵略の学問上の定義は定まってない」という言葉にも通底しています。歴史の事実から逃避し、表向きの判断を留保するような姿勢が続いてきたことを、大きく転換したのが戦後50年の「村山談話」でした。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。(村山総理大臣談話)

8月14日に戦後70年の「安倍談話」が閣議決定されました。「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「お詫び」という村山談話の重要なキーワードは、たしかに談話の中に使われました。しかし、文脈をたどってみると、「侵略」「植民地支配」に関しては、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と一般論に近く、「わが国が」という主語もなく、どの時点で、どの国に対して、具体的にどの事実をさすのか明確ではありません。

当初の原文にはなく与党公明党の要求に応じたと伝えられる「痛切な反省」「お詫び」については、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省とお詫びの気持ちを表明してきました」と過去形でくくった上で、「こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものであります」と結んでいますが、「今後も揺るぎない」という強い表現で継承するのであれば、「私は」という主語があってしかるべきだと感じます。

私は8月15日の世田谷区立の平和資料館開館の挨拶で、「安倍談話」の次の部分を紹介しました。「戦争の事実」に向き合い、日本国内の被害のみを強調するのではなく、加害にも言及した部分だったからです。

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平和資料館開館式典で挨拶

先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html

そして私は、安倍談話が触れていない重要な点を付け加えるとするならば、国内の言論が軍部の統制下に入り、戦争への慎重論を持つ政治家や官僚等がテロの標的となり、政党政治は解体されて議会はその機能を失い、新聞は事実を伝えるのではなく「大本営発表」の拡声器に成り果てた異常な戦時体制についてだと思うと、続けて述べました。

治安維持法は伸縮自在に解釈され、戦時体制に向かう「異論」を排除するだけでなく、「趣味」のグループや「宗教」にいたるまでが苛烈な弾圧の対象となりました。 戦争は自然現象ではなく、山火事のようにいつのまにか起きるのではありません。戦争が拡大しようとする時に「慎重論」や「拡大すべきでない」という不戦論を持つ政治家や外交官、言論人は確かに存在していました。批判者を徹底的におさえこみ、異論を排除するばかりか、文化や風俗、そして趣味さえも統制下に置いた恐怖の統治構造があったからこそ、戦争協力一色に国民を囲い込む結果となったのです。

言論の自由も政党政治も根こそぎ奪われたから、無謀な戦争にブレーキがかからなかったという歴史の教訓をふまえるなら、特定秘密保護法から集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更、そして安全保障法制から大日本帝国憲法に回帰するような「憲法改正」を志向する動きは、日本がかつて戦争へと向かっていった体制とダブります。

「安倍談話」については、後日さらに言及したいと思います。