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「原発再稼働社会」への転落を止めよ――東電旧経営陣強制起訴に思う

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時事通信社
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忌野清志郎さんが亡くなって、やがて7年になろうとしています。2009年5月2日、ガンで帰らぬ人となってから1年10カ月後に、彼がもっとも危惧していた事態が起きました。2011年3月11日、東日本大震災を引き金とした東京電力福島第一原発事故です。

清志郎が元気だったらどうしていただろうと想像しながら、チェルノブイリ原子力発電所事故(1986年)を受けてつくられたRCサクセションのアルバム『COVERS』の「サマータイム・ブルース」を聞き直しています。「電力は余ってる、原子力は要らねえ」と、繰り返し歌ったこの曲は、当時問題視されました。

所属していた東芝EMIの親会社が原発メーカーだったことから、『COVERS』は発売中止となり、1988年6月22日の新聞広告に「素晴らしすぎて発売できません」と掲載されたことは、今でも強く印象に残っています。チェルノブイリ原子力発電所の事故の後でさえ、「原発はいらない」と歌うことは御法度だったのが、私たちの日本の社会です。「3・11」前は、政治も、メディアも原発の危険性を見事にスルーしてきたのです。
→参考 RCサクセションの『カバーズ』はなぜ発売禁止になったのか

それは過去の話ではなく、今につながっています。思い出すのは2011年3月に起こった未曾有の原発事故の直後から、「原発を止めるべきではない。電力不足で社会生活が混乱に陥る」「江戸時代に戻るのか」という脅迫的な言説によって、「電力不足なら原発維持もやむをえない」という世論調査結果が多数を占めていたことです。

その後、節電が徹底されたことなどにより、原発が止まっても大停電が起きるわけではないという認識も共有され、即時、あるいは将来は「原発を止めるべき」という意見が世論調査の多数に転じました。しかし今なお、政治のベクトルは「原発再依存」に向けて突っ走っています。

「3・11」から5年、福島第一原発事故は教訓化されるどころか、あってなきが如くに扱われ始めています。

高浜原発 「40年ルール」が崩れる
原子力発電所は、運転開始から40年で原則として廃炉にする。福島第1原発の事故後に作られたこの「40年廃炉ルール」が早くも骨抜きにされようとしている。

原子力規制委員会は、福井県の関西電力高浜原発1、2号機について、新規制基準に適合しているとする、事実上の合格証をまとめた。7月までに追加の審査に通れば、最長20年の延長が可能になる。

高浜1号機の運転開始は1974年11月、2号機は翌75年11月だ。両方ともすでに稼働から40年を超す老朽原発である。そんな原発を延命させるのは、安全面からも、将来の脱原発の道筋からも認められない。
(2016年2月24日・毎日新聞社説)

もはや老朽原発も再稼働の対象となり、「40年ルール」は骨抜きにされようとしています。こうして、日本全国原発フル稼働へと舵を切ろうとしているのです。そしてまさに、この原稿を書いている最中に、再稼働した直後の高浜原発4号機で「原子炉が緊急停止」というトラブルが発生しました。

高浜原発4号機が緊急停止 再稼働直後、変圧器で異常か
関西電力は29日、高浜原発4号機(福井県高浜町、出力87万キロワット)で発電と送電を始めた直後に変圧器周辺でトラブルが起き、原子炉が自動で止まったと発表した。高浜4号機は20日に原子炉補助建屋で放射性物質を含む水漏れが見つかり、点検して26日に再稼働したばかりだった。3月下旬の営業運転開始をめざしていたが、遅れる可能性が出てきた。(2016年2月29日 朝日新聞)

「世界一厳しい安全基準」をクリアしたはずの再稼働ですが、トラブルが続いています。さらに、年代物の老朽原発もこれに加わるという事態が待っています。さらに、「メルトダウンの判定基準があったことに最近気がつきました」(東京電力)という信じがたい記者発表に続いて、東京第5検察審査会が東京電力の元会長らを強制起訴しました。

福島原発事故、東電元会長ら3人を強制起訴(毎日新聞2月29日)

2011年の東京電力福島第1原発事故を巡り、東京第5検察審査会から起訴議決を受けた東京電力の勝俣恒久元会長(75)ら旧経営陣3人について、検察官役に指定された弁護士は29日、業務上過失致死傷罪で東京地裁に在宅のまま強制起訴した。(中略)

第5検審は昨年7月、旧経営陣について「万が一にも発生する事故に備える責務があり、大津波による過酷事故の発生を予見できた。原発運転停止を含めた回避措置を講じるべきだった」とする起訴議決を公表。3人は事故を未然に防ぐ注意義務を怠り、福島県大熊町の双葉病院から避難した入院患者44人を死亡させ、原発でがれきに接触するなどした東電関係者や自衛隊員ら計13人を負傷させたとした。

ついに「原発事故」の刑事責任が、法廷の場で問われることになります。ただし、別の見方をすれば、福島第一原発事故から5年近くもの期間、旧経営陣の責任を問う訴訟は検察により「不起訴処分」となり、法廷で裁かれることはありませんでした。その「不起訴処分」に対して、検察審査会が二度にわたり「起訴相当」の議決を重ねたことで、検察官役の弁護士が「強制起訴」の手続きをとったという経過です。

2011年3月11日の夕方から深夜、そして未明にわたって、私は東京電力福島第一原発事故の推移を見守っていました。全電源を喪失し、非常用発電施設も津波で失い、炉心溶融(メルトダウン)への転落は時間の問題のように思えました。ところが、東京電力が炉心溶融(メルトダウン)を認めたのは5月になってからでした。そして、5年を迎えようとしている今、こんなニュースが飛び込んできました。

炉心溶融の判定基準発見 東電、3日後に公表可能だった
東京電力は24日、福島第一原発事故当時の社内マニュアルに、核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)を判定する基準が明記されていたが、その存在に5年間気付かなかったと発表し、謝罪した。東電は事故から2カ月後の2011年5月まで炉心溶融を公表しなかったが、基準に従えば3日後の3月14日には1、3号機について判定できていたという。(2016年2月24日朝日新聞デジタル)

全電源喪失の上に、非常用電源まで喪失した運転中の原発は、次々と炉心溶融(メルトダウン)をしていったわけですたが、東京電力は、5月に「炉心溶融」(メルトダウン)を認めるまでは、ずいぶんとニュアンスの異なる「炉心損傷」という言葉を使い続けていたのです。しかし、原発事故の1年前、2010年4月に改定された「原子力災害対策マニュアル」の中に「炉心損傷の割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定する」と明記されていたことがわかりました。

東電は事故発生から3日後の3月14日午前、格納容器内で測定された放射線量から3号機の炉心損傷割合を30%、1号機も55%と確認。2号機も15日夕に35%と分かった。いずれも5%を超えており、炉心溶融と判定・公表ができたとしている。当時は、この基準があることに気付いていなかったという。2年前にマニュアルを改訂した際も見落としていた。(2016年2月24日朝日新聞デジタル)

現在、東京電力は柏崎刈羽原発の再稼働を急いでいます。今回の大失態は、泉田裕彦新潟県知事が、東京電力に対して「福島第一原発事故の検証」を強く求めてきたことから明るみに出たことです。安易に「再稼働」を認め、あるいは要望する自治体が数多い中で、「3・11」を見つめ繰り返さない姿勢を崩していない新潟県の姿勢は、隠されていた真実を浮き彫りにしました。

実は、「3・11」の夜から深夜にかけて、私は永田町の議員会館と頻繁に電話のやりとりをしていました。当日、政府が原子力緊急事態宣言を発し(午後7時過ぎ)、福島第一原発の周辺住民に最初の避難指示が出され(午後9時23分)、危機的な事態が進行しているのは明らかでした。閣僚や東京電力、経産省(原子力安全・保安院)がバラバラに記者会見をして情報が錯綜するなか、議員会館内の元秘書が政府内から収集した情報を得て、複数号機での「炉心熔融」(メルトダウン)という悪夢が近づいていると確信して背筋が凍ったことを思い出します。

午後22時過ぎには、「原発の非常用発電機を動かそうと、交流電源を積んだ電源車が向かっているが、付近の道路の路面状態等により原発に近づけない」「(電源車と非常用発電機を)つなぐケーブルを探しているが、見つからない」「原子炉内水位がどんどん下がっている」といった、にわかには信じられない情報も入ってきました。

そして深夜には、原子力安全・保安院が午後22時の時点で、福島第一原発2号機の炉心(核燃料棒)が午前0:50に熔融(メルトダウン)を始めることや、午前3:20に原子炉格納容器内の圧力が設計上耐えうる最高値を超えて爆発の危険域に達することと予測していることを知ったのでした。ベントを準備しているので、放射性物質が大気中に放出される見込みであることも分かりました。

メルトダウンの予測を記したその文書は、今も内閣府のホームページに残されています。(平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震緊急災害対策本部 第4回(平成23年3月12日)配布資料「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震について(第16報)」*p9に当該記述あり)

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あの時の「とんでもないことになってしまった」という恐怖感と胸の痛みは、決して忘れられるものではありません。

東京電力福島第一原発事故を忘却し、40年ルールも骨抜きにして、再稼働や原発輸出にひた走る悪夢のような現実を、このまま認めるわけにはいきません。福島第一原発事故の影響で、なお多くの人々が避難生活を送っています。この5年で、希望を失い自ら生命を絶った人たちの「絶望」は、私たちの社会の未来に向けられたものです。亡くなった清志郎のシャープな歌詞とメロディと思い出しながら、原発を止めるために、私たちの意志表示が必要です。

「3・11」から5年、原発再稼働から日本全国フル稼働に向けて雪崩れを打っている政治をブロックしないことには、何も止まりません。この夏の参議院選挙や次の衆議院選挙で「3・11」を繰り返さないために、「惰性との訣別」を果たす必要があると強く感じています。