BLOG

『帝国の慰安婦』 刑事裁判 二審判決文を読む

シンプルに言えば、二審の判決は、「読者の読解に著者が責任を持つべきである」との判決であった。

2017年11月09日 15時15分 JST | 更新 2017年11月09日 18時37分 JST

1、恣意的な判決

2017年10月27日、ソウル高等裁判所は私の著書『帝国の慰安婦~植民地支配と記憶の闘い』を、慰安婦に対する名誉を棄損した本と判断し、罰金1000万ウォン(約100万円)の有罪判決を下した

2017年1月の一審での無罪判決以降、有罪とするべき新しい証拠が出たわけでもないにもかかわらず、無罪判決をひっくり返したのである。つまり、二審は同じ本に対する判断を、証拠ではなく恣意的な解釈だけで有罪とした。

当然ながら認めるわけにはいかず、私と弁護士はすぐに上告した(2017年10月30日)。裁判所に出す上告理由書はより詳しく具体的に書くことになるが、以下は裁判所だけでなく、より多くの人たちにこの事態を理解してもらうべく、ひとまず書いた文章だ。 二審判決の内容をまとめると以下のようになるだろう。

『帝国の慰安婦』は、「日本軍によって強制的に連れていかれて性奴隷になった朝鮮人慰安婦」とは異なる慰安婦像を提示している。同時に著者は「朝鮮人慰安婦」の苦痛に関しても同書に書きとめている。

しかしそうした認識を本の記述全てにおいて書いているわけではない。そのため、「自発的売春婦だった日本人慰安婦とは異なる性奴隷の朝鮮人慰安婦」といった、韓国社会と国際社会が共有する認識とは異なる認識を読者が持つようになる可能性がある。すなわち「朝鮮人慰安婦=自発的売春婦」といった認識だ。

また、国連報告書など国際社会と日本の河野談話の認識によれば、慰安婦を「自発的売春婦」だとするのは明確に虚偽である。著者の認識の方を虚偽とみなすのは、国際社会の認識こそが最も正しい認識だからである。そうした国際社会の認識を著者はよく知っていたはずでありながら、それとは異なる認識を語った。言うなれば虚偽を書いたのみならず、そうした事柄について書くことによって対象の社会的評価が低下されることを認識していたかどうかをめぐる判断も名誉棄損の判定においては重要だが、著者は長い間慰安婦問題を研究してきており、そうした本がもたらす結果を知っていたはずだ。したがって虚偽の「事実」提示と執筆目的において「故意(犯意)」が認められるので有罪とする。

シンプルに言えば、二審の判決は、「読者の読解に著者が責任を持つべきである」との判決であった。「著者が持つべき責任」の金額として私に課された「罰金1000万ウォン」をもって、検事が求刑した懲役3年より軽いのでよかったと言う(あるいは軽過ぎると非難する)人々がいた。しかしこの金額は懲役ならば5年に値する、名誉棄損関連の処罰が選択しうる最高金額だ。裁判所は寛大な処分を出したかのように強調したが、懲役刑を選択しなかったに過ぎず、実際には3年以上の懲役刑にあたる処罰とも言える。でありながらも、裁判所はあたかも学問の自由を擁護したかのようなポーズをとった。

名誉棄損で有罪が成立するためには、問題とされた内容が事実であることが最初の条件となる。無罪とみなした一審は検察側が「犯罪」として指摘した35カ所のうち30箇所を「意見表明」とみなし、残る5箇所は「事実」に関する記述としながらも、慰安婦の社会的評価を低下させる表現ではない、あるいは個々人を特定した表現ではないので名誉棄損ではない、とした。また、著者に名誉棄損をする目的(故意)があるとみなすことはできないとして、「慰安婦問題は国民が知るべき公共性・社会性を持つ公的関心事項であるので、活発な公開討論と世論形成のために表現の自由を幅広く保障」するべきとして無罪を言い渡したのである。

このように判断するまで一審のソウル東部地裁は1年に渡って、準備裁判を含むと10回以上、本裁判以降は毎回朝から夕方まで長い時間をかけて裁判を行った。検事は私を批判した学者の論理を掲げて私の「犯罪」を主張し、結局、法廷での攻防は学術セミナーのような内容となった。それに比べて二審は4回しか開かれず、毎回1、2時間にしかならかった。であれば一審に提出された膨大な資料を詳細に検討してこそ、この事件をまともに判断できたはずだが、二審判決を見る限りそうだったようには見えない。

2、歪曲と訴訟の本質

この判決のもっとも大きな問題点は、検事が提出した、歪曲された内容をそのまま使っているということだ。以下に引用しておいたが、一方では私の本の趣旨をある程度理解しまとめておきながらも、結局は読者の誤解のないようにもっとも気を配って書いたところに関して、裁判所は検事が勝手に曲解した要約を持って来て、あたかも私が書いた内容そのものであるかのように歪曲している。

しかし私は、慰安婦は強制連行されていないとは書かなかった。日本軍の募集と関与・管理も否定するどころか、むしろどのように関与したのかを詳しく書いた。

「朝鮮人慰安婦がやるべき仕事の内容を知っていながら、本人あるいは親の選択によって自発的に行った」と要約されたところもいいかげんな要約であり、「本人の意志に反して慰安婦になる場合はなかった」というのは私の言葉ではなく、そのように主張する人たちを批判するところで引用した、慰安婦問題を否定する者たちの言葉である。

「1996年の時点で慰安婦とは根本的に売春の枠組みの中にいた女性たち」(42)というのも国連報告書の内容である。こうした論理なら、「朴裕河が"慰安婦は自発的売春婦"と書いた!」と言ったすべてのメディアと個人も名誉毀損で訴えられなければならないことになる。

また、私は、「法律上の賠償責任や公式謝罪を受けることができない」(2)とは言っていない。そうした形のみを唯一の解決方法と考えて来た支援団体の運動のあり方や論理に疑問を提示したまでである。「公式謝罪を受けることはできない」と書いたのではなく、20年以上、法的責任のみを主張してきた支援団体の考えにも問題があるから、日韓で協議体を作って議論し直すことが必要、と本には書いた。韓国語版刊行の後に出た日本語版では国会決議が必要と書いた。  

「被告が主張する解決方式を提示」(39)したという言葉は検事の主張だが、先に書いたように、私は韓国語版では解決方法を具体的には提案していない。にもかかわらず原告側も検事も、裁判中繰り返しこうした言葉で非難したが、実はこうした主張こそが『帝国の慰安婦』訴訟の本質を示しているものである。原告側(支援団体)が訴訟を始めたのは実際、「慰安婦の名誉」というより運動体の運動の正当性を守るためのものだった。実際にそのことは告訴状に明確に現れている。『帝国の慰安婦』は、「植民地支配と記憶の闘い」とのサブタイトルを通して表したように、90年代以降の慰安婦支援運動の問題を批判した本でもあるが、それこそが告訴の原因となった。しかし、支援団体が主張してきた「法的責任」について知る人は、少なくとも私が会った慰安婦の方々の中にはいなかった。

3、「事実を摘示」との前提について

この判決は『帝国の慰安婦』についてこうも書いている。

被告人がこの事件の図書において、全ての朝鮮人慰安婦が自発的に慰安婦になったのではなく、直接の暴行・脅迫・あるいはだましや誘惑によって慰安婦になった場合があり、日本国や日本軍が公式に強制連行をした証拠は存在しなくとも責任がないとはいえず、民間人の抱主(売春斡旋業者)や業者によって強制力が施され、性的虐待の代価として支給されたのは少額であり、それさえも搾取され、一部(だけ)の朝鮮人たちが日本軍と協力的な関係を結んでいたなど、内容をともに記している。(32) 
被告人はこの事件の図書において「朝鮮人慰安婦を募集した主体は日本軍ではなく業者だったがその過程において不法な方法が使われた。一部の慰安婦たちは日本軍によって強制的に連行された場合もある。朝鮮人慰安婦たちは貧困、家父長制、国家主義によって慰安婦になった。慰安所内で民間人抱主や業者によって強制力が使われ、性的虐待の代価で支払われたのは少額であり、それさえも搾取された。朝鮮人慰安婦たちは植民地の人として愛国が強制され、一部の慰安婦は日本軍と同志的関係にあった。」と記述している。(37)

被告人の主張するように日本軍慰安婦問題には社会構造的な要因が存在し、朝鮮人慰安婦たちの姿やおかれた状況は様々であり、この図書は被告人がすでに出ていた資料をもとに、現在の韓国社会の主流的な観点とは異なる立場から慰安婦問題に関する自らの主張を披瀝する内容であり、この図書の所々に例外的な姿や多様な慰安婦の姿やおかれた状況が記述されている。(41)

「例外的」と記述するところなど、すでに書いた人の見方が見えていて、必ずしも全て正しいわけではないが、それでもある程度私の本の趣旨を理解した要約と言える。であれば、いったいどうして有罪としたのだろうか?

実のところ、私は名誉毀損を巡る訴訟では「意見」なのか「事実」なのかが重要だと聞いたので、学術的な本の全ての記述は基本的に「意見」であるほかないと述べた。もちろん学問とは「真実」を求める過程でもあるが、どんなに自らの知る事柄を「事実」と主張したとしても、自らが信じた「事実」もまた、いつでも新しい探求と学説によって否定されうることを知っているからである。そうした意味では全ての学問は「意見」でしかない。

実際に、ヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』(1973)以降、客観的な事実を記述したかのように見える歴史書さえも、入手された資料を前に学者が文学的想像力で編んだ「文学」であるほかないとの認識は、常識になりつつある。多数の支持と検証を経た仮説が歳月や空間を乗り越えて「真理」や「事実」と定着してはきたが、そのすべては文学的プロットを必要とし、そうしたプロットを作るのは見えないイデオロギーだとの見方は、過去の歴史に謙虚になるためにも必要な認識である。言うなれば、全ての歴史書・学術書は真実・事実を追求するものではあるが、一つの事柄を最終的な「真実」と断定できる者は論理的にはいない。あくまでもその時点での「認識」を語るものでしかないのである。

しかも指摘された部分は、文脈を見ても分かることだが表現自体も「意見」として表したところが多い。『帝国の慰安婦』は歴史自体より、証言を含む歴史をめぐる言説を分析した学術的批評書だからである。

4、「社会的な評価を低下させる」との認識について

裁判所は結果的に、私の本を元慰安婦の方々の「社会的な評価を低下させる」ものと判断している。裁判所が言う「社会的評価の低下」とは、元慰安婦が強制連行を主張しているのにそれに反するような言葉を発するのは、そうした元慰安婦の主張に問題があると読者に受け止められる可能性がある、という意味である。

しかし、『帝国の慰安婦』を読んだ人々の中にはむしろ、「慰安婦問題にもっと共感するようになった」とか、「それまで感じることのなかった悲しみを感じた」と言ってくれた人たちが多い。必ずしもそうした読解のみが正しいとは主張しないが、この判決はそう読んだ全ての人々を無視した判決である。代わりに、著者の意図とは異なった読み方をする(しうる)人々の存在と、そのように仕向けた人々の「誤読」の可能性を偏向的に優先した。私に対する有罪判決はそのようにくだされたものだ。

繰り返すが、『帝国の慰安婦』は、歴史書というよりは歴史をめぐる言説を分析した「メタ歴史書」である。韓国と日本の異なる読者を対象に書かれ、一つの「真実」自体より目の前にある「真実」(対象・状況)らしきものと「どのように」向きあうべきかを模索した理由でもある。必要に応じて「事実」に接近しうるように努力したが、それ以上に、その「事実」をめぐって対立している人々がお互いをもっと深く理解し合えることを目指しながら書いた本なのである。接点を見いだすべく両国の政府と支援団体を批判したが、慰安婦に関しては否定も批判もしなかった。

私が試みたのは、むしろこれまで支援団体が見過ごしたり隠蔽してきたりした声をよみがえらせることだった。長い間意識・無意識に埋もれてきた全ての声に耳を傾けることこそが、過去との対面において誠実なやり方――望ましい「歴史との向き合いかた」と考えたからである。

にもかかわらず裁判所は、私のそうした試みを認めながらも「例外」とみなし、私の本に反発した支援団体(と検察)の『帝国の慰安婦』に対する曲解を額面通りに受け止めた判決を出した。裁判所でさえある程度素直に読んでいた痕跡を残しながらも、この判決は結局、裁判所自らも含む全ての読者を無視した結論を出したのである。

判決文に一部要約されたように、私は「慰安婦の自発性」を強調するよりは、むしろそうした構造を作った日本の植民地支配を批判した。たとえ自発的に行った人がいるとしても、そのほとんどは家族のために自ら犠牲になったケースとも書いた。「(管理)売春」という単語は裁判所が引用した国連報告書や多くの学者が使用している、価値の評価とは関係のない、中立的な一つの状況説明でしかない。文脈や意図と関係なく単語を使っただけで有罪となるのなら、1996年に国連報告書を作成した国連の報告者、そして日本軍慰安所を国家が管理した公娼から派生したものと見ているほかの多くの学者も起訴され、有罪となるべきだ。

5、「虚偽」との認識について

裁判所が<帝国の慰安婦>を「虚偽」とみなすために引用した資料は、90年代半ば、つまり20年以上も前の資料である。たしかに河野談話は日本政府が調査を経て出した見解であるが、ほかの国連報告書や国際司法委員会の資料は、慰安婦問題が問題として発生しはじめた初期に、支援団体などが提出した資料などを専門家でない人たちが検討して出した資料である。

もちろん国連のクマラワスワミ報告は日本や韓国、そして北朝鮮から学者や慰安婦の証言を聞いてまとめた報告書だ。そして彼らの意見を公正にまとめたものとも言える。

しかし、この報告書は基本的に今では否定されている吉田証言(慰安婦問題解決のために長い間努力してきた和田春樹教授さえも、昨年出した本で同証言を否定した)などを根拠にして出された報告書である。しかも、慰安婦問題を同時代の東ヨーロッパなどの内戦で起きた強姦・虐殺と同じものであるかのように理解した痕跡がある。

しかし学界はその後20年以上研究を進め、今では学界において「日本軍による朝鮮人慰安婦の物理的強制連行」を主張する人は私の知る限りいない。強制連行を主張していた学者たちは今では、動員における強制性ではなく慰安所で不自由だったというように、内容を変えて同じ「強制性」であるかのように主張している。

もちろん、学者や支援団体関係者たちがそうした状況を知らないはずがない。それでも相も変わらず「強制連行」に執着する理由は、関係者が主張して来た「法的責任」を守るためである。その方法のみが正義に近い謝罪方法と考えるからだ。そして支援団体が私の本を「虚偽」として訴えた理由は、私が元慰安婦を侮辱したからではなく、支援団体が長い間主張してきた「法的責任」の可能性に私が疑問を呈したからだ。

にもかかわらず支援団体の考え方に疑問を提起した私を「日本を免罪」するとして声を大にして非難し、挙げ句の果てに民事提訴・起訴に至った原告側と検察の主張を、二審判決はそのまま受け入れた。裁判所の判決文は、一審で私が提出した膨大な量の資料を完璧に無視したことを露にしている。

裁判所は『帝国の慰安婦』を「朝鮮人慰安婦たちは自発的に慰安婦となって経済的代価をもらって性売買をした(31)」「日本国と日本軍は強制動員や強制連行をしなかった」 と要約している。

そして「朝鮮人慰安婦の多くは、日本国や日本軍の指示に従って自らの意志に反して強制的に動員され、日本軍慰安所の中で性的虐待を受けながら性奴隷としての生活を強制された」(31)ということこそが「事実」だとしている。

しかし、私はそのようには書いていない。募集はしたが日本軍が拉致やだますことを許可した状況が見あたらず、「公的には」(すなわち公式的には強制連行を指示した痕跡がなく、むしろそれに反する状況が証言や手記などに見える)むしろそうした状況を取り締まった状況が見えると書いただけだ。

だからといって元慰安婦たちの語る強制連行を否定したわけでもない。当事者の証言は基本的に尊重したかったからだ。(ただ、警察と一緒にあるいは一人で現れた「軍人」のように見えた人は、軍属待遇を受けて軍服も支給されていた業者である可能性が高いと考える)。なのにそうした状況に反する説明を付け加えなかったという理由だけで、その部分を「犯罪」と断定した。しかしそうした部分はほとんど、そう語った人たちを批判する文脈、あるいは全体内容をまとめる部分で使った内容である。指摘された部分のほとんどに反論・批判が入っているにもかかわらず、そうした文脈を無視して単語にのみ反応したことになる。

裁判所は国連報告書の中の「日本政府が強姦収容所(レイプセンター)の設立に直接に関与した」「慰安婦の調達のために軍部は物理的暴力、誘拐、強制やだますことをした」(34)、日本軍が女性や少女たちに「自発的に申請したかのように取り繕うため、業者に積極的な支援策を与えた」(36)ということこそが真実としている。『帝国の慰安婦』はこうした「重要なところが事実と合わない」ため「虚偽」だというのである。

裁判所が国連報告書を真実と考えるのは、「国際社会」という単語を無条件に権威と考えるからである。もちろんそうした判断は原告側と検察がそのように主張したからである。原告側は、これまで出た国連報告書や河野談話を、私の「犯罪」を主張する資料として裁判所に提出した。彼らの告訴(起訴)の趣旨は、言うなれば「国際社会はもちろんのこと、日本さえも共有する認識を朴裕河一人が否定している」だった。

しかし私は河野談話を否定するどころか、かえって高く評価した。ただ異なる形で解釈しただけだ。支援団体は昔は、河野談話を「強制性を否定した」とみなして不十分なものとみなして批判していた。ところが安倍政権で河野談話が検証対象になると、突如河野談話を「強制性」を認めたものとみなして「河野談話を守る」行動に出た。

ところで河野談話を出した河野洋平元官房長官は、私の起訴に反対する声明参同してもいる(2015・11)。私の解釈が間違っていたとしたら、河野氏が声明に参加することはなかっただろう。

裁判所は国連報告書の「性奴隷」認識が正しく、私の本はそれに反するものであるかのように言っているが、私は支援団体の「性奴隷」認識には疑問を投げかけたが、同時に慰安婦はうたがうべくもない「性奴隷的」存在と書いた。

にもかかわらず裁判所は「しかし被告人は、初めは一部そうしたケースもあるとしたり、いろんなケースがあるというような記述をしたりしておきながら、こうした例外的なケースを除いて叙述したり、断定的な表現を使用したりすることで、こうした表現に接する読者は<全体ではなくてもほとんどの、あるいは多くの朝鮮人慰安婦は自発的に慰安婦になって経済的代価をもらって性売買をし、愛国的に日本軍と協力し、ともに戦争を遂行し、日本国と日本軍は朝鮮人慰安婦を強制動員したり強制連行したりしなかった>と受け止めるように記述しており、こうした内容が客観的な事実と異なるのは明らかである。この事件の表現は虚偽の事実に当てはまる」(37)と言う。

こうした裁判所の認識は「自発的売春婦」ならば被害者ではないという認識が作ったものでもあるが、もとはといえば支援団体の認識でもある。言うなれば、慰安婦問題の中心にいた人々は、むしろ「売春」に差別的な考え方を自ら持っていたり(彼らがひたすら「純潔な少女像」にこだわる理由もそこにある)、20年以上人権運動をしてきながら社会が必要としつつ差別してきた問題を、問題として変える努力をしていない。そしてそのことを試みた私を罪人とみなし訴えたのである。

裁判所はそうしたことを知らないまま、「社会が慰安婦を差別(社会的な評価低下)しうるのだから(著者の意図がそうでなくても)処罰する」としたことになる。

6、人物の特定について

裁判所は『帝国の慰安婦』が特定の慰安婦を指し示して名誉毀損をしたという。しかし一審はそのようには判断しなかった。そして二審の主張が正しいなら、むしろ原告として名前のあがっている11人の元慰安婦の「日本軍の強制連行」が個別的に証明されないといけないだろう。しかし私はそのようなことはしたくなかったので、誰の名前も意識せずに本を書いた。ところが原告側が私の「虚偽」を証明するために裁判所に提出した、元慰安婦の共同生活施設「ナヌムの家」居住者5人の口述書によれば、誰もそうした体験をした人はいない。しかもそのなかには「報国隊」へ行ったと話した人もいる。

しかし裁判所は私が執筆目的について書いた序文から、

「いうなれば日韓両国は、20年余りの歴史問題の葛藤を経て深刻なコミュニケーション不全症に陥った。(中略)その葛藤の中心に慰安婦問題があり、彼ら(日本の否定論者)は、韓国が世界に向けて嘘をついてまで日本の名誉を損なっていると考えている。そこで私はもう一度原点に戻って慰安婦問題について考えてみることにした』(韓国語版38−39)と書いた序文の一部と、以下に引用する部分を持って来て、私が具体的に問題解決のために先頭に立っている慰安婦を特定したとしながらこのように主張する。

「しかし現在韓国と日本の間に横たわる慰安婦問題の中心には、自ら慰安婦だったことを明かして日本の謝罪と賠償を要求する元慰安婦の被害者がいる。被告人もこの図書で<慰安婦たちと支援団体はその後も、日本政府と世界を相手に謝罪と補償を要求している。それは日本が謝罪を認めないためである。そうした意味では世界的な問題とみなされている慰安婦問題とは、実は数十人の元慰安婦と慰安婦支援団体が主体となった韓国人慰安婦問題でもある>(171)と書いたとしながら、「自ら慰安婦だったと公表した人にのみ名誉毀損問題が生じる」ので、「第三者が日本軍慰安婦を考える時は、全ての韓国人慰安婦より、まずは自ら日本軍慰安婦だったと公表した<元慰安婦の被害者>を思い浮かべることになる」と。こうした理由から私が慰安婦を「特定」したとみなすことができるというのである。

しかし、上記の引用部分で私が強調したのは「日韓の葛藤の中心に慰安婦問題がある」という事実であって、「葛藤を引き起こしている特定の元慰安婦」ではない。この部分においても本全体においても、私は元慰安婦が間違っているとか謝罪を要求することが問題だとは言っていない。一部の元慰安婦に与えられた情報が果たして正確だったのか、そう考えるように導いた支援団体の考え方が果たして最善の考え方だったのかを疑問視しただけだ。

何よりも、300ページを超える『帝国の慰安婦』を読んで慰安婦の悲しみを感じたとする人たちは、ほとんどが原告の言う「特定された慰安婦」ではなく「名もない慰安婦」「戦場に動員された慰安婦」を思い浮かべた人たちであろう。そうした読者が実在する限り、二審の判断は偏向的で恣意的と言わざるをえない。

もし私が慰安婦問題をただ「謝罪や補償を要求する特定の慰安婦の問題」と考えたなら、「慰安婦の悲しみと苦しみ」を伝えるような本を書こうとはしなかったはずだ。むしろ私は慰安婦問題を否定する人たちを具体的に批判した。これまでの支援団体のような糾弾ではなく、彼らがそのように考える理由に耳を傾けながら問題的な考えを批判したのである。

私たちの前には「過去の慰安婦」の実像を示す抽象的な「慰安婦」があり、現在の日韓問題の中心となる具体的な「元慰安婦」がいる。私の本は後者にも注目したが、考察対象はあくまでも前者だった。検察が売春・強制性・同志的関係、この三つの部分を問題視したということは、前者を問題視して起訴したということでもある。「過去の、名も知らない慰安婦」を含む全ての(抽象的)慰安婦について書いた部分に注目しておきながら、私が「謝罪と補償を要求する(現在の具体的な)元慰安婦」を特定したという言葉は、彼らの起訴内容に照らし合わせても論理的ではない。たとえ私の本を読んで現在の元慰安婦だけを思い浮かべる人がいたとしても、私がそれを意図しないかぎり、それは著者の責任ではありえない。

私の考察対象があくまでも戦場で死亡した慰安婦を含む「彼女たち全て」だったのは、慰安婦について説明した本の第1部を以下のように締めくくったことでも明らかであろう。(2部と3部は90年代以降の葛藤について書き、4部は現代が過去を反復している構造について書いた)

思うに、私たちが今耳を傾けるべきは、誰よりもこうした女性たちではないだろうか。戦場の最前線で日本軍と最後まで一緒にいて命を失った人々――声を発することのない彼女たちの声。日本が謝罪すべき対象はもしかしたら誰よりも先に彼女たちなのかもしれない。言葉と名前を失ったまま、性と命を「国家のために」捧げなければならなかった朝鮮の女性たち。「帝国の慰安婦」たちに。(『帝国の慰安婦』104)

7、目的(故意)について――「社会的評価」を下げたのは誰か

裁判所は、『帝国の慰安婦』が多様な慰安婦の姿を示したものとみなしながらも「しかし被告人は、この事件の表現では、例外的な場合を除いて叙述しなかったり、断定的な表現を使ったりすることで、これに接する読者はあたかもほとんどの、あるいは多くの"朝鮮人慰安婦"たちが自発的に慰安婦となって経済的代価を受けて性売買をし、愛国的に日本軍に協力し共に戦争を遂行し、日本国と日本軍は朝鮮人慰安婦を強制動員したり強制動員したりしていないと受け止めうる。被告人もこの点を認識していながら、この表現を記述したと見える」とした(41)。

そして、 「こうしたことを考えると、被告人がこの図書を執筆した目的、この事件図書の性格および全体内容を勘案したとしても、被告人はこの表現の中で嫡示した事実が虚偽であることと、その事実が被害者の社会的評価を低下させうるものであることを認識したとみられる。被告人に名誉毀損の故意が認められる」(41-42)というのである。

つまり裁判所はただ「可能性」を処罰しようとし、その可能性を防ぐために本の全ての部分において、裁判所自らが正しく要約してもいる本の趣旨を反復すべきだったと言っているようなものだ。本という媒体が一人の個人の表現でもある以上、こうした考え方は個人の表現のスタイルにまで国家が関与すべきとしたものである。

私は韓国と日本の読者を同時に念頭におきながら本を書いた。したがってそれぞれのところでその読者を思い浮かべながら書いていった。同じ素材をもって少し異なるニュアンスで記述したところがあるのもそのためだ。先ほど書いたように、真実をできるだけ見ようとしながらも、より大切なのはその真実を「どう考えるのか」の方だと考えるからである。

原告側と検察と裁判所は、私の本がまさしく「慰安婦は売春婦」と主張する人たちを批判する本でもあることを知りながらも、そうした部分を完全に無視して単語だけに執着した。しかし単語だけが問題なら、私を訴えて以降、メディアが私を非難しながら「"慰安婦は自発的売春婦"と書いた朴裕河」などと繰り返し報道してきたこの3年半の時間こそが、元慰安婦にはつらい期間だったであろう。

私は慰安婦を誹謗する意図がないことを、普通の読解力を持つ人なら分かるように書いた。本の趣旨を理解できなかったり、さらには「悪意をもって」読む読者がいたりしたとしても、それは著者の責任ではない。

私がこの本で強調したのは「強制的に連れて行かれた純潔な少女」だけを被害者と考える韓国社会の認識が、そうしたケースではない女性たちを排除し、差別する状況だった。たとえ自発的に行ったとしてもその事実が隠蔽される理由はないと強調した理由でもある。解放以降50年近く、慰安婦だった人々が沈黙しなければならなかった理由も、まさしく彼女たちが声を上げられるように助けた支援者さえも、そうした構造を固めてしまったのは、単なる誤解や時代的な問題によるものとみられるが、以後の運動の拡散のために戦略的に変わっていった側面がある。私はそうした戦略を理解するが、時がすぎ、そうした戦略が決して問題を解決しないことが明らかになったので異議申し立てをしたのである。

にもかかわらず裁判所は、明確に記しておいた私の執筆目的を曲解してまで、支援団体が主張するとおり故意・犯意を見ようとした。

もちろん、韓国社会の売春に対する認識――「社会的評価の低下」を裁判所が憂慮するのはありうることだ。しかし本が出た後、私の本を根拠に「慰安婦は売春婦」と考えて慰安婦に批判的になった人は私の知るかぎりいない。そのように読んだと主張する人たちは、ただ私の本を曲解して、すでに自分たちが主張してきたことを補完するために利用した人たちのみである。重要なのは売春したかどうかではなく、その女性たちの人生を理解できるかどうかである。私はただ、昔の少女・女性の苦痛に満ちた人生を、より多くの読者が理解できることを目指して資料と文のスタイルを選んだ。

そうした私の本を歪曲した点では、その反対側に立っている人たちも変わらなかった。私は対立してきた人々の接点を探すため本を書いたが、結果的に私の本をあるがままに受け止めてくれたのは、彼らとは関係のない一般読者であった。今回の判決は、そのように「誤読する読者」あるいは「意図的に歪曲する読者」を優先した、社会的成熟をむしろ退行させる判決だ。

8、植民地のトラウマ

原告側と検察と裁判所の考えと判断の底辺には、私たちの植民地トラウマがある。

たとえば裁判所は、私が日本人慰安婦と朝鮮人慰安婦が日本軍と「基本的な関係は変わらない」と書いたところを問題視した。もちろん私はまったく同じではないと明確に書いたし、朝鮮人は基本的に差別構造の中にあったと書いた。しかし国家に動員され、多数の軍人を相手にしないといけない生活がもたらした「女性」としての苦しみに差異があるはずはない。韓国挺身隊問題対策協議会の元代表をはじめ何人もの学者が、慰安婦の中にあえて日韓の差異を見ようとするのは、彼らが人のアイデンティティーを性より民族として見ようとした結果でしかない。

しかし人間のアイデンティティーは多様で、朝鮮人女性が慰安婦になった理由が「女性」だったからなのか「朝鮮人」だったからなのかは一言で決めることはできない。そして私はその両方に理由があると書いた。しかし古くからの慰安婦研究者は、「女性の人権」を唱えて運動と研究をしてきながらも「日本」国籍を持って生まれた「女性」の人権はあえて無視したり見過ごしたりしてきた。それは世界の連帯のため「女性問題」であることを主張しながらも、朝鮮人慰安婦の「女性」としての苦難は実のところ度外視したということでもある。彼女たちは「女性」でありながら公には「男性」を批判できなかったし、自分たちを搾取した「階級」の問題を語ることもできなかった。もちろん証言ではそうした構造を十分に語ったが、誰も耳を傾けてはいなかった。私はそのように埋もれていた言葉を言語化しただけである。

私は自分の考えのみが正しいとここで言うつもりはない。しかし、支援団体と一部の学者は、自分たちの認識だけが絶対的に正しいものとみなし、異なる考えを持つ人の口を塞ごうとした。あるいは裁判中に私を批判することで直接・間接的に告訴に加担した。歴史学者は「歴史書」を目指したわけではない私の本を指して「歴史書」の形式を取らなかったと非難した。しかも彼らは、『帝国の慰安婦』がいわゆる日本の右翼の本のようなものではないことを知っていながらも、日本の右翼と変わらないと主張することで、私に対する国民の非難を誘導し、大衆によるおぞましいミソジニー的な非難と脅迫を放置した。それが、韓国と在日の「フェミニスト」と慰安婦関連の学者と支援団体関係者たちのこの3年半の姿であった。しかし二審は結局彼らの手を上げたのである。

裁判所は「同志的関係」も虚偽と判断したが、私は「軍需品としての同志」と明白に書いた。裁判所は判決文に私の本が「愛国を強制」したと書いたと認定しているのだから、私が強調したメッセージは確実に受け止めたことにもなる。にもかかわらず裁判所は原告側と検察の歪曲された要約をそのまま引用し、『帝国の慰安婦』は「慰安婦が誇りを持って愛国的に協力した」と書いている(もちろん、実際に誇りを持っていたと自ら語った資料も存在している。私たちがすべきことは、そうした声までも含めて、慰安婦の声を「聞き直す」ことであるべきだ。一人の人間を本当に尊重したいのなら)。

原告側の訴え、検察の起訴、そして今回の刑事二審判決まで、彼らが歪曲して言及するごとに、そして彼らの言葉をそのままメディアが報道しSNSで拡散されるたび、彼らの「虚偽」の拡散によって学者としての私の名誉は傷つけられる。

そうした意味で、『帝国の慰安婦』の刊行によって実際に「社会的な評価が低下」したのは私である。そしてそれこそが原告側――私を訴えた者たちのもくろみだった。私にこの3年半注がれたおびただしい数の非難と脅迫は、彼らの目的が成功したことを証明している。

公正に評価すべき司法府が、自ら国家の顔をした民間人の手をあげて一人の学者に刑事処罰を下した、2017年の韓国の空間が私にはめまいのするほかない理由でもある。

(これは11月4日にハフポスト韓国版に掲載した韓国語の寄稿文を自ら訳したものである)