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朴 裕河 Headshot

「20億ウォン懐柔説」について

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慰安婦、もう一つの考え「敵は100万、味方は自分ただひとり」から続く)

12月18日の電話内容を纏めながら省略した部分がある。ナヌムの家のハルモニたちがアメリカで訴訟を準備中で、その裁判で日本に請求する金額が20億ウォンになるだろうというところだ。ぺさんはこの20億ウォンの話を、この日だけで2回、その後も何回か言及していた。内容としてはほとんど、それは途方もない金額という認識だった。当然のことだが、慰安婦の方々の価値観や考えは一つではない。

しかし、20年以上、韓国社会の中でその事実は認識されなかった。周辺にいた人たちにとってはその一人一人が異なる「個人」であったはずだが、多くの韓国人たちにとって「慰安婦ハルモニ(おばあさん)」とは単に「日帝に苦しめられた被害者」以外の姿として存在する機会はなかった。

思えば、1995年に日本がアジア女性基金を設立し贖罪を試み(このとき日本が集めた国民募金に付けた名前は「償い金」だった)、以後、受け取った人が60人以上になるという事実がこれまで全く知られてこなかったことも、「慰安婦ハルモニ」はとことん「慰安婦ハルモニ」としてしか存在し得ないようにしたはずだ。慰安婦ハルモニたちの感情と考えが決して同じではないという、あまりにも当然なことが可視化されたのは、せいぜい日韓合意以降、未だ1年と経っていない。しかも、日韓合意の直後に、合意を受け入れる、と表明した方の声は、すぐに取り消された。

韓国日報、2015年12月28日(韓国語)
 
また、2000年代に沈美子さんという方が怒りを込めて挺対協を批判したことも、その痕跡はネット上にかずかに存在をとどめるのみで、広く受け止められることはなかった。そのように一人の慰安婦の声が埋もれてしまった90年代半ば以降の10年間、支援運動の声は国内外に広く届くことになる。ぺさんをして、初対面だった私に向けて日本を許したいとの気持ちを漏らさせたのは、おそらくそうした歳月だろう。ぺさんはこの時すでに90歳だった。

そして、その一言は、その後続くことになる長い長い対話の冒頭だったけれど、もしかすると、それ以降の話の核心だったのかもしれない、と私は今になって思う。日本を許したいという話は、法的責任はもちろんのこと、補償すらいらないということだった。さらに、ぺさんは慰安婦問題が問題視されたことすら納得できないとまで話していた。

もっとも、それはぺさんがハルビンの遊郭にいたゆえの、最前線で軍人たちと共に移動することを余儀なくされた慰安婦たちの体験を知らなかったゆえの言葉ではなかったかと思う。しかし、慰安婦問題についてそういうふうに考えている方がいるということを、長いこと関心を持ち続けてきた私ですら知らなかったのだから、自責の念を禁じ得ない。

20億に関するぺさんの話まで書くことになったのは、第三回公判記に書いたように、検事が、ユ・ヒナムさんの偽証を、判事やメディアに向けて私のことを日本のスパイでもあるかのように疑わせる資料として言及しつつ提出したからだ。元は仮処分裁判の時に話されたというが、たまたまその時出席しなかったこともあって長い間まともに反論することもしないまま放置してきた。その理由は、自分の解明が、慰安婦の方々の信用を削がせ、さらに韓国の信用を落とすことを憂慮したからである。

ユ・ヒナムさんが刑事裁判が始まる頃に法廷でふたたび話したとき多くのメディアが私に確認をとらないまま報じるようなことがあった。さっそく解明を出したが私の反論も載せてくれたところはごくわずかでしかない。最も確信犯的に反復報道をしたネットメディア「ソウルの声」は、直接抗議したにもかかわらず、この記事を修正も削除もしなかった。そして、その記事を引用しながら、私のことを「親日売国女」「八つ裂きにすべき女」「汚らしい女」などと非難する人たちは、今でも後を絶たない。

     ◇

2013・12・18

(夕方・7:28)

まぁ、お金は、政府が月々130万ウォンずつ支給してくれるのよ。返さないといけないわけでもない。死ぬまで支給されるけれど、そんなこと全部無視して、金大中さんがお金をくれたのも無視して(注:アジア女性基金に対抗して政府が4300万ウォンほどの一時支援金を支払った)、全部無視して、いつまでも、、、

 ユ・ヒナムも、今回(私のところに)来ては、裁判が始まるから、日本のお金を20億ウォン必要と言え、20億要求しろと。

(私も前回お聞きしました。昔5千万ウォンだったから、今もらうなら5億はもらわないといけないと、仰ってました。)

いや、20億だよ。4ヶ月前位に会議したのよ。私が体調悪い時。病院から帰って体調良くないときに来て、なんて言ったかっていうと、「あんたも20億必要と言えと。」。私は理由がわからんから、何を20億というのか、って聞いたら、「裁判する時一人当たり20億くれろと答えろ」と言ってたんだよ、アイゴ、、

(4ヶ月前というと、2013年7・8月頃の事であり、私がまだナヌムの家に行く前のことである)

(私もその書類は見ました。初めてナヌムノ家を訪ねたとき、キム局長だったかな、、、事務局長、その人が私に書類を見せてくれました。ハルモニのお話を聞くと、その書類のようですね。私への説明では、現状のままでは解決できないから、裁判をやり直すのだけれど、裁判内容は、日本に勝とうというものではなく、合意を引き出す裁判だ、調停をする裁判だと言って、そうすることにしたと、言ってました。その書類にはハルモニたち10人くらいの名前にはんこが押されてました。)

あぁ、体調を崩して病院から帰って見回ってたら、自分たちだけで会議してたのよ。会議して終わって出て来て、金さんも私に「20億、、」っていうからびっくりして、それが、その20億ということかなって。

(キム局長も20億と言ったんですか?)

まぁ、そうだね。最後に、帰るとき私たちの部屋に入って来て、「ハルモニ、金貰うときに20億と、ハルモニもそう言わないとならないから、私が名前書いとくからね」って言って。私は訳がわからなくて、「何が20億じゃ?」って聞いて話を聞くと、ユ・ヒナムの話だって。ユ・ヒナムが20億くれといって、裁判起こすって。全員が要求しないとならないから、名前を全部書いておいたみたい。後から聞いた話だと。

(一人当たり20億ですか?全員で20億じゃなくて?)

いやいや一人。だから私が、、(判読不明)と思って。
アイゴ、20億だなんて。2億でもなく。あの人たち、どうして20億がほしいと言えるのだろうと思ってだまってた。

(それは不可能なのでは、、、もしかしてキム局長やアン所長が言った金額ではないのですか?ハルモニたちが考えてる金額?)

いや、あのユ・ヒナムだよ。

(あぁ、それは不可能。。私、日本側の人たちとも会って話すこともあるけれど、それは難しいと思います。)

そうだよね。荒唐無稽なことを言っとる。

(ユヒナムが)見回ってた時、私のところに来て、「何を言われても20億といってね」って、こんなこと言ってた。「20億が人のうちの名前だとでも?で、理由は?」って言ったら、もう帰っちゃっていない。会議に出た人たち全員帰ったので後から聞いたら、ユ・ヒナムがその意見を出したみたい。

(そうですかあ。。そういうことだと解決は不可能と思います)

ユ・ヒナムは、もともと考えることが大きいじゃない。ほんとうに、とんでもない考えをする人だよ。

ぺさんとの会話が最後に録音された日付は、次の年の5月18日である。初めて電話で話した時も何度も20億ウォンのことに言及されたが、亡くなる一ヶ月前の5月3日にもこの話をしている。この時はまだ、苦痛は訴えても話は普通にできる位お元気だった。そして、私に多くの話を遺言のようにされた。知っておくように、メモしておくように、記憶しておくように、との言葉とともに。

2016・5・3

いや、まぁこの話は知っておけってことなのよ。慰安婦も、日本人たちを、日本を想っている人たちもいる。(なのに)最初から最後まで、商売、、、ユ・ヒナムのように一人当たり20億ウォンずつもらう、そんな人たちがいるからね。

私も金は嫌いじゃないし、誰かさんの言うように、お金くれれば断りはしない。だけど、お金にそんな欲求を持っちゃって、、、

(以下省略)

     ◇

ぺさんが体調が悪い中こうした話をされた理由を私はいまになって分かるような気がする。「いや、まぁこの話は知っておきなさいって」とか、「(裕河だけが)知っておきなさい」と、何度もおっしゃったものだ。そうした話が公けになった場合ぺさんに及ぼす影響を恐れて、私はペさんの生存中は約束を守った。

しかし、ぺさんが恐れたのは、ご自分の考えが世間に出ること自体ではなかった。むしろ、いつかは知られることを望んでいた。慰安婦としていた遊郭が実際に存在したことを確認してほしいと、そして自分が偽物ではないと(日本への非難を控えていることでそう言われたらしい)証明してほしいとおっしゃりながらメモしなさいと話していたのだから。

20億の話をあえてされたのは、必ずしもユ・ヒナムさんのことを非難するためではなかったように思う。その話はむしろ、誰もが勝手に想像し知悉しているかのように思い込んでいる「慰安婦ハルモニ」が、実は決して一様ではないことを、世の中に訴えたかったゆえのことではなかったろうか。

「日本人たちを、日本を想っている人もいる」との述懐がそれを語っている。ぺさんは間違いなく、ご自分の考えを私だけでなく世間に伝えたがっていた。おそらく、日本にも。

ぺさんは、ナヌムの家に住み始めて以来の20数年の間、多くの日本人に出会っているのだろう。しかし、そうした本音を聞いた日本人はいるだろうか。遅きに失したが、こういう形ででもぺさんの話を伝えておきたい。

もちろん、それとてしょせん多くの中のひとりの考えに過ぎない。しかし、仮にたった一人だったとしたらよけいに、その「声」は大切に記憶すべきと思うのである。同時に、ぺさんが直接伝えられるように環境を整えることをしてあげられなかった私自身の無力さについても、私はこれからも考え続けなければならない。