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日本と中国の「詰め込み教育」と平均点

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『NewSphere』が掲載していた「詰め込み受験勉強のおかげ? 日本の成人『学力』世界一の理由を海外メディアが分析」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。

1 記事の紹介

経済協力開発機構(OECD)が初めて行った国際成人力調査に関する記事です。「24ヶ国・地域が参加。「読解力」、「数的思考力」、「ITを活用した問題解決能力」の3分野から出題され、年代ごとに、レベル1未満からレベル5までの6段階で、集計された」そうです。

結果、「日本は、3分野の内、「読解力」と「数的思考力」の平均得点が、参加24ヶ国・地域中トップ、「ITを活用した問題解決能力」においては10位」でした。

この結果に対して、「ガーディアン紙は、日本人の学力の高さを、学生時代の知識の「詰め込み」の賜物だと紹介している」そうです。

そして、「しばしば機械的な暗記学習に偏りがちで、独創的な思考や実際に役立つスキルよりも理論が重視される傾向が強いとの批判もあるとはいえ、「こうした伝統的なアプローチが他国の学生をしのぐ結果を生んでいるのは確かだ」と評し」ているとしています。

他にも「繰り返されるテストが、学生の基礎的な学問のスキルを底上げすると指摘」し。「日本の子どもは、小学校卒業までに1006文字、義務教育終了までにはさらに1130文字の漢字を習得しなければならず、高校に進学すればこれに2000文字強が加わって、初めて、日本で社会人として機能する条件が整う」とも紹介しています。

「一方、アメリカの結果といえば――読解力で16位、数的思考で21位、IT活用で14位」と、まったくふるわず、若年層だけでなく、ニューヨークタイムズは「『世界中の同年代のなかで、最も恵まれた高等教育を受けたはず』の中年のアメリカ人すら「真ん中程度」でしかないことに半ば驚きを示している」そうです。

日米の平均点比較が興味深く、日本の場合、レベル1と、レベル1未満が少なく、「レベル4~3が目立って多い」という特徴があります。「一方のアメリカは、まったく対照的に、レベル5だけで見ればさほど悪くはないのだが、レベル1、レベル1未満の人数の多さが足を引っ張ってしまっている」という結果になっています。

2 詰め込み教育

日本の教育をして「詰め込み教育」という形でまとまっておりますが、これは昔からよくある欧米と日本を比較するからこうなるのであり、アジアの中で、比較すると全く違った見方になります。

中国(韓国もそうですが)の詰め込み教育はかなり徹底しており、教育現場を見ると一目でわかりますが、ひたすら暗記重視の教育がおこなわれています。

例えば、元記事で漢字の数の話が出てきますが、「漢字の国」である中国は日常会話を行うのに最低3000~5000は必要だと言われており、高度な話をするためには1万、専門家なら2万という話を聞いたことがあるので、覚える数は日本の比ではありません。

アメリカでも「タイガー・マム」として一躍有名になったイェール大教授のエイミー・チュア氏の徹底した詰め込み教育による子育て方法が話題になったことがあります(どちらかというという批判的な意見が多かったようですが)(アメリカの異質論と教育)。

中国の場合、大学の授業も基本的に教師の話を聞いて、それを覚えるということの繰り返しです。これは私の専門が(国際)政治学なので、そういうことが目に付くのかもしれません。

というのは、中国共産党の一党独裁が大原則で、言論の自由がなく、それに対する反対は認められていない中国では、社会科学の分野では、有る程度答えが最初から決まっているからです。それ以外の「正解」が存在しないため、その「正解」を覚えることが要求されるというわけです(論文の書き方の違い)。

3 平均点

ここで、日米比較の話に話題を変えますが、ここではやはり平均点の問題、エリート教育を行うか、並みの人間を大勢育成することどちらに重点を置くかという話です。

要は教育の目標をどこに置いて国が教育政策を行うかという話ですが((学校)教育の目指すものは何か)、私はエリート教育そのものを否定するつもりはありませんが、国力という観点から考えると良質な(最低限度の質が保障された)労働者が必要で、そのための義務教育は必要だと思っています。

そういう意味でも、私は基本的に飛び級や留年はもっと活用されて良いと考えています(小中学生の留年を認めるべきか(秋原氏への疑問点))。

ただ、一方で現実問題として、留年を容易に認めてしまうと、当事者に対するフォローをどうするのかという問題も出てくることは確かで、これを放置しては、先に述べた「制定限度の質」の確保という目的を達成することができません。

4 最後に

国立大学の二次試験でペーパー試験を廃止し、「人物重視」に変えるという話が出ていますが、私的には「ゆとり教育」の「失敗」の二の舞になるような気がしてなりません。

物事を考えるためには、知識が必要で、先人の知識なしに新しいことを考えるのは大変ですし、下手をすると先人と同じことを考えているだけにすぎないことも良くあります。

当然知識だけがあっても、それを活用できなければ何にもならないわけですが、知識がなければ話にならないことは確かであり、それを身につけているかどうかを確認するためのペーパー試験というのうは必要だと考えています。

(2013年10月13日の「日本と中国の『詰め込み教育』と平均点」から転載しました。)