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日本人留学生、8月15日のソウルで韓国人たちの葛藤に向き合う

2014年08月19日 20時36分 JST | 更新 2014年10月19日 18時12分 JST

今回、ハフポスト日本版で「日本人大学生が韓国の8月15日を体験する」という企画に参加した庄司智昭さんとたまたま知り合いだったことから、2014年3月から韓国に留学生として来ている私が通訳とコーディネーターの役目を仰せつかった。「せっかくなので、小室さんも思ったことをブログに書いてみては?」という編集部の方からの提案もあり、僭越ながら雑感を書かせていただく次第である。

 

日本の終戦記念日であり、韓国の光復節である8月15日。語学研修での何度かの渡航経験と、韓国で留学生として暮らす中で、韓国人から日本人に剥き出しの敵意を示されたことは一度もなく、むしろ行く先々でよくしてもらっている。しかし、こと8月15日は別物だと思っていた。「8月15日には日本人はあまり出歩かない方がいい」と言われていることは在韓日本人の中では半ば常識だろうし、メディアを通した反日デモの姿を見れば出歩こうとも思わないだろう。一昨年の8月15日も韓国に滞在していたが、両親が心配するし、私自身も恐かったので、大学の寮で大人しく過ごしていたものだ。

しかしひょんなことから、この企画に同行することとなり、日本大使館前や、日本の植民地時代の独立運動である3・1運動が始まったタプコル公園などを8月15日に巡った。実は内心ドキドキしていたが、どこに行っても想像していた「反日デモ」は行われていなかった。ローマ法王の訪韓がバッティングしたため、自粛して別の日に行われたと言いつつも、余程セウォル号事故のデモや労働問題に関する座り込みの方が、圧倒的なパワーをもっていたと思う。それは後述する座談会で、韓国人学生が示した、決して高いとは言えない「反日デモ」への認識にも現れている。

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「特別法を制定せよ」「大統領は責任をとれ」というプラカードを掲げる人々

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「労働者市民行進 記者会見」の横断幕の前での演説、シュプレヒコール

日本大使館前は閑散とした雰囲気だった。訪れる人自体も少ないし、待てど暮らせど「反日デモ」が行われないので、待機していたメディアが諦めてその場を離れるくらいだ。ソウル中心部を南北に貫く世宗大路では、セウォル号遺族・行方不明者家族が座り込みを続けて「特別法を制定せよ!」などのシュプレヒコールも響き、制止しようとする警察との小競り合いが頻発して騒がしいのに、そこから徒歩10分も掛からないほどの日本大使館前は、警察車両がアイドリングしている音だけが響いている状態だった。

一昨年は8月15日が水曜日で、元従軍慰安婦や支援者たちが毎週、日本大使館前で行っている日本政府への抗議デモ(通称「水曜デモ」)の拡大版のような形になったが、この団体は国旗を燃やしたりするような過激な行動をとる団体ではない。「反日デモ」は今や圧倒的に少数派なのだろうと現場で思い知らされた。また、こうやってブログを書く際に「今や」という言葉が自然と出てしまったが、全盛期がいつだったか自問自答しても明確に答えられない。「反日デモ」を行う団体名も然りだ。いかに切り取られた部分を見てそれが全てだと思ってしまっていたかにも気付かされた。自身のメディア・リテラシーが問われるな、と痛感した。

反対に、タプコル公園は賑わっていた。お年寄りを中心に、ステージで舞踊の披露や宣言文、黙祷などのプログラムが進行していた。日本語で話しているところを通りすがりの方にじっと見られたものの、特に罵倒されたり暴言を吐かれたりすることはなかった。「独島愛運動」という竹島に関する署名・募金活動のブースがあり、私たちが日本人である、ということを明かして具体的な活動内容を伺ったところ、私が日本人だからか、慎重に言葉を選びながら「とにかく平和を目指しているんだ」と語ってくれた。頂いた冊子を見るに、1人の活動家を支援しているようだった。プログラムの進行も、日本への恨み辛みや敵意をあおる意図は感じられなかった。

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「第69周年8.15光復節 民族(南北・海外)共同行事」タプコル公園にて

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出席している方々、女性は韓服(チマチョゴリ)が目立つ

 座談会に参加した韓国人学生の話を聞いていると、今の韓国の若者の傾向として圧倒的にリベラル(韓国で言う「進歩派」)が多いというのも理解できた。14日にあった、ソウル駅前での元従軍慰安婦の支援集会(※)に若い子がボランティアスタッフという形で参加するのも頷けた(※主催団体は「戦争と女性人権博物館」を運営している団体で、ここでは過去の出来事だけではなく、世界各地で今も人権を侵害されている女性たちにも焦点を当て、解決に向けての取り組みを行っている)。

 8月15日に様々な場所を巡ってみて、韓国国内の関心が対日本よりもはるかにセウォル号に、さらにローマ法王の訪韓に集中しているのだとつくづく感じた。もちろん、韓国全土を巡ったわけではないし、日本を非難する行動がなかったわけでもないので、それが全てだとは思わないが、圧倒的にローマ法王の訪韓を祝賀するムードに包まれていた。チェーン系カフェに歓迎の「のぼり」が出るほどだ。あれだけ「8月15日は出歩かない方がいい」という言葉を聞いて、「反日デモ」の様子をメディア越しに見ていた私たちは、正直に言うと肩透かしを喰らったような気分になった。

 8月15日の光復節が、韓国で特別な日とされているのは知っていたが、どういった存在なのか、どういう思いを抱く日なのか、8月15日の街を歩いていて疑問を抱くようになった。そこで、韓国の大学生の一意見を聞いてみようと翌日に座談会を設定した。急遽の呼びかけにも関わらず快く応えてくれた学生と、かなり突っ込んだ内容まで話し合うことが出来た。実は私の韓国での専攻は歴史学科で、普段、友人に何気ない話の流れで歴史問題の話題を振っても「デリケートな問題だよね」と、私が日本人だから気を遣っているのかそれ以上口にしたがらない場合がほとんどだった。そうした経験があったので「自分の考えを遠慮せずに率直に言って欲しい」と冒頭で頼んだのだが、それでも彼らの口から語られたことは、決して日本全体を否定することでもなく、私が話を遮りたくなるような言葉でもなかった。むしろ、非常に客観的に見ようと努め、抑制の効いた言葉だったと思う。隣国としてともに未来をつくっていく同世代として、協力していこうという気持ちを、彼らの言葉や姿から感じられて、とても安心、安堵した。歴史問題にあまり触れたがらない友人たちの姿を見て、不安を抱くこともあったのだが、腰を据えて話せば互いに発展させていけるのではないかと希望を感じられる意義深い会となった。

 しかし、いくつかの場面が心に引っかかる。一つは大使館前で見たおばあさん、もう一つはタプコル公園前のおじいさんだ。大使館前は時々、慰安婦の少女像を見に訪れる人を除いて、全く閑散としていたが、一度、チマチョゴリを来たおばあさんがつかつかと大使館前まで近寄ってきて、突然大声で何かを主張し始めた。背を向けていたのと、警察車両のアイドリングの音のために、詳細に聞き取ることが出来なかったのだが、いくつか数字を述べているようだった。ある程度言い終えると、キッと踵を返してその場を立ち去っていった。

 また、タプコル公園では全体の進行を遮って、突然ステージ前で何かを主張し始めたおじいさんがいた。すぐに運営スタッフに排除されていたが、その後も会場の端で国歌をおそらくフルパートで歌い、何か宣言文を掲げて黙祷しているようだった。会場を訪れていた人から制止されながらも歌いきり、宣言文を掲げる姿はどこか異色だった。近寄って、後ろから宣言文を見てみたが、「朝鮮民族代表」という言葉が書かれているのだけは読み取れた(このワードは独立門にある壁画などの宣言文に使われている)。今、こうしてブログを書きながら、その場面を思い出しているのだが、彼らの声を受け取れなかったことがとても心残りになった。踵を返して立ち去るおばあさん、宣言文を掲げて黙祷するおじいさんに、声を掛けて話を聞くことも出来たかもしれないのだが、声を掛けられないような孤高なオーラが出ていたのだ。しかし、それでもその時彼らが発していた言葉を受け取れなかった自身の語学力にかなり落胆しつつ、雑踏の中でも、明瞭に聞こえなくても、聞き取れるように語学力を伸ばそうと思った出来事だった。

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進行を遮り、演説を始めたおじいさん

 語学力が伸びるだけでは仕方がないと感じたのは、15日の夜のタクシーでの出来事だった。数名で乗っていて、1人を降ろした辺りで「日本人か」と尋ねられた。そうだと答えたら、明るい調子ではあったものの「なぜ日本人が8月15日に出歩いているんだ?」と言われた。その後も、「先日乗せた日本人のお嬢さんは、壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)が朝鮮による日本侵略だと韓国語で答えてきて信じられなかった」などと話しながらも、「日本のいいところは道に新聞紙ひとつ落ちていないことだ(それほど街がきれいだ)」と日本旅行の思い出を語ってくれた。

なぜ、あのタクシー運転手は日本人が出歩いてはいけないという考えに至ったのか。以前、百済の首都として知られる韓国中西部の公州という地方都市でタクシーに乗った際に、いかに日本と韓国が仲良くしなくてはならないのかということを熱く語ってくれたタクシー運転手のことを思い出しながら、寮に戻る道でずっと考えていた。

 座談会での韓国側のメンバーは8月15日や日本に対する眼差しは非常に冷静で、感情的な様子は皆無だった。しかし15日の夜に出会ったタクシー運転手のように、日本人に複雑な思いを抱いている人もいるのも事実だと思う。多い少ないはあれど、どちらかが全てではない。私は、大層なことを思っているわけではないが、現場が大切だと考えている。いくら文献を読んでいても、現場を見てこそなんぼだと思っている。しかし、それはあくまで一部分であるということも留意しなければならない。私がたまたま居合わせた瞬間に、出来事の一部分を垣間見ることが出来る。だからこそ、同じ場所ではあっても、何度も訪れるべきなのだと今回改めて思い知らされた。また、恐れずに聞いてみたいとも思うようになった。友だちが日本人である私に気を遣うように、私自身も衝突や対立を恐れて避けていたように思う。もちろん、デリケートな問題であることには変わりないし、聞くことによって相手を傷付けたり、その反応としてキツイ言葉が返って来たりすることもあるかもしれない。しかし留学してここ韓国で暮らしていることによって、韓国の日常を様々な場所で見聞きすることが出来るのだ。それも、ただ旅行で訪れるのとは違った経験である。そのことにもっと自覚的になり、残りの半年で現場を多く訪れたり、何故そう思うのか話を聞いてみたりしたい。後期の授業では歴史学科の授業も受講する予定で、その中でディスカッションも当然あるだろう。日本人はきっと私だけだろうから、日本人としての意見や日本の現状について語ることを求められることもあるだろう。その際には臆せずに発言していきたいし、恐れずに意見を聞いてみたい。

 「反日デモ」と私たちが思ってきていたものを見ることは出来なかったのは残念だったが、全体を通してみれば経験し得ないことを(私にとっては)2日間で濃く経験出来た。ただ、「反日」と言われる人たちの声を聞くことが出来なかったのは惜しかった。それというのも、ソウル市内にある「戦争と女性人権博物館」は、独立運動家の遺族らでつくる「光復会」や「殉国先烈遺族会」といった保守派の反対のために、建設委員会発足から設立までに約9年の歳月がかかっている。「光復会」と「殉国先烈遺族会」は、15日に開かれた「第69周年光復節慶祝式」に招待されている。ここでは朴槿恵大統領も演説している。この団体がイコール反日と言えるかどうか定かではないが、少なくとも今回の企画を通して出会えなかった人たちだ。いつか保守派と呼ばれる人々、もしくはどこかで行われている「反日デモ」と遭遇してみたいと思う。それも、少数派であれ、韓国における1つの側面だからだ。

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