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組織活性化のヒント byソフィア Headshot

分断された2つの世界ではたらくということ

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「おんなこどもの世界」で受けたカルチャーショック

平日の昼間には、大雑把に分けて2つの世界がある。

それは、「働いてお金を稼ぐ人々の世界」と、それ以外だ。すごく乱暴に言うと、前者は「おじさんをが中心としたおとこが主役の世界 」で、後者は「おんな、こども、としよりの世界」だ。そんなことは誰にとっても当たり前なのかもしれないけれど、それぞれの世界にどっぷり浸っているときはあまり意識することがない。だから、1つの世界にどっぷり浸っていて、急にもう1つの世界に移動するとびっくりする。

就職してからはずっと「働いてお金を稼ぐ人々の世界」にいた。そこには男も女も、さまざまな世代の人がいるけれど、色々なことを決めるのはおもに中高年の男性(おじさん)が中心だった。産休・育休を取得した際にもう一つの世界に入ることになった。

平日昼間の住宅地を歩く人、平日昼間のスーパーマーケットの客は「おんな、こども、としより」ばっかりだ。当たり前のことなのだけど、それまでパンプスを履いて闊歩していた都心のオフィス街とは何もかもが違った。

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写真素材:PIXTA

育休中のある日、近所の児童館で開かれていた「子育てサロン」に参加した。その日はフィットネスクラブのインストラクターが来て「産後エクササイズ」を行う日だった。何十人もの母親と乳児がフロアに集まっていた。母親たちは、子どもを足元に寝かせたり片手に抱いたりしながら、格闘技の動きを取り入れたエクササイズに励む。

若い男性インストラクターがお手本を示しながら叫んだ。「はい、ここで旦那さんの顔を思い浮かべてー、思いっきりパーンチ! 次はお姑さんの顔を思い浮かべてー、キーック!」

なんだそりゃ。全然笑えないし、ストレス解消にもならない。「おんなこどもだと思ってバカにされてるんだわ......」というモヤモヤした気持ちがいつまでも消えなかった。高齢者がケア施設などで「チイパッパ」とお遊戯をさせられて屈辱を感じるという気持ちがわかった気がした。

職場復帰が近づき、子どもを一時保育に預けて会社に行く機会があった。久しぶりに歩くオフィス街。溢れるほど人がいるのに「こどもやとしよりなんてこの世には存在しないのではないか」と思えるくらいに、いわゆる働き盛りの男女ばかり。暗色のビジネススーツの群れ。元々は自分も当たり前にそこにいたのに、しばらくの間は馴染めずに、ターミナル駅の人込みを歩くたびにクラクラしていた。

都心と地方の温度差

ある時、実家の父が倒れ、当時東京の世田谷にあった自宅と、千葉県の南の方にある実家を行き来するようになった。実家から自宅に戻るたびに、都心部の人口密度の異様さを目の当たりにして、「この環境が当たり前だと思ってはいけない」と危機感を憶えた。

数年後、子育ての環境や将来の住環境を考えて、夫の実家がある兵庫県に引っ越すことにした。東京という恵まれた(と思われている)環境を手放し、知り合いのいない土地に引っ越すという選択は、色々な人からの反対にあい、自分でも最後まで多少の迷いや不安を感じていた。でも引っ越してみれば別に大きな違いはなかった。

都心では狭い範囲に凝縮されているものが、地方では分散しているだけ。住んでいる人々も、手に入るものも、そう大きく変わらない。地方のメリットは、人口密度が低く住環境に恵まれていること、産地に近いので食べ物がおいしいこと、自然が多いこと。デメリットを挙げるなら、移動範囲が広くなるので日常生活に車が必要で、維持費や燃料費がかかること。そして人口が分散しているのでビジネスをするには効率が悪いことだ。

もちろん、リアルでさまざまな人に会える都心では新しい情報も入りやすいし、人脈も作りやすいかもしれない。でもそれは、住んでいる場所よりも個々のライフスタイルによるものが多いように思う。

私が見たところ、情報技術が発達している現在では都心と地方に大きな情報格差はなく、地方にも先進的な取り組みをしている人や企業はたくさんある。それなのに、都心には何か大きなアドバンテージがあると、都心に住む人・地方に住む人の双方が思っているような気がする。

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写真素材:ぱくたそ

分断された世界を行き来する

私はいまフルタイムで在宅勤務をし、「仕事と生活」「都心と地方」を行ったり来たりしている。電話やメール等で同僚や顧客とやりとりしながら仕事をする。その合間に小学校の授業参観に行くこともある。小学校の長期休みには子どもたちが家にいる。オンライン会議の最中に物音を立てないよう、後ろを横切らないよう、家族を睨みつけることもある。

窓を開けて仕事をしていると、電話の相手から「鳥が鳴いていますね」「蝉が鳴いていますね」と言われることがある。自分にとっては一日中聞こえているので意識していないのだが、オフィスで仕事をしている電話の相手にとっては普段聞き慣れない音なのでよく聞こえるらしい。

たまに出張で東京に行く。東京に行けば東京の日常がある。地方と都心の風景は全然ちがうけれど、どっちが良くてどっちが悪いというものでもなければ、どっちが当たり前というものでもない。どちらにもそれぞれの日常があるだけだ。

環境学者であり、システム思考研究の第一人者であるドネラ・メドウズ氏は

「境界線は心にあって、世界にはない」

と述べている。見えない境界線はいたるところにあるが、本当は境界線のあちら側とこちら側はつながっていて、相互に影響を与えあっている。何かの問題を解決したいとき、課題が何なのか見つけたいとき、「こちら側」だけ見ていても問題の本質にはたどり着けないのだ。

心の境界線に気付くことができれば、両方の世界をもっと軽やかに行き来することができるし、それぞれの世界の人と交流することで見えてくるものは多いだろう。

実はこちら側とあちら側の間には中間地帯があること、心の境界線は人によって異なること、単純に見える問題が複雑な要因から生じていること、まったく別のものであるように見える問題の根っこに同じ課題があることなど。人材の多様性は、企業にとってインプットの多様性を生む。「働き方」について考える際、そんな視点も必要ではないだろうか。

参考
『境界線は心にあって、世界にはない』/ドネラ・メドウズ(チェンジ・エージェント社)
原文 "Lines in Mind, Not in the World"(Donella Meadows Institute)

Text by seo
2016年9月7日 Sofia コラムより転載