オリンピックは大丈夫なのか? 4

国際的スポーツの祭典ということでいろんな国々で開催されているイメージがありましたが、そうでもありませんでした。冬季五輪も含めて考えると、もっと顕著で、アメリカ7回、フランス5回、日本4回、ドイツとカナダとイタリアが3回となってきます。

ここで、オリンピック開催の歴史をひもときますと以下になります。

(夏季五輪開催地)

1896年(明治29) 第1回アテネ エジソンが活動写真を発明

1900年(明治33) 第2回パリ 義和団の乱

1904年(明治37) 第3回セントルイス 日露戦争

1908年(明治41) 第4回ロンドン 第1回ブラジル移民

1912年(大正1) 第5回ストックホルム 日本選手初参加。

1916年(大正5) 第6回ベルリン 第一次世界大戦のため中止

1920年(大正9) 第7回アントワープ 国際連盟発足

1924年(大正13) 第8回パリ 明治神宮外苑競技場竣工

1928年(昭和3) 第9回アムステルダム 張作霖爆死事件

1932年(昭和7) 第10回ロサンゼルス 満州国成立

1936年(昭和11) 第11回ベルリン 二・二六事件

1938年(昭和13) 第12回東京大会を返上。代替地にヘルシンキ

1940年(昭和15) 第12回ヘルシンキ 第二次世界大戦のため中止

1944年(昭和19) 第13回ロンドン 第二次世界大戦のため中止

1948年(昭和23) 第14回ロンドン 日独は招待されず

1952年(昭和27) 第15回ヘルシンキ サンフランシスコ講和条約

1956年(昭和31) 第16回メルボルン 公害問題水俣病認定

1960年(昭和35) 第17回ローマ ベトナム戦争

1964年(昭和39) 第18回東京 名神高速道路、東海道新幹線開業

1968年(昭和43) 第19回メキシコシティー 三億円事件

1972年(昭和47) 第20回ミュンヘン 浅間山荘事件

1976年(昭和51) 第21回モントリオール ロッキード事件

1980年(昭和55) 第22回モスクワ イラン・イラク戦争

1984年(昭和59) 第23回ロサンゼルス グリコ・森永事件

1988年(昭和63) 第24回ソウル 東京ドーム竣工

1992年(平成4) 第25回バルセロナ ボスニア紛争

1996年(平成8) 第26回アトランタ 民主党結成

2000年(平成12) 第27回シドニー 小渕首相死去後任に森喜朗

2004年(平成16) 第28回アテネ 新潟中越地震・スマトラ島地震

2008年(平成20) 第29回北京 アイフォン発売

2012年(平成24) 第30回ロンドン スカイツリー竣工、円高77円台

2016年決定 第31回リオデジャネイロ

2020年決定 第32回東京

こう並べてみますと近代オリンピック32回(予定含む)のうち3回が中止され29回のうち、

開催国ではアメリカ合衆国の4回とドイツとオーストラリアで2回おこなわれています。

実質、同じ都市で2回目がおこなわれるのは、アテネ、パリ、ロンドン、ロサンゼルスそして東京です。

国際的スポーツの祭典ということでいろんな国々で開催されているイメージがありましたが、そうでもありませんでした。

冬季五輪も含めて考えると、もっと顕著で、

アメリカ7回、フランス5回、日本4回、ドイツとカナダとイタリアが3回となってきます。

あらためて考えてみると意外というか、なんだそうだったのか、なんだかんだで。

これ結局、英米仏豪日独伊となるということですから、大戦の当事国ばっかりということになりません?

中止になった原因や当事国もけっこうかぶっており、オリンピックという祭典も国際的な政治の力学が働いているというのがわかります。

しかしながら、オリンピックは都市開催というのが原則ですので、アテネ、パリ、ロンドン、ロサンゼルスに次いで同一都市開催が決定した東京の2020年に向けての開催方針は世界が注目するところとなると思います。

パリ開催の2回というのはどちらも100年近く前ですから、ちょっと参考になりにくいと思うのですが、

今から10年前の2004年アテネオリンピックのケースなんかは非常に参考になると思うのです。

スタジアムはこんなメイン会場でした。

あれっ、ここでもスタジアムを円形に覆うのではなく、竜骨状のアーチにデザインしていますね。なんかソチ五輪の会場もそうでしたけどスタジアムの形状に直線的な背骨を入れるのは、この10年くらいの流行だったんですね。

スペインの建築家、サンティアゴ・カラトラバの設計です。

なあんだ、新国立競技場コンペでは、「画期的!」「日本を元気にする!」「橋梁!見たことない!」とかで安藤忠雄審査委員長がホルホル大興奮で選んだと聞いたんだけど、、、カラトラバがそれなりにやってたのか、、。

ザハ案については以前解説していますからこちらをご参照ください

ただザハと違うのはスタンドの屋根庇を吊るための斜張橋のようにしていることと左右から三角にテンションかけて挙動を抑えてあります。

その辺は丹下健三先生の代々木オリンピックプールをはじめとする構造とデザインの融合が図られている系の建築です。

このあたりの構造とデザインの関係について、現在日本を代表する大空間ドームの構造家である斎藤公男先生がJIAマガジンのインタビューで詳しく解説なさっていますので、ぜひそちらをお読みいただければと思います。

「新国立競技場に対する2つの気持ち」

JIA MAGAZINE Vol.308

ネクスト:建築家のこれから-7 斎藤公男氏に聞く

アテネのメイン会場のスタジアムは、新国立競技場のザハ案の改悪ケースと違って、異形を先に決めてしまってうんうん唸って悩むんじゃなくて、カラトラバは元々土木のエンジニアだから、力学的な仕組みを先に検討したうえで、デザイン性を高めてあるので、まあ無理がない形状をしています。

ただし、屋根は開閉しない設定です。

さて、このスタジアムけっこうお金かけたんです。

海外サイトでも話題になっていましたが、アテネ五輪から10年を経てその会場施設がどうなっているのか、、といいますと

これがですね、残念なことに、

今こんなになってるんです。

メイン会場周辺も

あちゃー、荒廃してますねえ。

野球場などはオリンピックのときにはこんなに綺麗でしたが

今、このざまです。

ペンペン草です。

ふ~む、ギリシャだから野球が流行ってないからなんでしょうか

日本だったらプロ野球のホームにしたりして活用するから大丈夫だ!という声もあるかもしれませんが、、

なら、カヌー競技とかはどうなんだ?

流れるプールの超激しい判ですね、、

カヌーを渓流や湖でやる人はいるけど、競技カヌー施設はオリンピック後どうなるんだろう、、、

ペンペン草です。

ビーチバレー施設というのもありました。

おお!凄い。ジャンプして観客とハイタッチしてました。

今ここでは競技種目を問題視しているのではありませんよ。

施設の活用がどうなっているのか、、についてです。

このビーチバレー会場も

ペンペン草でした。

そのほかにも「アテネ五輪会場の10年後」について、いろいろと紹介されていましたが

まあ、ちょっとした廃墟ですね。

日本ではこうならない?日本ではならないでしょうね。

稼動するかしないかは関係なく、きっと定期清掃を入れ続けメンテし続けるでしょう。

その維持費が非常に問題になりますが、、、

だから、アテネと違ってぱっと見は廃墟化しないと思います。

ですが、槇先生がご指摘のように「沈黙の土木施設」として鎮座ましまして、普段は一般利用されることもなく延々と周囲を睥睨するような施設と化すんではないでしょうか。

その維持費が非常に問題になりますが、、、

たとえアイドルのコンサートに来ても、サッカーの試合を見に来ても、会場内に入る以外にはなんにも楽しいことはないでしょうね。

しかも出入りは激混みだし、呼び屋さんも芸能プロも、激混みに出来ないコンサートでは会場費を回収できないと思います。

その維持費が非常に問題になりますが、、、

今の計画のままだと、周囲には道路と人工地盤しかないのだし、今でも周辺の民間店舗が平時の利用頻度との関係でホープ軒とその他数軒しか成り立たないのですから、

結果として、よくある公共施設内のレストランやカフェのように建設コスト回収のために高額に設定された飲食店をしぶしぶ利用するしかない状況が予想されます。

その維持費が非常に問題になりますが、、、

そういえば、明治公園と公衆トイレがなくなるので、タクシー休憩も難しくなりそうだから、ホープ軒ですら生き残れるのかどうか分かりません。

ギリシャは元々怠けもの国だから経済破綻するんだ!という人もいます。

日本は国民全員が有事の際には、馬車馬のように働くんだから、全人口1億人以上がちょっと居酒屋に行って一杯飲む千八百円くらいを使えば、二週間のオリンピックを楽しめる新国立競技場を建てられると公の場で言い放なった人が居ます。

お爺さんもお婆さんも病人も小中学生も幼児も居酒屋で一杯飲む設定なんでしょうか

これはあまりに腹が立ちましたので、今まで話題にしませんでしたが、絶対に許しません。有志の方がそのうち動画UPしますから目に焼き付けてください。

あのなあ、この有事は避けられる有事なんだよ!

ふざけるのもいい加減にしろ!

ということで、ギリシャは全然ダメダメなのか、、といいますと

実は違います!

ここまでの紹介施設はダメダメでした。

しかし!オリンピック会場として素晴らしい施設計画をしました。

それはですね、1000年以上も前の古代建物の再生です。

しかも再生の再生です。

1896年(明治29) 第一回アテネ大会のときです。

この施設を108年後の2004年に再再生しています。

都市空間の緑のオアシスとしても活かされているのがわかります。

自然地形を活かした、、といっても元々1000年以上前のギリシャの建築家が既に活かしていたわけですが

それをさらに活かしたわけです。

(2014年11月8日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)

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