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崇高な使命のために戦ったというのなら、なぜ一年や二年の禁欲すらできないのですか?

2013年05月28日 00時16分 JST | 更新 2013年07月27日 18時12分 JST

昨日(5月27日)に外国人特派員協会で行われた橋下徹大阪市長(日本維新の会共同代表)の記者会見については、既に世界中のメディアが大きく伝えている。在沖縄米軍に風俗業利用を勧めた自らの発言については「不適切な表現だった」として撤回し、戦時下の従軍慰安婦制度については、「今は許されることではない」としながらも、日本だけではなく世界中の軍隊が必要としていて、日本だけが責められる理由はないとの持論は変えなかった。

今朝のテレビニュースなどを見ているかぎりでは、この発言について多くの識者やコメンテーターが、一部の理はあるとの同意を示している。確かに一部の理はある。ただしその一部の理は、慰安婦や公娼制度を保持していたのは日本の軍隊だけだと硬直的に思い込んでいる人たちに対してのみ、意味を持つ理だ。

多くの国(念を押すがすべてではない)の軍隊において、慰安婦や公娼の存在が認められていたことは確かだ。殺し殺されるという極限状況にある兵士が性欲を亢進させることも、まあ統計的にはあるかもしれない。だからこそかつて多くの国(これもすべてではない)の軍隊は、略奪やレイプなど非人道的な行為を繰り返した。それは日本だけではない。アメリカも韓国も旧ソ連も中国も、いやそもそもが有史以前から、兵士たちは人々を虐殺して女性たちをレイプし続けてきた。それは確かだ。

でも一部の理はここまで。この問題の焦点は、当時は植民地として扱っていた朝鮮半島の女性たちを、日本軍が強制的に連行したかどうかだ。そして今のところ、日本が国家として従軍慰安婦を朝鮮半島の女性に強制したことを示す(日本側の)文書や一次資料はいまだに見つかっていない。それも確かだ。だからここから先は、世界観や歴史観が問われることになる。

ユダヤ人への最終計画(ホロコースト)を決定したとされるヴァンゼー会議に、ヒトラーは出席していない。そもそも「最終解決」を意味するヒトラーの文書も、今に至るまで見つかっていない。敗戦国ドイツを裁くニュルンベルク裁判で連合国側は必死にその証拠を探したが、結局は一枚の紙片すら発見できなかった。

だからといって、ヒトラーがホロコーストに関与していなかったなどと思う人はいない。僕も思わない。ナチスが権力を掌握する前に書かれた「マイン・カンプ(我が闘争)」でヒトラーはすでに、ユダヤ人の脅威について執拗なほどに何度も述べている。第2次世界大戦が始まった1939年9月1日にはドイツ国議会で、「ユダヤ民族がヨーロッパのアーリア民族の絶滅戦争を企てるなら、絶滅させられるのはアーリア民族ではなくユダヤ民族である」と演説している。側近たちのヒトラーへの過剰な忖度が働いた可能性はあるけれど、それにしたってヒトラーの意向がまったく働いていないとは考えられない。

組織共同体のメカニズムは、明確な指示や通達だけで機能しているわけではない。政治学者のラウル・ヒルバーグは、特定の機関や特定の予算など存在しないまま、軍や官僚などいくつかの権力機構が刺激や抑制を相互に作用し続けた帰結として、ユダヤ人絶滅計画は始まったと主張する。

従軍慰安婦においても、このメカニズムは同様に働いたと僕は推測する。なぜなら元慰安婦だけではなく元皇軍兵士たちの多くが、慰安所の管理に自分たちは携わっていたと証言している。

慰安所は日本軍が管理していた。これは事実。そしてその慰安所にいる慰安婦たちのほとんどは、朝鮮半島から連れてこられた女性たちだった。これも確かな事実。

当時は多くの朝鮮人たちが、労働や兵役のために強制的に連行された。そして今も多くの韓国人女性が、自分たちは強制的に連行されたと訴えている。ならば現場レベルでは絶対に強制はあった。僕はそう断言する。文書や資料が見つかっていないことだけを理由にして、国家は関与していないとか軍は組織的に関わっていないとの言説は成り立たない。

なぜならばこの国の近現代史の特質は、確固たる意思統一や指示系統がないままに、現場が暴走するというスタイルだ。だからこそあんな無謀な戦争が始まった。降伏の時期もいたずらに伸ばし続け、その結果として広島・長崎への原爆投下や東京大空襲など被害が拡大した。

もちろんホロコーストの例が示すように、暴走のリスクは、群れることを選択した人類が抱える普遍的な宿痾だ。でもこの国の人たちは、組織共同体との親和性が他の国の人たちより少しだけ高い。言い換えれば集団化と相性が良い。だからこそ暴走しやすい。過剰な忖度が働きやすい。

その意味で、河野談話に記された「組織として強制連行を行っていても、無理にでも連れてこいという命令書や無理に連れてきましたという報告書は作成されることはないだろう」との見方は正しい。国としての明確な指示系統はなかったかもしれないが、忖度や同調圧力や責任回避や黙忍などの要素が働いた結果、彼女たちは強制的に連行された。行きたくないと拒絶することなどほぼ不可能だっただろう。僕はそう推測する。いや推測のレベルではなく、ほぼ間違いないと断言することができる。徹底して韓国と論議すべきだと橋下市長は発言したが、資料や文書がないから強制したとは認められないとの観点に立つならば、論議はいつまでも平行線だ。

被害側には被害側の理論と感情がある。そして加害側には加害側の理論と感情がある。ならば私たちはどちらの側につくべきなのか。その命題に対する答えは単純だ。どちらか一つではない。どちらの側も知るべきだ。後世ならばそれができる。二つを知ったうえで自分のスタンスを考える。傷つける側はいつも強者であり集団だ。傷つく側はいつも弱者であり個人だ。だからどちらも知ったうえで、僕は傷つけられた側に立つ。

気にかかることはもう一つ。「当時は軍の規律を維持するために必要だった」との橋下市長の発言は、明らかに兵士と性欲だけを特別視している。ならば質問する。囚人とか宗教者とか南極観測隊とか遠洋漁業とか、長期にわたって禁欲しなければならない仕事や立場はたくさんある。宇宙パイロットとか災害救助とか炭鉱夫とか原発作業員とか、命をかける仕事もたくさんある。彼らも「慰安婦制度が必要なことは誰だってわかる」存在なのだろうか。なぜ兵士の性欲だけが全面的に肯定されて、野放しに解放されなくてはならないのか。

究極の集団である軍隊では、一人称単数の主語が個の煩悶や躊躇いや良識とともに消える。他者への想像力を停めることを要求される。だからこそ市井に生きる善良な市民が、まるで別人のように虐殺やレイプに耽ることができる。でも戦争を肯定する人たちは、この事実を認めたくない。従軍慰安婦を否定する人たちの多くは、兵士たちの下劣な行いを認めることはあの戦争の大義を否定することに繋がってしまうと、意識下で気づいているのだろう。だから論理が捩れる。苦しまぎれになる。

当初は橋下市長の発言に「軍と売春はつきもので、歴史の原理みたいなものだ」と擁護する姿勢を示した石原慎太郎共同代表は、その後に橋下市長が「敗戦の結果として侵略だと受け止めないといけない」と述べたことについて、「侵略じゃない。あの戦争が侵略だと規定することは自虐でしかない。歴史に関しての無知」と記者に語ったという。つまり日本を守るための防衛戦争であり、アジアを解放するための聖戦なのだと言いたいのだろう。

オーケー。あなたのその理屈はこれまでにも何度も聞いた。ならば最後にあなたに質問する。とても基本的なこと。でも僕にはどうしてもわからないのだ。

崇高な使命のために皇軍兵士として戦ったというのなら、なぜ一年や二年の禁欲すらできないのですか?