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遊びや趣味でメンタルを癒せなければ、生きていくのは難しい

2017年06月10日 22時02分 JST | 更新 2017年06月10日 22時02分 JST

この世の中を、生き抜いていくために必要なものは何だろうか。

 

ある人は、勉強ができる能力、効率良く努力する能力を挙げるかもしれない。確かに。そういったものがなければ、学歴やスキルや資格は手に入らないだろう。

 

また、別のある人は、コミュニケーション能力を挙げる。他人とわたりをつける、他人に共感する、空気を読んだり操ったりする。なるほど、転勤や転職の多い、あちこちで新しい出会いをこなさなければならない現代社会では、コミュニケーション能力が重要なのはそのとおりだと思う。

  

でも、努力する力やコミュニケーションの力だけで本当に十分だろうか? 

 

遊びを持たない者・趣味を持たない者の弱点

 

私は、自分のメンタルを癒す......というより自己回復させる力を持っていない人は、努力する力やコミュニケーション能力に恵まれていても、世渡りがなかなか厳しいのではないか、と思うようになった。

 

たとえば、うつ病や適応障害にかかった若い患者さんで、病前から、なんの趣味も持たず、勉強や仕事に向けてストレートに走り続けているだけ......といったケースに出くわすことがある。

 

こういった患者さんの治療は、思いのほか難しい。休息していただくことはできる。薬もしっかり飲んでくれる。問題は、そこから先だ。回復期のリハビリの素材として、趣味や遊びを選ぶことができない。

 

私は、うつ病の回復期にある患者さんに、「遊びたいって気持ちが沸いてきたら、おそるおそる遊んでみてください、どれぐらい遊べるのかを、回復のバロメータとして伺いたいのです」と質問することがある。

 

たとえば釣りやハイキングを趣味にしている患者さんには、この方法がすこぶる役に立つ。まだ回復しきっていない患者さんは、どんなに釣りやハイキングが好きでも、すぐにバテてしまうか、翌日あたりに反動が来てしまいやすい。

もし、たっぷり趣味にエネルギーを費やしても大丈夫だったら、神経の回復の兆しとして、ある程度あてにできる。

 

また、回復途上の患者さんは自信を喪失していることも多い。自信の回復には時間がかかる*1が、大好きな趣味を元のように遊びこなせれば、自信を回復する第一歩になり得る。

 

遊びや趣味がもたらしてくれる人間関係も、案外重要だ。

 

患者さんも人間だから、承認欲求や所属欲求を充たしてくれるツテがあるに越したことはない。孤独は人のメンタルを削る。

だから、病状が悪くてどうしようも無い時はともかく、一定以上の回復をみた患者さんが、趣味仲間や遊び仲間と出かけたり、コミュニケーションしたりするのは、基本的に良いことだと私は考えている。

もちろん、遊び過ぎて消耗してはいけないし、消耗するような状態だと判明したら、よくよく考えなければならないのだが。

 

ところが、遊びや趣味をぜんぜん持たない人には、これらの手法は使えない。回復しかけた意欲を試すトライアルも、自信の回復をうながすトライアルも、承認欲求や所属欲求を繋ぎ止めるツテも、期待できないのだ。

休息中心の時期があらかた終わり、リハビリ中心の時期に入ると、そういう人は真面目にリハビリをやろうとする。それはそれでいいのだが、遊びや趣味のような「楽しさ」「ドーパミンが踊るような」感覚を伴ったリハビリが期待しにくい。

「この機会に、新しい趣味などどうでしょうか」と奨めたいところだが、回復途上の人に新しい趣味に着手していただくのは決して簡単ではなく、そう奨めて構わないかどうかを見極めるのも難しい。

 

このように、うつ病の回復期を眺めていると、遊びや趣味の有無って無視できないなと感じるし、社会適応とは、遊びや趣味をとおしたレクリエーションの感覚やメンタルの回復力に、かなりを負っているのだとも気付く。

実務能力やコミュニケーション能力だけでは、たぶん不十分なのだ。ドーパミンが踊るような、遊びや趣味の時間によるメンタル自己回復の時間があったほうが、人は病みにくく、回復しやすいのではないか。

多くの人は、遊びや趣味をうまく使っている

 

で、日常生活を振り返ってみれば、うつ病等にならずに社会に適応している人々の大半は、そういった遊びや趣味の時間を楽しみとして、そこでドーパミンを踊らせたり、社会的欲求を充たしたり、仕事や勉強の場では補いきれないエッセンスを補ったりしながら生きているようにみえる。

 

あるいは、自分自身のアイデンティティの預け先のひとつとして、人生の彩りの一部として、うまく自分自身に組み込んでいるようにもみえる。

 

だから私は、遊びや趣味は、社会適応のバランスを改善したり、メンタル自己回復の一環として、大切に取り扱ったほうが良いと思っているし、どんなかたちであれ、遊びや趣味に夢中になれる時間を持っている人は幸いだと思う。

 

そして、遊びや趣味を無駄だと断じたり、「コスパが悪い」のひとことで切り捨てたりするのは、あまり利口なやりかただとは思えない。一人の人間の社会適応を成立させて、バランスをかたち作っている要素は、そんなにシンプルではない。また、シンプルであるべきとも思えない。

遊びや趣味も、生きていくための大切な手札であり、人生を支える要素のひとつなのだから、ちゃんとお手入れして、ちゃんと長く楽しんで、豊かにしていくのが望ましかろうと思う。

 

 

*1:余談だが、たいていの場合、職場に復帰してもしばらくは、自信は完全には回復しない。だが、それでも構わないのかもしれない。なぜなら、再発を予防するという意味では、ある程度用心深く振る舞ったほうが憔悴しきってしまう危険性が低くなるかもしれないからだ

(2017年6月8日「シロクマの屑籠」より転載)