岐路に立つ難民認定制度、期待したい自治体の対応

日本の難民認定制度が岐路に立たされています。

日本の難民認定制度が岐路に立たされています。法務省によると、今年上半期の難民認定申請数は8,561人に達しており、昨年同期の5,011人と比して1.7倍のペースになっているとのこと。

日本では、在留資格がある人が、自らが難民であるとして申請すると、半年後に「特定活動」の在留資格が与えられ、就労が認められるようになります。平均で10カ月かかる認定審査の間に、申請者の生活が困窮するのを防ぐ人道的な配慮として開始されたものでした。

ところが、この運用が開始された2010年以降、就労目的とみられる申請が急増してしまいました。2010年は1,202人に過ぎなかった申請者が、翌年には1,867人に増加。その後も増え続け、昨年はついに1万人を突破し、今年は1万5千人を超える勢いです。国籍別でみると、ビザの発給要件が緩和されているインドネシアやフィリピンの増加が目立っています。日本に留まって働きたい外国人にとって、まさに駆け込み寺のようになっているわけです。

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というわけで・・・、法務省は、申請の半年後から認めていた就労許可の運用を撤廃する方針を決めました。今月中にも実施する予定で、事実上、難民申請者を兵糧攻めにするとの施策ですね。たしかに、これで急増してきた申請数が抑制されることでしょう。

ただ、この運用によって、ほんとうに「難民」に該当する人たちが、とばっちりを食うリスクにも目を向けるべきかと思います。あまり性悪説に立ちすぎると、制度を維持することに没頭してしまい、制度本来の目的を見失ってしまうもの。

そして、もうひとつ、日本人らしい几帳面さで、難民認定の審査を厳格にやっているのも気になります。以下、「難民認定制度に関する検討結果(最終報告)」から引用します。

我が国の難民認定制度においては,「迫害を受けるおそれがある」ことが極めて重要な要因となるが,その反面,避難を必要としている者であっても,その原因が,例えば,戦争,天災,貧困,飢饉等にあり,それらから逃れて来る人々については,難民条約又は議定書にいう難民に該当するとはいえず,「難民」の範疇には入らないこととなる。

つまり、住んでいる町が市街戦に巻き込まれて水や食料が手に入らなくなっても、(極端な話)核兵器が使用されて暮らせなくなっても、そこから逃れてきただけでは「難民」とは認められないのですね。しかも、難民申請者は「迫害を受けるおそれ」について立証する客観的資料の提出が求められ、口頭で何が起きているかを陳述するだけでは認められません。

そりゃ、ちょっと厳しすぎませんか?

日本の認定率が極端に低いことは、すでに内外から指摘されていることですが、あまりに条件が厳しく、自力でこれだけの手続きを行うのは困難です。昨年、難民認定されたのは28人でしたが、ほとんどに弁護士がついていて、陳述書、意見書を作成してもらっていると聞いています。しかも、例年、約半数が最初は却下されており、異議申し立ての結果、ようやく認定に至っているとのこと。トータルで手続きに要する期間は約3年にもなるそうです。

結局、「迫害を受けるおそれ」があることを証明できなければ、偽装難民として強制送還されるかもしれません。それがゆえに、危険を冒してまで難民申請せずに潜伏している外国人もいるのが現状です。難民申請しても就労が認められなくなるなら、もはや法務省に居所を知られずに、隠れて働いていた方がよいと考える人も増えるでしょう。

ここで誤解がないように付け加えますが、無資格滞在外国人に対して法令の順守を求め、帰国させるべきは論を待ちません。従わない者に対しては、強制送還が必要となる状況もあるでしょう。難民を偽装して申請する外国人が多いことも事実ですし、彼らに対して厳しく対処することは必要なことだと思います。税金を拠出する政府が、法に基づいて制度を厳格に運用しようとするのも、責任ある姿勢だと理解できます。

ただ、その一方で、難民申請者側があまりに脆弱なのが問題のように感じるのです。申請者本人とサポートするNGOでは、この厳格な制度運用には太刀打ちできませんね。もう少し、日本に逃れてきた「(ほんとうの)難民」に力を与えることができないでしょうか? 彼らを支えるように市民から声をあげていけないでしょうか?

庇護を求めて戦場から逃れてきた難民には、まずは住むところを提供する。それから、彼らが母国に帰れるように支援する(強制送還じゃなくて)。難民保護というのは、受け入れた社会への統合ではありません。できるだけ早く、安全に母国に帰れるように、国際政治から地域住民にいたるまで連携して支援する。そういう地道な活動が幅広く求められているのだと思います。

とくに、自治体。ドイツ、カナダ、アメリカなど、難民庇護が進んでいる先進国では、もっと自治体のプレゼンスがしっかりしていますね。都道府県の自治権では限界があるのかもしれませんが、難民申請者を住民として抱えているのであれば、彼らの生活を支えてゆくことに、もっと関心をもってもいいのではないかと思います。

多文化共生をうたって、地域に暮らす外国人との交流プログラムを催している自治体は多いと思います。ところが、難民申請者やその家族が強制送還となると「悪い人たちだったのね。はい、さようなら」では冷たすぎませんか? 自治体は、彼らを住民と認めて、生活サービスを提供してきたはずです。個々の申請者について認定されるように支援したり、強制収容されないように政府に意見したりといったことを、直接または間接に展開できれば素晴らしいと思うのですが・・・。

たとえば、もともと多様な文化を受容する特性がある沖縄県には、こうした難民を受け入れて地域の活力としてゆく潜在力があると思います。翁長知事も基地問題を国際社会に訴えたいのであれば、返還された西普天間住宅地区(駐留米軍の住宅地跡)にシリア難民向けの住宅地を整備するとか、そのような仕掛けも考えてはいかがでしょうか? 琉球大学病院を移転させる予定になっているようですが、ダマスカス大学やアレッポ大学の若手医師から大学教授に至るまで、たとえば10世帯でいいから家族ごと受け入れたらどうでしょう?

そして、法務省に対して「沖縄県が推薦するシリア人家族が安定的に在留できるよう、難民認定を速やかに進めていただきたい」と要請してみせたら・・・、沖縄県が弱者の立場から世界平和のために本気だってことが世界に伝わると思います。返還された基地がどう活用されるかは国際社会も注目していますよ。中国富裕層を意識したビジネスも大事だけど、難民支援によっての平和へのメッセージを込められたら、よっぽど国際的な共感を呼ぶはずです。

そもそも、自治体の行う国際交流・国際協力事業とは、法令に基づくものではなく、自治体独自の裁量によって発展してきたものです。国の指示に横並びで従うのではなく、自治体は地域社会の多様化に取り組み、それぞれの課題へ自発的に対応しながら施策を深めてきました。これらは、多様化の時代へと大切な布石となっています。

そして、その延長線上として・・・ 難民申請者への制度的な引き締めが強化されるなか、それでも彼らを地域住民として認め、寄り添うような「サンクチュアリ・シティ(聖域都市)」が日本にも求められているように思います。

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