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「5年9カ月間、見つけてあげられなかった娘。喜びよりもつらさと憤りが湧いてきます」津波で家族3人を亡くした木村紀夫さん

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津波で家族3人を亡くした大熊町住民 木村紀夫さんの証言

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津波で父王太朗(当時77歳)と妻深雪(同37歳)、次女汐凪(同7歳)を亡くしました。

2011年3月12日朝、熊川の自宅付近で3人を探し歩いていた私は、当時の区長から避難指示を伝えられました。自宅周辺はそのまま立ち入りが出来なくなりました。

父はその年の4月に自宅前の田んぼで発見され、妻も6月にいわき市の海上で見つかった遺体とDNAが一致しました。そして平成28年12月、熊川のがれきから汐凪のあごの骨がようやく見つかりました。それは5年9カ月間、見つけてあげられなかったということです。娘に申し訳なく、喜びよりもつらさと憤りがわいてきます。

同じがれきの山からは震災の翌年、汐凪の靴が見つかっていました。汐凪はずっと「こっちこっち」と手を振っていたのではないかと感じています。父と汐凪は震災直後に捜索できていれば見つかった可能性が高い。原発に対する考えは人それぞれだと思いますが、この月日を思うと、私は原発を肯定することは絶対にできません。

地震発生時は富岡町の職場で、上司から津波の高さ3mというラジオ情報を教えてもらいました。それでうちは大丈夫だと判断してしまいました。2時間ほど働き、熊川の自宅に戻ったらもう家はなかった。避難所だった町の総合体育館に行くと母と長女がいて、初めて3人がいないと聞きました。それでも津波で流されたとは思いませんでした。

自宅から50mも行けば高台です。きっと逃げていて別の避難所にいるか、けがして病院にいるだろうと探し回りましたが見つからない。自宅に戻っても暗闇の中にがれきが散乱し、ほとんど探すことはできませんでした。

翌朝、避難指示を告げる区長に「生きている者の方が大事だぞ」と言われた記憶があります。まず守るべきは長女だと気持ちを切り替え、すでに近所の人と町を出ていた母と長女を追って川内村へ。さらに原発事故を受け、いわき市の警察署に3人の行方不明の届けを出した上で、岡山県の妻の実家に向かいました。16日早朝に着き、長女を預け、その日の昼には単身、福島に戻りました。生きているとしたら、どこかに避難しているはずだと県内と隣県の避難所を回りました。

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震災から4カ月後、大熊町熊川地区で行われた津波犠牲者慰霊祭

2011年7月に長野に移り、一時帰宅を利用して汐凪を探しました。当時、一時帰宅は3カ月に一度、2時間のみ。海岸を少し歩いて付近を掘っても、次に来た時には海岸の状況は変わっていて前にどこを探したのかも分からなくなっている、そんな捜索を約2年間1人で続けました。放射線の影響下、ボランティアに頼むことは出来ない、行政にすらお願いできないとずっと思っていたのです。

しかし線量があっても手伝いたいと言ってくれる人たちと出会い、少しずつお願いするようになりました。がれきには電柱や大木も混じっています。重機を入れたいと町にかけあいましたがかなわず、捜索はすべて手作業です。仲間には心から感謝しています。長野での生活も大熊での捜索も多くの人に支えられています。私の力ではなく全て汐凪が連れてきてくれたのだと、最近は特に強く感じています。

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津波に襲われ、変わり果てた大熊町熊川地区一帯、2011年3月11日撮影

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東日本大震災の地震と津波により、大熊町では町民12人が犠牲になりました。そのうちの一人が木村さんの次女、汐凪ちゃんです。木村さんによると、昨年12月にようやく見つかった遺骨は少なすぎて死体検案書が作成できず、現在も統計上は「行方不明者」のままになっています。

2011年3月11日午後2時46分に東日本大震災が発生し、大熊町ではその約3時間に日没を迎えました。町災害対策本部は二次災害を警戒し、不明者の捜索、道路などの復旧作業は翌12日早朝から本格的に着手することにしていました。12日朝、復旧・捜索のために消防団員たちを招集した矢先に、全町避難を意味する「原発半径10キロ圏内避難指示」が国から伝えられ、消防団員たちはそのまま町民の避難誘導にあたりました。

一方で、木村さんの地元である熊川地区では行政区長や消防団員が12日午前中、木村さんの家族の捜索をしていたそうです。

12日のうちに避難指示は半径20キロ圏内に拡大され、行方不明者の捜索活動もできなくなりました。大熊町は避難自治体の中でも原発に近いため、警察による町沿岸部の捜索開始は最も遅い同年5月1日。警察と消防による行方不明者の捜索は現在も毎月11日に続けられ、町の消防団も協力しています。
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(震災記録誌は町民以外にも配布している。ウェブ版はこちら(http://www.town.okuma.fukushima.jp/fukkou/kirokushi)。冊子版の取り寄せ依頼は、大熊町役場企画調整課 kikakuchosei@town.okuma.fukushima.jpまで。)
(記録誌をまとめた福島県大熊町企画調整課・喜浦遊)